ネット空間のヘイトスピーチに対抗する道筋をつける ――ともに前へ進むために
記事:明石書店
記事:明石書店
ウインドウズ95の発売と汎用PCの価格破壊によりインターネットが普及した90年代後半は、まさに情報のあり方が問われる新たなステージとなった。そして、フェイスブックやツイッターが登場してからは、ネット上でのコミュニケーションと関係づくりの仕方が大きく変わった。そして、ユビキタス・コンピューティングを作り出した社会には「新たな民主主義のルール」が必要となった。インターネットにより簡単に地理的な障害は乗り越えられ、「国家」を超えた「サイバー・スペース」が出現したからである。もはや「神の見えざる手」によって「管理される」ことのない巨大空間では、「ヘイトスピーチ」のような深刻な人権問題を生じさせることになった。
1949年に創設された欧州評議会は、民主主義・人権・青少年育成・言語政策を課題とし、「欧州評議会レイシズムと不寛容と戦う欧州委員会」を設けた。多くの課題を国内法と国際法の視点から議論する必要がある。日本でもアイヌや沖縄、在日外国人に対する差別に関して、国連人種差別撤廃委員会から勧告を受けている。批准した国際法を根拠にして国内法の整備が要請されているのだ。
表現の自由を主張する議論と法的規制を主張する議論の対立は日本でもドイツでも見られ、いずれも規制法が成立した。日本では理念法にとどまる「ヘイトスピーチ解消法」、ドイツでは「SNSにおける法執行を改善するための法律」で高額の過料がある。また、ドイツでは「民衆扇動罪」や「ホロコーストの歴史の否定罪」があるために、ナチスの歴史的事実を否定し民衆を扇動すると刑罰が科せられる。歴史的事実を否定することは犯罪なのであり、まさにそれがドイツの良心であり教訓である。一方、日本では慰安婦問題を隠蔽し否定し、歴史を修正する動きがある。これは表現の自由ではない。まして人権侵害にあたるヘイトスピーチを許容するのは、表現の自由ではありえない。
スマートフォンがあれば、偶然出くわした現場で写真をとり世界中の不特定の人たちと共有することができる。それがフェイクニュースであれば、リツイートされると瞬時に拡散し、被害を発生させる。人々を次々と傷つけ破壊し、時には人を自殺へと追いやってしまう。
ヘイトスピーチは人々を扇動し、特定の人を不当にも攻撃する。ことばの暴力はたちまち物理的な暴力へと姿を変える。2020年米国大統領選挙では、トランプ大統領支持者が連邦議事堂に乱入するという大事件が起こったが、まさにそれは断絶した社会の亀裂が顕在化した瞬間でもあった。
この論集の新しさは「法と言語の視点から」書かれた点にある。中村一成は巻頭エッセイで自身のヘイトスピーチや排外主義との熾烈な闘いを描いた。鼎談ではドイツでの経験からコロナ禍で顕在化した排外主義について辛淑玉、木戸衛一、中川慎二が日常的な感性から語った。第1部は「法の視点から」。国際人権法を専門とする申惠丰は、国際連合や欧州評議会、欧州連合における国際人権法としての法制化を詳細に論じた後、日本の国内法の問題を議論した。金尚均は京都朝鮮第一初級学校襲撃事件からヘイトスピーチ解消法の成立とその問題点を指摘し、SNS 提供者に対するプロバイダ責任制限法をめぐって議論した。また、ドイツの法制化と比較し、日本の問題点を指摘した。第2部は「現場の視点から」。実務家として活動する弁護士と活動家が議論した。ドイツの弁護士であるオヌール・エツァータは、関わった地下ナチ組織殺人事件裁判を詳細に論じた。師岡康子は川崎市反差別条例について社会的意義をコラムで論じた。郭辰雄は大阪市生野区鶴橋周辺でのヘイトスピーチと反差別の闘いを活動家の視点から論じた。第3部は、「言語と倫理の視点から」。中川慎二はコミュニケーション論からヘイトスピーチの本質を探ろうとし、常態化した恐怖について論じた。河村克俊はドイツ基本法から言論の自由を論じた後、カントの「定言命法 目的の方式」に見られる互恵性原則からヘイトスピーチを考察した。
本書が目指したのは、変わりゆく社会の中で、差別言論であるヘイトスピーチに対処するために向かうべき道筋をつけることである。2021年5月12日、ブログでのヘイトスピーチに対して「著しく差別的、侮蔑的」「個人の尊厳や人格を損ない、極めて悪質」と認定した東京高裁の控訴審判決はまさにその道筋を示してくれた。
すべては、ともに前へ進むために。