由緒的に正しいペンの持ち方 『中世の写本ができるまで』
記事:白水社
記事:白水社
写本(マニュスクリプト manuscript)は手で書かれたものである。それがこの言葉の意味するところだ。中世の写字生が羽根ペンでテキストを書写している図像は、みなさんよくご存じだが、まさしくあのとおり。当時のインクは、現代の商業生産されるインクよりとろりとして、粘り気があり、製法についても中世の技法書がたくさん残っている。そちらについてはのちほど検討する。一方、羽根ペンの削り方を記した中世の手引書はひとつもない。たとえば、セビーリャの大司教イシドルスは、7世紀における葦ペンと羽根ペンの性質のちがいについて触れているものの、製法に関してはなんの記述もない。読み書きのできる人間はみな明らかに自分でペンを用意していたようで、作り方についていまさら書くまでもなかったのだろう。羽根ペンを削るのは、古代エジプトから19世紀イングランドにいたるまで、知識人にとってはごく当たり前の手慣れた作業だったにちがいなく、わざわざ取り上げるまでもないと思われていたのだ。
羽根ペンを使う当世の写字生たちは彼らなりの削り方を進化させてきたが、その方法は、再現による時代考証がなしうるかぎりにおいて、中世についても正確なようだ。羽根ペンに最適なのは、鵞鳥か白鳥の風切羽のうち外側の羽軸5本程度だとされている。中世の技法書においても、鵞鳥の羽根ペンが筆写に適していると記されている。大学の写字生による米粒のような小さな文字はカラスかワタリガラスの羽軸で書かれた、という説もときおり耳にする。技術的には充分可能だが、小さなペンは持ちにくいし、1000ページもの聖書を筆写する場合はなおさらなので、ごく小さな文字はつまるところ、大きな羽根ペンの先をより細く削った結果ではないだろうか。七面鳥からも極上の羽根ペンが生みだされるが、七面鳥はアメリカの固有種で、中世ヨーロッパでは知られていなかった。
右利きの写字生には、やや右側に自然に湾曲した羽根ペンが手によくなじむ。そういう羽根は、鳥の左翼から採れる。まず始めに羽先と羽毛の大半を切り取るかむしってしまうので、写字生を描いた中世の挿絵ではたいていカーブした白い羽軸だけが見えている。翼から抜いたばかりの羽根や砂浜で見つけたものは、しなりすぎるので硬化させる必要がある。すっかり乾燥するまで数か月そのままにしておくか、水に浸けたあと熱した砂のトレイに数分間挿して、人為的に硬くする方法もある。脂分の多い外側の皮膜と羽軸内部の髄は、この段階で削るかこするかすれば簡単に取れる。丈夫で半透明の軸だけが残る。ペン先の両脇を鋭利な小型のペンナイフで、ふつうは二回に分けてそぎ落とし、万年筆のペン先のような形に整える。つづいて(ジャガイモの皮をむくように)片手で支え、真ん中に切り込みを入れる。仕上げに硬い下敷きにのせて、ナイフの刃で先端をほんの少しだけ切り落とすと、先端がノミ型の、鋭利で真新しいペンができあがる。
当世の写字生は羽根ペンを削る実演のさい、熱心に眺めている中世研究者たち一団の前で、盛んに削りくずをまき散らしながら、これらの各工程をものの数分で再現してみせる。中世の写字生ならさだめし、かなりのスピードで難なくペンを用意したにちがいない。先端のスリットは使っているうちに、あるいは手入れを怠ると、すぐに開いてしまうので、ペン先を切り落とす仕上げの作業は、写本の筆写中かなり頻繁に繰り返さなければならない。12世紀のカンタベリー大司教トマス・ベケットに仕えた学者のひとり、ティルベリーのジョンによると、口述筆記をする聖職者はペンをしょっちゅう削る必要があるので、あらかじめ切り揃えた羽根ペンを60本から100本用意していたという。つまり、多忙な写字生は一日に60回もペンを削っていたわけだ。
仕事中の写字生を描いた中世の絵は案外多く、テキスト冒頭に著者の肖像画として、あるいは福音書記者や書斎の聖ヒエロニュムスといったお決まりの図像の一部として描かれている。したがって、ペンを持った人物の挿絵は中世全般を通じて見られる。とりわけ時禱書では、四福音書の抜粋部分はしばしば執筆中の福音書記者像の挿絵から始まるので、聖人たちはペンをじっと見つめたり、削ったり(わたしたちが鉛筆を削るのとは逆に、刃を自分に向けて)、ナイフでそぎ落としたり、ペン先をなめたり、執筆したり、耳の後ろにはさんだり等々、写本制作者にはおなじみの日常の作業や仕草が描かれている。興味深いことに、中世の書き手たちが羽根ペンを持っている絵を見ると、いまとは持ち方がちがっている。われわれの大部分は筆記具を人差し指の腹と中指の第一関節ではさみ、親指でしっかり固定している(お試しあれ。口で説明するよりわかりやすいので)。中世の写字生は、挿絵から判断する限り、羽根ペンを人差し指と中指の腹で下向きに持ち、親指の先端を添えている。薬指と小指はじゃまにならないように握っている。この持ち方だと、羽根ペンは現代の万年筆よりずっと垂直に近い角度で紙面に接触する。ペン軸がページに対して直角なら、インクの出もよくなるようだ。中世の慣習的な持ち方だと現代の万年筆ほど指の制御が利かないので、手全体を動かすことになる。ただし、羽根ペン自体は万年筆よりはるかに軽く、ページの上を滑るように進んでいく。中世の書体の成り立ちを正しく理解するには、そもそもペンの持ち方がちがっていたことに留意すべきだろう。
羽根ペンはペン先にインクをつけながら使う、いわゆる「つけペン」だ。写字生はインク壺がなくては書くことができず、聖ヨハネがパトモス島で啓示を受ける場面の挿絵では、意地悪な悪魔が茂みの後ろから忍び寄り、インク壺を鉤爪に引っかけて持ち去ろうとする姿が描かれることもある。屋外の場面なので、インク壺はおそらくネジ蓋付きの携帯用で、細長いペンケースと紐でつながっている。今日でもイスラム圏の写字生はそれと似たようなペンとインクのセットを使用しており、移動する中世写字生にはおなじみの姿だったにちがいない。一方、筆写室ではインクは角製のインク壺に入っていた。インク角を手に持った写字生が描かれることもあるが、たいていはペンとナイフで両手がふさがっている。絵によっては天使にインク角を支えてもらっている運のいい聖人もいる。カロリング朝の福音書では、福音書記者たちはしばしば、机の横にある燭台のような別の台にインクを載せている(インク壺をうっかり倒しがちな人にはもっともな用心だ)。中世後期の挿絵では、インク角はたいてい机の右端に設置した金属製の輪っかに差しこまれ、しばしば2つ、ときには3つ並んでいる。机の天板に1列にうがたれた穴に差しこみ、角の先端がテーブルの下から突き出ている例もある。一部の写本では、インク角は写字生の椅子の腕木に具合よく収まっている。
【クリストファー・デ・ハメル著『中世の写本ができるまで』(白水社)より】
【著者のインタビュー動画:Digitization: A Bodleian / Vatican project -- Interview with Christopher de Hamel】