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「美しい万年筆のインク事典」武田健さんインタビュー 色の数だけ物語がある

文:岩本恵美、写真:斉藤順子

すべての色には「物語」が宿っている

――ここ数年、ご当地インクも続々と登場し、「インク沼」という言葉ができるほど、万年筆インクが盛り上がりを見せています。なぜ今、万年筆インクに注目が集まっているんでしょう?

 色の豊富さでしょうね。これだけたくさんの色が出てくるようになったのは、本当にここ最近です。10年くらい前、それこそ僕が万年筆インクにハマり始めたころは、ここまで多種多様な色はなかったんですよ。万年筆インクがカラフルになっていく黎明期で、筆記具メーカーのパイロットとセーラーの2社がそれぞれ「色彩雫(いろしずく)」「四季彩(現在は四季織)」といった多彩なインクのシリーズを出し始めたころ。ご当地インクが出始めたのも、ちょうどそのころだったと記憶しています。

――たしかに「美しい万年筆のインク事典」で紹介されているだけでも、およそ700色もありますね。色々集めてみたくはなるんですけど、これだけあると、正直、どう使い分けていいものなのか悩ましいです。

 僕は日記を万年筆で書いていて、話題を変える時に色を変えています。コレクションが増えがちなマスキングテープもあわせて区切りのように貼ると、たくさん使えておすすめです。

 それと、黄色系など文字が読みにくい色はイラストで使う人が多いですね。万年筆インクも、今は文字を書くためだけのものでなく、色の豊富さから画材の一つといってもいいくらいなんです。それが万年筆インクの人気を後押ししているともいえます。

 これだけインクの色が多くなると、最近ではガラスペンを使う人が増えてきて、人気ですね。さっと洗って簡単に別の色に変えられて、万年筆だと使うのがためらわれるような顔料インクやラメ入りインクも気にせず使えます。

――色がたくさんあるのもコレクター魂に火をつけますが、名前やテーマが素敵なものが多いのも心踊りますよね。

 今回の本でも、ただ「ブルーブラック」と色を紹介するだけではなく、それぞれの色の背景にあるテーマや物語を感じてもらうことを大事にしました。僕が万年筆インクにハマったころに買ったインクも「月夜」という名前がとにかくよくて。「月夜」っていう名前があるだけで想像が膨らむし、実物の色を見てみると「たしかに月夜っぽい」と納得できる。そういうところにロマンがあると思うんです。

 僕はすべての色に物語があって、すべての事柄に色があると思っているんですね。そうした一つの世界観を万年筆インクという形で作っているところが本当にすごいと思います。そこが万年筆インクの面白さでもあるし、だからこそ、みんなが集めたくなるんじゃないかな。

――似たような色でも、名前やコンセプトが違うだけで揃えたくなっちゃいますね。

 そうなんですよ。「同じ色でしょ」って言われることもあるんですけど、「名前が違うから違うんです」っていう……(笑)。コンセプトもメーカーも違うし、おそらくインクのブレンドの仕方も違うから、似たように見えても違うんです。

 書き味も変わってくるし、時間が経つと色が変わるものもある。万年筆の字幅、書く人の字体や筆圧によっても変わってきます。同じように見えても実はすごく微妙に違うんですよ。

――今回の本では色の系統ごとに分類されているので、眺めているだけでも絶妙な違いがよくわかります。

 掲載している色見本は、本当に再現が大変でした。僕の万年筆インクのコレクションは3000色くらいなんですが、まずは定番色を基本に1500色くらいのサンプルを作って、それを色系統別に分けてどの順番で並べていくかという作業を編集者と一緒に黙々とやって、収録されている約700色に絞りました。さらに難しかったのが色をきちんと出すことで、印刷所さんにはすごく頑張ってもらいましたね。特に青緑。緑がかった青の微妙な色ってなかなかうまく出ないんです。

万年筆とインクで広がる世界

――いろんな色を使うのは楽しそうです。でも、万年筆ってインクを補充したり、変えたりする際に絶対に手が汚れてしまうんですが、私が不器用だからでしょうか?

 それは避けられないですよ。きれいにやろうなんて思っちゃダメ。僕も手はすごく汚れちゃいます。万年筆って、こまめなメンテナンスも必要で、基本的にはめんどくさいんです。でも、そのめんどくささもアナログのよさなので、それも楽しみの一つにしてもらえるといいですね。

 万年筆は、ゆったりとした時間があるとき、落ち着いているときに使うもの。僕も朝の忙しい時間に作業して、万年筆を落としてペン先を壊してしまうなどの失敗をしたことが何度もあります。急いでいる時はボールペンでいいんです。

 面白いことに選択肢に万年筆があることで、ボールペンや鉛筆などの他の筆記用具に対しても使い分けができるようになってくるんですよ。ふだんパッとメモ書きをしたいときはボールペン、観劇中のメモにはキャップを外したりインク切れを気にしたりせずにササッと書ける鉛筆といった具合にです。

 実は、万年筆を使うようになったら、今度はボールペンにもハマりだして……(笑)。「沼は地続き」って誰かが言ってましたけど、本当にその通り。万年筆からインク、紙、ボールペンと、どんどん広がっています。

――そもそも武田さんが万年筆やインクを集め始めたのは、何かきっかけがあったんですか?

 失恋です。日記をずっと書いていたんですけど、長く付き合っていた人と別れて、もう何も書く気がしなくなってしまったんですね。そんな時に、万年筆好きの友人が「失恋の痛手から立ち直るには何か書いた方がいいよ」って、万年筆をすすめてくれて。

 何となく万年筆で書いてみたら、自分の字がボールペンで書くのとは違って味わい深い感じがしたんです。自分は癖のある字なんですけど、万年筆で書くと濃淡が出て、後から読み返してみても楽しい気分になれた。これなら書いていけるなという気になりました。

 万年筆を使うようになって分かったのが、1本の万年筆でも洗えば様々な色が楽しめるということ。そこからいろんな世界が広がる気がして、どんどんハマっていきました。それまでずっとボールペンで書いていた日記が、万年筆で書くようになってからだんだんカラフルになっていくんですよ。

武田さんが初めて購入した万年筆

色から始まるコミュニケーション

――日記を書く以外には、どんな時に万年筆を使っていますか?

 手書きツイートや手書きインスタですね。万年筆で手書きしたものを写真に撮って、それをSNSにアップするというものです。スタンプやマステを使ってコラージュして、ちょっとした作品のように投稿するのも面白い。デジタルじゃない個性が表れてきますよ。

――特に手書きの文字って個性が出ますね。

 僕は万年筆を使うようになって、自分の字が好きになりました。人に見せるような字じゃないというコンプレックスがずっとあったんですけど、万年筆で書いた字は褒められることが多くて、自分の字もみんなに認めてもらえるんだって自信がついたんです。

 褒められるとうれしくて、もっといろんな万年筆やインクが欲しくなって、どんどん集めて、今に至ります(笑)。

 僕は香水も集めていて、万年筆インクと香水って似ているなと思うんです。液体だし、ボトルは個性的で置いているだけで気分が上がります。

――たしかに、気分やシチュエーションで選んだり、時間が経つと変化したりするところも似ています。

 あと、インクは「目に見える芸術」で、香水は「肌にのせる芸術」だと思っていて、どちらも一つの瓶に込められた世界観がありますよね。だから、香水やインクの話をするのは、とても楽しいんです。「この香りは雨の後のジャングルを歩いているような気分になる」「このインクの色は一見すると黒なんだけど、よく見ると赤が入っているよね」とか、ひと言では言い表せないところがまた面白いです。

――色や香りを言語化するのはなかなか難しそうですが、コミュニケーションのきっかけにもなりますね。

 だから、僕は万年筆で手紙を書くときに、最後にインクの話を書くんです。そうそう、緑の文字で手紙を書くと不吉だ、別れの手紙だっていう迷信があるんですけど、あれはとある流行歌の影響でいつの間にか定着した都市伝説みたいなもの。そういう誤解を避けるためにも、インクの話を添えておくと、思いがあって選んだ色だということが相手にも伝わって安心できますよ。

「好書好日インク」作ってみました

 オーダーインクが作れる東京・蔵前のinkstand by kakimoriで、武田さんに「好書好日」をイメージしたインクを作ってもらいました。

 まずは、17種の「ベースカラー」のインクから最大3色を選びます。「本のイメージというと、茶色系がパッと思い浮かびます。木のぬくもりが感じられるような色ですね」と、早速手を動かし始める武田さん。

 文芸はもちろん、社会問題やカルチャーなど幅広いテーマの本を取り上げていること、みなさんの世界が広がっていくような本との出会いをさまざまな形で手助けしたいと、好書好日のコンセプトを一生懸命プレゼンしたところ、「茶色に、ちょっと明るい黄色を混ぜて広がりを持たせたいですね。あと、ブルーで知的なイメージもプラスしていこうと思います」と、ベースカラーの3色が決まっていきました。

 1滴ずつ色の変化を楽しみながら、イメージする色の配合比率を探っていく武田さん。試し書きを見ると、配合具合で色味が変化しているのがよくわかります。

 「今、くすみ色がちょっとしたブームなんですよ」。配合比率が決まったら、お店の人が配合・製作し、最終確認をして、できあがり。使い勝手もよさそうな落ち着いた色合いのインクになりました。

<取材・撮影協力>
inkstand by kakimori
https://kakimori.com/