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「日本は移民や植民地の歴史を忘れている」 ディアスポラの視点で世界を再考 早尾貴紀さんに聞く

記事:じんぶん堂企画室

早尾貴紀さん。東京経済大学の研究室で
早尾貴紀さん。東京経済大学の研究室で

――本書のキーワードは書名にもある「ディアスポラ」(民族集団の国境を越えた離散、離散した民)だと思います。なぜディアスポラなのでしょうか。

 東西冷戦の終焉とグローバリゼーションの進展で、国境を越える移住者が増え、また、各地で地域紛争が起き、多くの難民が生み出されています。同時に、それに対する排外主義として、多くの国で自国第一主義が高まっています。この本はこうした世界を「ディアスポラ」の視点から見直そうという試みです。

『希望のディアスポラ 移民・難民をめぐる政治史』(早尾貴紀著、春秋社)
『希望のディアスポラ 移民・難民をめぐる政治史』(早尾貴紀著、春秋社)

 ディアスポラという概念を使う理由は二つあります。一つは移民と難民は明確に線引きできないことが多い。移民は経済目的で自発的だといっても、故郷で困窮し、生きるためやむを得ず国境を越えることの方が多いと思います。難民も単に放逐されたというのではなく、どこかの段階で故郷を捨てる決断をしている。単純に分けられないんですね。その両方をとらえる視点がディアスポラにはあります。

 もう一つ、国境を越えて人が広がっているというだけでなく、国家との関係を問う、国家と対峙する、国家思想を疑う、そういう視点がディアスポラには含まれるんです。

国家との対峙が抜け落ちた

――かつてはユダヤ人がディアスポラと呼ばれることが多かったのですね。

 もともとはギリシャ語に語源があり、古代ギリシャ人が地中海地域に都市を作って散らばっている状態をディアスポラと言いました。その後、ローマ帝国に滅ぼされてユダヤ人が国を失った。聖書がギリシャ語に翻訳される時、ヘブライ語でいう亡国「ガルート」という言葉なかったために「ディアスポラ」が当てられた。そこからディアスポラがユダヤ人に使われるようになりました。

 ただし、ユダヤ人たちは、単に地理的に民族が離散しただけでなく、亡国が起源にあり、国家を失ったことの意味は何なのかを宗教の中で問い続けてきた。それは神の意志だと、強大な国家権力を追い求めた末の神の罰だと解釈する。だから自ら世俗的な国家権力を求めてはいけないというのが、本来のユダヤ教における思想なんです。

 それが近代になると、国家との対峙、神による罰だという視点が抜け落ち、単に地理的に離散している状態を指すことになってしまった。それを逆用して、シオニストたちは、ユダヤ人は地理的に離散しているから、国家(イスラエル)を作れば離散が終わると、単純に離散と帰還の物語にしてしまった。

 1990年代になって英語圏でのポストコロニアル研究の中で、あらためてディアスポラという概念が注目されるようになり、世界的に使われるようになりました。

サッカーのミャンマー代表選手としてW杯アジア2次予選で来日し、帰国を拒否したピエリアンアウンさん(関西空港で、2021年6月16日、朝日新聞撮影)
サッカーのミャンマー代表選手としてW杯アジア2次予選で来日し、帰国を拒否したピエリアンアウンさん(関西空港で、2021年6月16日、朝日新聞撮影)

日本は「難民鎖国」、建前では外国人労働者もいない

――日本は「難民鎖国」状態で、移民労働者は相当数入っているのに、建前ではいないことになっていると指摘されています。

 日本は難民を異常に排除しています。難民申請は年に数千人規模であるのに、認定は数十人、コンマ何%です。米英仏などが1万~2万数千人を難民認定(認定率約20~60%)しているのと比較すると、異常に少ない。難民を、保護する対象ではなく、潜在的な犯罪者と見なし、収監して強制送還してしまう。より強制送還しやすくすることを狙った入管法の改悪は、批判を浴びて廃案になりましたが、もともと長期収容と強制送還で人権侵害を犯している状態にあり、それは今も続いています。埼玉県のクルド人コミュニティーのように、申請してもどうせ通らないし、下手をすれば強制送還される、と申請しない人たちも多いんです。

 移民労働者については、実際には国内にたくさんいますが、日本に移民労働者はいない、単一民族国家なんだという建前になっています。それまでの植民地支配、越境的な人の移動の歴史を忘れ、あたかも日本は古来から北海道から沖縄まで単一民族が住む列島なんだという幻想を多くの人が持ち、固守しているので、ギャップが生じているんです。

 日本は1980年代のバブル経済の時から、必要な低賃金労働を外国人労働力で埋めてきました。40年近く外国人労働者に依存した経済構造になっているんです。最初は日系人という形で「日系2世、3世」、つまりどちらかの祖父母に一人日本人がいれば、日本人と見なした。だが実際には日本人のアイデンティティはなく、労働機会だと考えて来ているケースもたくさんあります。さらに業界団体の要望に応える形で発明されたのが、「技能実習生」です。労働力ではなく実習だという建前ですが、産業界も、政治家も、行政も、実習生本人もだれもが労働力だとわかっている。欺瞞と言ってもよい状態です。それでも不足してくると、4世までビザを出し、技能実習生を拡大して「特定技能」という制度も作りました。

入管施設に収容中に死亡したスリランカ人、ウィシュマさんの遺影をたずさえ記者会見する妹のワヨミさん(名古屋市で、2021年5月17日、朝日新聞撮影)
入管施設に収容中に死亡したスリランカ人、ウィシュマさんの遺影をたずさえ記者会見する妹のワヨミさん(名古屋市で、2021年5月17日、朝日新聞撮影)

 それでも、あくまで外国人労働力ではないと言い続ける。単一民族幻想をマジョリティの日本人が持っているから、排外主義があり、実際いる多様な人々を否定することにもなる。日本も貧しい時代、余剰人口を海外に出してきた歴史がある。多くの人が海外に出ることで生き延びようとした。その歴史を忘れているんでしょうね。

明治から100年間、移民の歴史

――日本にも海外に移民を出してきた歴史があったんですね。

 明治元年は、開国により日本が公然と海外への労働移民を始めた元年でもあります。それから約100年間、移民を出し続けてきました。それぐらい日本は貧しかった。

 行き先は時代ごと変遷し、最初はハワイやグアム、それから北米大陸へ。移民制限がかけられて中南米へと変わり、戦争によって途絶える頃、日本の東アジア侵略が進み、朝鮮、台湾、そして満州へと移民を出し続けた。それが終戦まで続き、戦後は再び、中南米への移民の流れができました。海外への移民がようやく終わったのは、高度経済成長期です。

大勢の人に見送られ、神戸港を出港する移民船「さんとす丸」(1929年5月、朝日新聞撮影)
大勢の人に見送られ、神戸港を出港する移民船「さんとす丸」(1929年5月、朝日新聞撮影)

 1980年代に入り、バブル経済になると、安価な労働力が足りず、非正規の外国人労働者が入ってくるようになりました。それ以降は経済大国という自己イメージができ、日本は移民の受け入れ側だという意識ができた。明治から100年間、貧しい余剰人口を政策的に海外に出すことをしてきた歴史が忘れ去られてしまったんですね。

 しかも、日本は敗戦とともに植民地も失ったので、戦争という一時的な異常事態が終わり、本来の日本に戻ったかのような幻想、日本列島がずっとこの形で存在したかのような幻想が出来てしまった。けれど、日本はそもそも領土的に多くの曖昧な領域があり、また膨張主義もあって、国境線を伸縮させていた。その伸縮のプロセスにあって、たくさんの人が翻弄され、境界線をまたぐこともしてきたんんですね。

 「北方領土は日本固有の領土」という言い方がありますが、北海道、樺太、千島は、日本とロシア(ソ連)、二つの帝国主義の領土拡大の最前線でした。先住民たちは2国の間で何度も強制移住させられているんですね。

沖縄は今も植民地的に扱われている

――沖縄が今も「国内植民地」的に扱われている、という指摘がありました。

 明治政府は、琉球処分で、琉球と清朝中国との関係を切り、琉球王朝を潰す形で、琉球を日本に併合しました。それまでの琉球王国は独立国家で、薩摩藩と清朝中国との関係の中でうまくバランスをとっていました。それを日本の独占物にしようと、武力を背景にして首里城を開城させました。

 日清戦争で台湾を、日露戦争で朝鮮を植民地化したのと同じプロセスの中にあり、その意味でも沖縄は植民地として日本に併合されたといえます。

ディアスポラの視点から世界のありようを語る早尾貴紀さん
ディアスポラの視点から世界のありようを語る早尾貴紀さん

 戦後はアメリカ支配による秩序の中で、日本はアメリカに対しては従属的なポジションにあり、沖縄、東アジアに対しては旧宗主国的な支配的な立場にありました。沖縄に対してはアメリカの代理人のように植民地的に扱っています。アメリカとの関係を根本的に捉え直すことがない限り、沖縄に集中する米軍基地の問題を含め、国内植民地的に扱う姿勢は変わらないと思います。

 1972年の「復帰」も、何度目かの琉球処分という言われ方もしますが、沖縄でのアメリカの特権的地位を変えないと約束したもので、その構図は「復帰」から50年近くを経ても変わっていません。

国家は容易に末端の民を切り捨てる

――国が国民の生命、生活を守ってくれないという思いは、沖縄と同様、福島原発事故でも感じた人が多いと思います。

 基地と原発の構図は似ていると指摘されますね。国策上、国防上、必要だけれど、危険で反対運動もあるから首都圏には置けない、それを押しつけているから基地と一緒だというわけです。いいように利用され、容易に切り捨てられる。反対や抗議の声があっても、地方の一地域なら国家が押さえ込める。あるいは札束で黙らせてしまうということもあったのだと思います。

『希望のディアスポラ 移民・難民をめぐる政治史』の目次
『希望のディアスポラ 移民・難民をめぐる政治史』の目次

 僕は原発事故の時、宮城県から関西へ避難しながら、被災地の僕たちは簡単に切り捨てられるだろうと思いました。日本に限ったことではありませんが、非常事態にこそ、国家は本性を表し、末端の民を切り捨てる。国家が周辺の民をどう扱ってきたか、歴史を学んできたので、間違いなくそうなると思いました。自発といえば自発、強いられたといえば強いられた両義的な移動です。国家と、翻弄される個人との冷徹な関係を、身を以て実感させられた瞬間でした。

 東北地方は地続きだから見えにくいんですが、貧しい農村として、労働力を工場労働者として首都圏に出し、首都圏の食料供給地になり、原発建設で首都圏の電力供給地にされた。まさに植民地的。それを東北地方に対する扱いで思い知ったわけです。

パレスチナ分割に日本も関係していた

――中東に目を移すと、パレスチナ分割に日本も無関係ではなかったと指摘されています。

 日本からすると遠い出来事のように見え、日本は中東地域に対して悪いことをしておらず、中東は親日的だと言われます。ですが、帝国主義的に世界分割がされていた時代に無関係なんてことはありえないんです。

 日本はイギリスと日英同盟を結び、中東分割の前から帝国主義的な縄張りの線引きを一緒にしていました。おおざっぱに言えば、東アジアについては日本を優先するから、インドから西には手を出すな、という関係です。その前提の上で第一次世界大戦があり、イギリス、フランス、ロシア、日本の連合国が、オスマン帝国、ドイツ、オーストリア=ハンガリーに勝ちました。勝者によって敗者の領土が分割され、オスマン帝国はイギリスとフランスで分割され、日本はドイツが持っていたアジアの植民地を手に入れた。さらに国際連盟の名のもと「委任統治」というお墨付きをもらう。シリア、レバノンはフランス、パレスチナ、ヨルダン、イラクはイギリスが委任統治することを支持する見返りに、日本は南洋諸島の旧ドイツ領の委任統治を認めさせたわけです。このオスマン帝国の分割から、最大規模のディアスポラ集団、クルド人とパレスチナ人の問題が起きました。

多くの書籍が並ぶ早尾貴紀教授の研究室
多くの書籍が並ぶ早尾貴紀教授の研究室

 この起源をさかのぼって考えれば、日本は中東で悪いことはしていない、アラブ人は親日的だと喜んでいるのは、ちょっと無邪気すぎるかと思います。

違和感を持ち続けることの大切さ

――「ノットアットホーム、アットホーム」「アットホーム、ノットアットホーム」という言葉を紹介されています。

 アットホームは、故郷にいる、くつろいでいる、ということ。それに対してノットアットホームは、故郷を離れていること、移民や難民として離散している、くつろげないという意味です。ハミッド・ダバシというイラン出身で米在住の批評家が本に書いた言葉ですが、もとはユダヤ系の哲学者テオドール・アドルノの言葉で、亡命パレスチナ人のエドワード・サイードが紹介したものです。

 僕は日本に生まれ日本に暮らしている。だけど、大事なこと、ディアスポラという言葉が示しているのは、故郷にいても、そのことに居心地の悪さ、違和感を持ち続け、安住してしまわないこと。日本人なのだから、無条件に日本の政策を支持するとか、日本人だけの社会や排外主義に同調するとかではなく、この国家のあり方に居心地の悪さを持ち続けること。同時に外から日本に来ている人たちが日本社会をアットホームだと感じられるように歓待すること。ディアスポラは当たり前に見えている世界を異化する視点になりうる。そこから希望が見いだせるかもしれないと思っています。

『パレスチナ/イスラエル論』(早尾貴紀著、有志舎 )
『パレスチナ/イスラエル論』(早尾貴紀著、有志舎 )

――『希望のディアスポラ』と同時期に『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)を出されましたね。

 こちらが私の専門分野です。同じ時期に別の出版社から依頼があり、ほぼ同時に刊行されました。

 ヘイトクライムや自民族中心主義が世界に蔓延していますが、パレスチナ問題は、大日本帝国や大英帝国を軸に大国が植民地支配を繰り広げた帰結としてあります。パレスチナ・イスラエルに特化して問題を掘り下げて考えることが、自民族中心主義など普遍的な問題につながり、世界につながっているのだと、議論を突き詰めていったのが『パレスチナ/イスラエル論』です。日本でパレスチナ・イスラエルを考えると、対立や紛争ととらえられることが多いですが、イスラエルによる占領、植民地主義があり、深く日本も関わっています。

 逆にパレスチナ・イスラエルのことをより広い世界史的文脈の中で位置づけて語ったのが『希望のディアスポラ』です。相互補完的なものとして、同時に出せて良かったと思っています。

(聞き手:じんぶん堂企画室 山田裕紀)

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