私たちは、「私たち」を知らない――松岡亮二さん・評『日本の移民統合』
記事:明石書店
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私たちは忙しい。学業や仕事、それに家事を一つひとつ片付けているだけで空は暗くなる。時に寄り道したり週末に出かけたりすることはあっても、視界に入る「社会」の広がりには限りがあるし、直接言葉を交わす相手も具体的に数えてみるとそう多くはない。
統計局によれば日本の人口は1.2億人を超えるが、決まった経路で通学・通勤しているのであれば、自分と似通った人生を送ってきている人たちと時間を過ごしていることになる。知り合いの学歴を思い浮かべて欲しい。みなさん自身が大卒であれば、同世代の半数ぐらいが大学に進学した20代であっても自分から連絡を取り会話が弾む友人の多くは大卒ではないだろうか。
国籍だとどうだろう。日本は移民政策をとっていないことになっているが、建前に過ぎない。国際的には他国に移住し1年以上住んでいれば「移民」である。法務省によれば、2020年6月時点で日本社会には約289万人の外国籍の人々が住んでいる。留学を含めた短期滞在者も含まれるが、大半は移民と呼んで差し支えない。みなさんは、何人ぐらいの移民と日常的な交流があるだろうか。もし親しい友人がいたとしても、自分の学歴や職歴と似ていないだろうか。
私たちが直接見聞き可能な「社会」は限られているし、偏っているのである。それでも私たちは、たとえば国政選挙の投票時に「全体」に関する意見を持つことを期待されている。間接的とはいえ一票を通して社会全体に影響する政策の賛否を示す際に、自分の視界に入る限られた、それも一部に偏った「社会」の情報に依拠するだけでは不十分ではないだろうか。
社会調査は全体像の把握を可能とするが、メディアやオンラインで散見される「調査」結果すべてが信頼できるとは言い難い。何しろ妥当な調査の設計には高い専門性が求められるし、実施には困難がつきまとう。たとえば、みなさんは自分が調査対象になった際に常に回答しているだろうか。「個人情報の保護に関する法律」が全面施行された2005年を境に社会調査の回収率は下がる一方である上に、調査に応じない層に偏りが生じてしまっている。たとえば、私自身も2編の共著論文(Matsuoka & Maeda 2015、 松岡・前田2015)として報告しているように、社会経済的に困難を抱えている層の回答を十分に集めることは難しい。
身をもって社会調査の設計と実施の大変さを経験している社会科学者にとっては、永吉希久子編『日本の移民統合:全国調査から見る現況と障壁』(明石書店)が凄まじい労作であることに異論はないだろう。何しろ外国籍者を対象とした全国調査である。対象者の抽出作業、調査票の複数言語化、郵送調査への問合せ対応、分析時の注意事項など難易度と作業量を想像するだけで眩暈がしてくる。もっとも、実査が容易ではない調査であるので、編著者たちが明記しているように回答が不十分な層など様々な留保は付く。特に日本社会で生きていく上で最も困難を抱えている層の回収が不足しているので、移民が直面する困難は過少に報告されていると考えられる。それでもなお、本書は外国籍者を対象とした調査研究のマイルストーンといえる。
本書のもう一つの大きな特徴は、1955年から10年おきに実施されてきた「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」との比較を意識した設計になっている点である(2015年度のSSM調査では本書の執筆者を含む研究者によって外国籍者を対象とした独自調査が行われている)。マジョリティ(多数派)である日本国籍者との比較分析があることで、マイノリティ(少数派)である外国籍者の特徴を浮かび上がらせることが可能となっている。
分析の対象領域は教育、雇用、賃金、家族、社会参加、メンタルヘルス、帰属意識、永住意図と多岐にわたる。各章の分析結果によれば、外国籍者といっても出身国や滞日年数などかなり様々であるが、総じて、日本の移民は困難を抱えているといえる。現在の労働市場と移民政策のままであれば、この暗い実態が変わることはなさそうだ。
各章の知見の詳細は本書を読んでいただくとして、『教育格差』(ちくま新書)の著者として私が気になったのは、本書が対象とする移民第1世代の子どもたちの教育環境である。本書の様々な分析で明らかなように日本語能力は本人の教育や雇用などにとっても重要だが、終章でも指摘されているように次世代への影響も大きいだろう。幼い頃に来日した第1.5世代や日本で生まれた第2世代が日本社会で自身の可能性を追求できるようにするためには、学校教育における日本語教育の充実化が求められる。移民の子どもの教育については、中村高康教授(東京大学)と私が編著者を務める『現場で使える教育社会学:教職のための「教育格差」入門』(ミネルヴァ書房、2021年9月末刊行)の高橋史子講師(東京大学)による章を参照していただきたい。
執筆陣の意図と異なるかもしれないが、私が考える想定読者についても付言しておこう。本書は第一線の社会学者グループによる学術書であるが、計量分析に慣れ親しんでいなくても本文を読めば理解できるように配慮されているので、移民に関心のある大学生や大学院生はもちろん、教養として多くの人の知的関心に応えるはずである。個人の購入に加えて、多くの大学図書館と(特に外国籍住民のいる自治体の)公立図書館が収蔵することを期待したい。また、計量分析に加えて、各章が引用している国内外の先行研究も参考になる。本書で全体を俯瞰した上で、引用されている特定の地域のフィールドワークに基づく研究を読むことで、より立体的な理解が可能となる。
本書が業務上役立つ人たちも少なくないはずだ。外国籍住民が多い自治体の行政関係者にとっては必読だろう。総合的な学習の時間などで多文化共生教育を行っている教師にも薦めたい。さらには、子どもの親がどのような困難を抱えているのかを知ることは建設的な対話の礎になり得るので、外国籍児童生徒が在学している学校の教員研修の課題図書としても読まれるべきではないだろうか。
「日本社会」は広く、様々な人間が住んでいる。専門的な調査を通じて俯瞰的に社会全体を理解する人が増えることは、この土地を共有する私たち全員にとって望ましい効果を持つはずだ。一人でも多くの人が本書を通じて、個人の見聞の限界と偏りを意識しながら、移民政策を含めて「どのような社会を生きたいのか」活発な議論をするようになることを願う。