コロナ禍でも利用される「暮し」への祈りと工夫 大塚英志が見る、戦時下の生活との共通点とは
記事:筑摩書房
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大塚英志の『「暮し」のファシズム』は、webちくまに緊急事態宣言下の2020年5月に掲載された特集「『ていねいな暮らし』の戦時下起源と『女文字』の男たち」をもとに、戦時下のプロパガンダによって作り上げられた「生活」をつまびらかにするスリリングな本だ。
1940年代前半、戦争に突き進んでいった日本は、「新体制運動」を開始。全面戦争が可能になる国家を作り上げるため、国民の生活を更新することを目指すようになった。
推し進められた戦時下プロパガンダには「男文字」と「女文字」があったと大塚は言う。戦争を知らない現代の私たちは、戦争の"前線"を直に描いたものを想起しがちだ。しかし本書が指摘する「女文字」のプロパガンダは、人々の日常や生活、つまり「暮らし」に働きかけることで、戦争を人々が自分から望んだような空気――同調圧力を醸成するものであったという。
そこで活躍したのが『暮しの手帖』の編集長として知られる花森安治だ。花森は男文字と女文字、両方のプロパガンダでコピーライターの才を発揮する。花森をはじめとする体制側の書き手たちは、暮らしの工夫や節約や合理化がお国のためになるというメッセージを明に暗に織り交ぜ、主婦たちを動かした。
戦時下での新生活体制は、主婦たちが担っていたシャドウワークに光を当て、意義を見出させた。これは現代の「専業主婦の仕事を年収に換算すると一千万円」にも似て、一見リベラリズムやフェミニズムすら感じさせる。しかし主婦たちの誇りや自負は、戦争を継続させるために利用されていた。
女文字のプロパガンダは見逃されやすい。本書を読みながら何度も思い出したのが、こうの史代の漫画『この世界の片隅に』の受容のされ方だった。主人公のすずは、徐々に悪化する戦況の中でも、和服を国防服に仕立て直したり、米のかさましをするための楠公飯を作ったりと日々を工夫して生きている。その努力の様子は楽しげで、キャラクターの魅力の演出にもなっている(アニメーションになったときは、さらに映像としての楽しさもあり、劇場内の空気が和むほほえましいシーンとなっていた)。
NHKは2020年、映画『この世界の片隅に』特集番組放送に合わせ、「#あちこちのすずさん」という企画を立ち上げ、〈戦時中、懸命に暮らしていたエピソードを教えてください〉〈暮らしぶりが伝わるエピソードを募集しています〉と呼びかけた。これは『この世界』の日常のシーンの楽しさに惹かれてのものだろう。確かに戦時中の「懸命な暮らし」は工夫に満ちていて、現代の目線から見ると驚きや学びがある。しかし楽しさを素直に感じているだけでは、すずの暮らしには強制と同調圧力があり、よく生きたいという思いが戦争に利用されていたという視点が抜け落ちる。
戦時下で生まれた暮らしの形は、コロナ禍の現代と符合する。私たちはコロナ禍で不自由な生活を強いられている。だが「自粛」という言葉は、自らステイホームや休業を選択しているような気配を漂わせる。企業が突如推し進めるようになったリモートワークにより、人々は「ワークスペース」「リモート会議用個室」の重要性を〝自ら発見〟し、中には戸建てや郊外への引っ越しという選択をする人もいる。
「家にいる時間が長くなったから、環境を快適にしたい」「仕事を家でしやすくして、日々のストレスを軽減したい」という思いは一人ひとりの生活の工夫であり、ウェルビーイングに寄与する。しかしその暮らしの変化は全く自由意志ではない。
コロナ禍の自粛生活では、花森のような明確なプロパガンダの旗振り役は見当たらない。代わりに存在するのは、こんまりや星野源といったインフルエンサー、そして「普通の人々」がそれぞれ発信する、生活の価値を伝えるようなメッセージだ。強いられた暮らしをポジティブに乗り越えようとする祈りと工夫が、旗振り役がいないにもかかわらず結果的に戦時下の人々と同様の利用と動員を呼び寄せている。その危うさを自覚する価値を本書は伝えている。