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『すき間の子ども、すき間の支援:一人ひとりの「語り」と経験の可視化』編者の村上靖彦さんによる解説

記事:明石書店

『すき間の子ども、すき間の支援:一人ひとりの「語り」と経験の可視化』(明石書店)
『すき間の子ども、すき間の支援:一人ひとりの「語り」と経験の可視化』(明石書店)
なんででしょうね。たまに、――ママ、つねに不安そうな顔してるっていうか。薬もやってるっていうのもあったから笑わなかったんですよね。――あるときママ泣いてて、めっちゃ。泣いてて、家帰ってきたら。声は出してないけど、涙ずっと流れてるんですよ。それで、『守ってあげないとな』って思いましたね。

 私がインタビューをお願いしたAさんはこう語りました。Aさんはヤングケアラーとして、薬物を使用していた母親と妹と弟の世話をしながら育った若者です。ここには薬物を使用している母親が心配で心配で仕方がなかった、子ども時代のAさんの姿が語られています。Aさんの語りからは、最近大きな注目を集めるようになった「ヤングケアラー」と呼ばれる家族のケアを担う子どもの姿が、その典型的な側面だけでなく、おそらく多くの人にとっては意外な姿で浮かび上がってきます。

子ども支援の現場で何が起きていたのか?

 子ども支援は21世紀に入って20年あまりのあいだに、2000年前後に起きたいくつかの痛ましい事件もきっかけの一つとなり、制度も現場のあり方も大きく変化してきました。1990年代に虐待が広く社会問題として認識され、2000年に児童虐待防止法が制定されました。親と暮らせない子どもを育てる社会的養護の現場では、大人数の施設から1軒あたり6人単位の小さな施設へと組み換えが起きています。あるいはそもそも2000年頃はまだ「発達障害」という単語が社会で一般的なものではなかったわけですから隔世の感があります。現在「発達障害」という言葉を知らない小学校教員は存在しないでしょう。さまざまな療育の施設あるいは技法がこの間にうまれ、放課後等デイサービスのような障害のある子どものための居場所が作られるようになりました。フリースクールは以前からありましたが、全国的に一般的になったのも今世紀に入ってからでしょう。あるいは2009年には阿部彩『子どもの貧困』(岩波新書)が大きな話題となったことで、貧困問題が子どもに焦点化されて議論されることになりました。今や全国に5000とも言われる子ども食堂は2012年に誕生したものと言われていますので、まだ10年ほどの歴史です。あるいは「ヤングケアラー」という単語は2018年に澁谷智子さんが同名の書籍を出版したことで初めて多くの対人援助職に知られるようになった言葉ですが、最近ではテレビニュースや国会でも取り上げられるようになりました。

 社会的養護(あるいは虐待)についても発達障害についても、統計を用いた量的研究は盛んですし重要なことはまちがいありません。あるいは脳科学的な研究も最近では発達障害のみならず虐待の影響についても大きく進展してきました。その点も疑いありません。

容易には見えない子どもと支援者の姿

 このように制度の改革も研究も進展してきたのですが、この現場にいる子どもや支援者たちの具体的な姿はしっかりと見えているでしょうか。とくにひとたび制度が生まれると、必ずその制度からは外れるすき間が生まれます。そもそも子ども食堂のように公助の不足からそのすき間を埋めるように発展してきた運動もありますし、発達障害と診断はされてはいないけれども傾向があると思われる子どもたちのように支援の制度からこぼれがちの子どもたちもいます。あるいは児童養護施設のように公的な制度の具体化そのものであるような場所が時代の変化のなかで立ち行かなくなって自らを支援のすき間にしてしまうような場面もあるでしょう。あるいは児童養護施設を退所して大人になった人たちは突然公的なサポートを失って社会に放り出されるわけですが、この場合社会そのものが、彼らが追いやられる「すき間」になっているとは言えないでしょうか。ヤングケアラーという名前は最近登場したものなので、それ以前から家族のサポートをしながら育ってきた数多くの子どもたちもまた、社会福祉制度のすき間にとどめ置かれてきた存在です。

 障害のある子ども、逆境のなかに暮らす子ども本人や養育する親、対人援助職は具体的にどんな苦労、そして楽しさを経験しているのでしょうか。本書はその現場にいる人たちの語りを丁寧に聴き取ることで、外部の人たちには見えない人たちの血肉が通った姿を描き出そうとしています。本書に登場するのは、逆境のなかに置かれた(かつての)子ども本人の声であり、あるいは障害のある子どもを育て互いにサポートしあっている母親たちの声であり、あるいは子どもたちを支援しているさまざまな場所(放課後等デイサービス、子ども食堂、児童養護施設)のスタッフたちの声です。

 この声は必ずしも苦痛についての訴えではありません。第2章に登場する発達障害のある子どもを育てる母親は次のように語ります。

私、それ〔=息子のトラブルに対応すること〕が楽しいんですよ。多分先生たち〔=筆者〕と一緒で、〔息子がどう変化するのかが〕研究対象でしかないというか。〔略〕こういうときこう思ってんだとか、これはできないんだとか、これできなかったら次こうやってみたらどうかとか、そういう楽しみ方をしちゃっているんで。

 この語りには、障害のある子どもが学校で陥るトラブルをユーモアに変えながら乗り切っていく母親のエネルギーが現れているでしょう。

 もちろん深刻な差別を受ける経験を語る若者もいます。次の語りは第3章に登場する施設で育った若者が、就職先で受けた差別を語る場面です。

…履歴書かなんかに親の名前を書く、保護者の欄みたいのあるじゃん。あれに名前が違ったから、これは何? みたいな感じで言われて、あの僕施設にいるんですー、みたいな感じで言ったら、すんごいこと細かに聞いてきて最初、うわーうざいと思って。今までそういう経験あまりなかったから。
国の金で……お前は育ったんだろみたいな感じで言われて。

 このあと若者は深刻なパワハラを受けたあげく退職に追い込まれ、ホームレスを経験することになります。社会的養護のもとに育った人が被る出来事の痛みは具体的な語りからしかわからないでしょう(ただし、第3章では若者たちが受けてきた「親切」も彼らの「力」もたくさん語られます)。

語りの分析を通して見えてくるもの

 さて、本書のもう一つの特徴は、このような声のディテールを改変することなしにそのまま提示しただけでなく、このディテールの分析を通して、そのような語りが生み出されるに至った背景の布置を描き出していることです。語りは語った人のいきいきとした姿を伝えるだけでなく、その人の生きている文脈とその人の行為のスタイルを含み込んでいます。語りの分析によってそのような社会的背景と行為のスタイルを描き出すことに、ノンフィクションを超えた本書の学問的な意味があります。本書は、とくに発達障害と社会的養護を中心とした子どもをめぐるすき間と出会い、その当事者の力や居場所の意味を問いかける、そういう本になっています。

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来たる10月31日に、本書の執筆者が全員参加するブックカフェが行われます。
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