「ぎりぎり論文マニュアル」著者が語る、論文を書き損じて分かった人生の楽しさ
記事:平凡社
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料理を覚える上で大事なのは失敗することだ。練習も修業も失敗の繰り返しの連続である。そしてその失敗の経験が身を助けるのである。この教訓こそ、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』の根本精神である。失敗して自慢するな!と自分でも言いたくなるのだが、大事なのはそういうことだ。
私は卒論を書くのに失敗して、大学を卒業し損ね、大学院に落ちた。その後、修士論文でも失敗し、無職の一年を過ごした。借金を背負った。この失敗の原因の根本原因は論文執筆法を一冊も読まないで卒論を書いたことである。
書き方がよく分からないので、箇条書きにした。そうしたら、「これでは論文ではありません」と突き返され、落第した。「知りませんでした」という言い訳は通用しない。あの頃は、卒論ゼミも論文指導もなかったし、途中まで書いて、指導教官に見てもらうことは考えもつかなかった。皆が知っていても知らなければ存在していないに等しい。
論文執筆法は知らないが、卒論についての迷子と失敗の経験は山ほどある。余るほどあるのだから、売ってみようという基本精神である。良い論文の書き方はあまり知らないが、ダメになる論文の書き方は経験上知っているし、その道のベテランである。
私の卒論の題材は、合理主義哲学のライプニッツであったのに、論文の趣旨とは真逆の道を突き進み、失敗の経験こそ身の助けということで、経験主義的な論調になった。ライプニッツよ、ゴメンなさい。
私のような学問のジャングルに迷い込まないように、必要最小限の取り扱い説明を書こうとしたのが、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』だったのである。
いやはや、知らぬ仏の強気攻めということは私の得意とするところである。中世スコラ哲学をちゃんと学んだことがないのに、中世哲学研究者のようなものになったし、ラテン語もギリシア語もイタリア語も結局、授業に出てもすぐに脱落して、ぎりぎりになって独学で間に合わせるということを繰り返してきた。
論文の執筆法についても同じである。あの『論文マニュアル』を書くときには、心を入れ替えて、論文執筆法を何冊も読んでちゃんとした執筆法にしようと思った。やはり読むのがあまりにも辛くて途中で挫折してほとんど読まなかった。いやそれでよいのだ、私の失敗こそ、私の教科書なのだ。
そして、論文執筆法が読みにくければお笑いを入れよう、読みやすいのではないかと思い、自分自身の失敗談を散りばめた。失敗談以外にも冗談を入れてみた。この冗談を本気で読んだ学生も多くて、論文らしい言い換えのところなんか、本気で読んでしまって、その文言のパクリが全国で広がった。
この本の盗作も起きた。なぜ盗作だと分かったというと、論文の言いかえのところに、「議論が盤根錯節した観を呈してきたので、原点に戻って議論の筋道を確認しておこう」という例が出てきたからだ。ほとんど山内印である。この「盤根錯節した観」というような言い方は現在死語であり、使うと目立つにもかかわらず、そのまま使われていたからである。すぐに報告が来た。私の場合は、登山に誘われて、木の根っこが本当に「盤根錯節」して歩きづらい山道を何度も経験していたので、ごく自然に使ったまでだったのだ。
他にもあった。「~はバカだ」というのはご法度なので、「~の見解には再考の余地が残る」という、そんなことありうるわけもない文言を入れてみた。最後におまけで「卒業させてください」という言い換えは「解明できた点は必ずしも多くはないが、若干なりとも寄与できたと思われる」としておいた。こんな言い方学生が使うわけないだろ、と書いたのだが、本気で信じた学生もかなりいたようだ。
卒業論文というのは、文系の大学生が書くものだから、卒論の執筆法は大学生協書籍部で売れるもののはずである。ところが、原版の『ぎりぎり合格への論文マニュアル』は広い層から読んでいただいた。工学部の先生からも、理系でも同じことが当てはまり、役に立ちますよと褒めてもらった。
論文執筆法が笑いながら、しかも人生論的な言葉も交えながら書かれてあるということで、論文を書く必要もない社会人の方にもたくさん読んでいただいた。
論文執筆の技術的な側面を伝えるよりも、論文を書くこととはそもそもどういうことなのか、知識とは何かということを踏まえて考えてもらいたかったのだ。「論文を書くこととは、知の共有に至る道なのである」という言葉は、この本の決めの言葉なのだ。文字として書かれた文字列ではなく、著者と読み手との知の共有を目指す道、いや歩みこそ論文の本質だ。
出来上がった論文は評価の対象になるけれど、その完成を目指して歩むプロセスは評価を越えた尊い作業で、それが記憶として残って、振り返ったときにキラキラと他では得られない宝物として輝くのだ。これに時間をかけて完成できるのは、図書館も自由に使え、時間的にも余裕があり、内容や方法についてのアドバイスももらえる大学生のときだ。こんな楽しくて、面白くて、意義のあることに挑戦しないのはもったいないというしかない。知の航海論文執筆にぜひ旅立ってください。
まとめ。目黒のサンマの殿様は、「サンマは目黒に限る」と言ったそうですが、私もそれにならって整理すると「論文は失敗するに限る」。
文/山内志朗
『新版 ぎりぎり合格への論文マニュアル』目次
はじめに そして発売されてしまった
第一章 論文は楽しい
論文を書かせる仕事/論文の落第生
第二章 論文の基礎知識
論文とは何か/問題意識について/論文の条件とは/論文基本心得/《論文・テーマ》を探せ!/タイトルの善し悪し/コラム ユルフン後日談/ありがちな落とし穴/論文執筆法の読み方/論文の評価とは
第三章 論文を書く段取り
筆記用具/事典類は十分に用意せよ/《題材・テーマ》を決めろ!/《題材・テーマ》を磨け!/論文《題材・テーマ》発見法/論文の《主題》の決め方/コラム ダメダメ論文テーマに武勇伝/資料を探せ!/学問分野のお作法の違い――社会科学系と人文科学系/論文の構成と段取り/論文のアウトライン/論文構想の実例集
第四章 論文を書いている間の作業
文章の基本作法/記号の使用法/目印記号の使用法/省略記号の使用法/テキスト・資料との接し方/論文の書き出し/おまけ 困ったときのことわざ
第五章 論文の仕上げ
論文の基本体裁/論文の文体/出典の明示の重要性/文献票の作り方/欧文分権の表示法/文献票の内容/註の作法と書式
第六章 論文執筆あれこれ
論文の実例/すぐに使えるフレーズ集/コラム 「合格させてください」/小論文について/論文執筆格言集/おまけ 大学院生と教員のためのおまじない