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「人種」は歴史的に作られたものだった――『黒人と白人の世界史』

記事:明石書店

『黒人と白人の世界史――「人種」はいかにつくられてきたか』(明石書店)
『黒人と白人の世界史――「人種」はいかにつくられてきたか』(明石書店)

「白人の歴史家」

 原著は、2020年1月、フランスの出版社スイユが始めた有名な文庫シリーズ「ポワン叢書」(現在はポワン社)から発売された。フランスでも、単行本から文庫という流れが一般的であるから、文庫版の書き下ろしとして出版されるのは、比較的珍しい。

  しかも、本書は著者の単著デビュー作に当たる。著者はラテンアメリカの専門家として訓練を受け、2004年に「資本制国民国家内の地域社会モデル――テワンテペク地峡の村落研究」で博士号を取得、メキシコ研究の分野で国際的に活躍してきた。

  そのような学問的背景をもつ著者が、本書の主題となる人種問題に取り組むようになったきっかけは、2009年以降、パリ・ディドロ大学(2019年よりパリ大学に統合)で、中南米を含んだ「ブラック・アメリカ」についての講義を受け持ったことにある。フランスの実社会を知る方には周知のことだが、パリは移民社会フランスの縮図のような大都市であり、外見の異なる人々が日常的に行き交っている。大学のキャンパス内でもその光景は変わらない。

  そうであればこそ、一人のフランス人の教師がブラック・アメリカをめぐる講義をパリの大学で受け持つことは、専門知を教授するという一般的な講義とは、また別の意味合いを帯びてくる。いや、帯びざるを得ない。なぜなら、著者の授業には、十中八九、それなりの人数のアフリカやカリブ海出身学生が受講していると予想されるからだ。

  移民社会フランスとは、この国が植民地帝国を築いた過去の裏返しだ。フランスは現在でも、カリブ海に領土(海外県)を有しており、また過去には、西アフリカを中心にアフリカ大陸の約三分の一を支配下に収めていた。こうした経緯から、フランス社会はアフリカやカリブ海出身者が一定の割合を占めているのだ。

  そうした現実を踏まえれば、この授業が単に知識の伝授をおこなうだけでは済まされないことは容易に想像される。植民地主義、大西洋奴隷貿易、奴隷制といった話題は避けて通れないばかりか、そうした話題は、受講生に対して、フランス植民地主義がもたらした加害と被害というセンシティブな関係をおのずと喚起するだろう。だからこそ、著者は自らをフランス人の歴史家ではなく、「白人の歴史家」として自己認識するようになる。この認識は本書において決定的だ。

「人種」とフランス

 ところで、この場合の「白人」とは厳密には何を指すのか。著者は自分を生物学的な意味で白人だと思っている、ということだろうか。いや、そうではない。この意味での人種概念は、本書の序文冒頭にあるとおり、ユネスコが早々に否定したものだ。ユダヤ人の大虐殺をもたらしたのは、ナチスの人種理論であり、白人至上主義だった。そのため、生物学的意味での人種概念をユネスコは斥けたのだった。

  しかし、「科学的には無効であっても、政治的、社会的現実として人種は存在する」。問題はむしろこちらにある。この意味で存在する人種とは、端的に、フランス社会を今なお規定する植民地の遺産の帰結だ。「白人」が「黒人」を支配したり奴隷化したりしてきた、植民地時代の連綿たる過去があるからこそ、フランスは現在のような多文化的な移民社会になったのだ。フランスの「白人」は、植民地支配者側の国民の特権として、フランス社会が受け入れてきた「黒人」よりもいつでも有利な社会的立場を保持してきた。

  こうして、戦後の経済成長を背景に、オイルショックで経済が停滞するまでのあいだ、フランス政府は旧植民地や海外領土から、多くの移民を積極的に受け入れるようになる。ところが、その反動として、白人マジョリティの権益擁護と移民排斥を標榜する極右政党「国民戦線(現・国民連合)」が1972年から台頭するようになった。

  このように、政治的、社会的現実としての人種は、人種間の優劣を前提とする人種主義として、フランス社会に根強く存在し、社会の分断をよりいっそう深めてきている。つまり、ブラック・ライヴズ・マター運動によって注目を浴びたアメリカ合衆国社会のみならず、フランス社会においても同様に人種問題は喫緊の課題であり続けており、現にフランスでは、21世紀以降、この極右政党の党首が大統領に選ばれてもおかしくはない人気と支持を得てきている。本書は、人種主義がフランス社会、ひいてはヨーロッパ諸国にもたらす分断状況を受けて、書かれるべくして書かれたのだ。

 つくられる「人種」

 では本書は何を明らかにするのか。端的には、それは人種概念がヨーロッパ人によってどのように生み出され、正当化されていったのかを歴史的に解明することだ。たどるべき史実は、大西洋奴隷貿易から奴隷制を経て第二次世界大戦が終結するまでの数百年におよぶ。

  この数百年とは、すなわち、欧米諸国が産業革命を経て世界の覇権を争って領土拡張を遂げながら、最終的には世界戦争にいたるまでの、いわば西洋が圧倒的優位を誇った時代だ。この白人優位時代において、その最大の犠牲となった人々は誰かと問えば、「黒人」とされる人々だという答えがおのずと返ってくる。黒人は、アメリカ、カリブ海地域では奴隷とされ、アフリカ大陸でも支配・搾取されてきたが、その発端は、著者の見るところ、大西洋奴隷貿易・奴隷制にある。

  著者は、アメリカ諸地域での数世紀におよぶ奴隷制こそが「ニグロと白人の世界」を作り出したと考える。すなわち、ヨーロッパ人がアフリカ人を奴隷化するシステムを構築することにより、「ニグロ」と「白人」という肌の色と外形で捉えられる、のちに人種化される関係が生じたのである。しかも、その暴力はいまだに過ぎ去っていない。

 「西洋全体に共通する歴史に根差した暴力や暗黙の了解の威力を測るには、あることを試してみるだけでいい。教室でも、校庭でも、テレビでも何でもいいから、公的な場で「ニグロ(nègre)」という言葉を発してみるのだ。反応は素早く、すさまじいものだろう」(本書、12頁)と著者は言う。なぜか。なぜならニグロは、16世紀以来、黒人奴隷を意味する語として機能してきたからだ。その語を口にするということは、相手の人間性を即座に否定するに等しい。「お前は人間ではない」と言うようなものなのだ。

  著者が確認するのは、次のことだ。すなわち、「ニグロ」という語の定着以後、奴隷とはほぼ黒人のことを指すようになった。部分を全体で表す修辞を換喩と呼ぶが、「ニグロ」という語は、黒人全員が奴隷であるわけではないにもかかわらず、黒人を奴隷と等号にしてしまう修辞的用法として発明された、ということだ。(後略)

 

【『黒人と白人の世界史』「解説」より、一部改変のうえ、掲載しています】

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