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〈エリア・スタディーズ〉から遂にアフガニスタン編刊行――「訪ねられない国」の歴史と現状を知る

記事:明石書店

カーブル中心部のアブドゥル・ラフマーン廟。アブドゥル・ラフマーン・ハーン(国王在位1880~1901年)は現在のアフガニスタンの領域を概ね掌握し、近代化に努めた。(登利谷正人撮影)
カーブル中心部のアブドゥル・ラフマーン廟。アブドゥル・ラフマーン・ハーン(国王在位1880~1901年)は現在のアフガニスタンの領域を概ね掌握し、近代化に努めた。(登利谷正人撮影)

 2021年8月15日、タリバン勢力は電撃的にカーブルに入城し、そのままほぼ全土を制圧した。アメリカ軍が撤退した後であっても、アシュラフ・ガニ大統領率いる政権がしばらく権力を掌握し続けるとの見方が多かったこともあり、この急激な情勢の変化は世界を驚かせた。

 かつてタリバンは、1996年にも一時的に首都カーブルを制圧したことがある。しかしながら、首都制圧後も内戦が続いたことや、人権抑圧的な政策が市民をタリバンから離反させた。8月15日の首都制圧の際に市民が圧政を恐れたのはこの過去の記憶のためであった。

 ところが、タリバンはある意味、人権抑圧を可能な限り避け、国際社会との協調を模索しているようにも見える。そして、バーミヤン大仏の爆破(2001年)のような文化遺産の破壊も行っていない。あたかも自制しているかのようにも見え、タリバン政権がこれからどの方向に向かうのか、世界は懸念と不安を抱きながらその行く末を見守っている。

 本書は2021年9月30日の発行である。当然ながら、決してこのような状況を予見しての出版ではない。タリバンによる首都カーブル制圧という出来事が起こった時には、基本的な編集作業はすでに終了しており、細部の調整と印刷を待つのみという状況にあった。そのため、急遽情勢変化に関する補論を追加し、あとがきを修正して、出版にこぎつけることができた。

企画からの20年近い歳月と多彩な執筆者の思い

 本書の出版のアイディアは2004年に遡るものの、出版の企画として実際に動き始めたのは2014年のことであった。企画書には次のように記されている。

 

 本書の企画そのものは10年ほど前に遡る。それは、内戦が終了し、日本を含む国際社会がアフガニスタンの再建の支援に積極的に取り組むことができるようになり、私たち日本人も現地で活動を始めた頃のことである。国の再建を支援するためには、アフガニスタンそのものへの理解が不可欠である。
 しかしながら、長く続いた内戦のため、アフガニスタンに日本人が行くこともできなくなり、直接的に情報が得られなくなった。また、研究者もフィールドとしてのアフガニスタンを捨てざるを得なくなり、せっかく芽生えていた研究の伝統も途絶えてしまった。そこで、アフガニスタンの全体像を理解するために本書が企画された。

 企画の発案から17年余りの時を経て、本書の出版が実現したということになる。

 本書は、さまざまな時代に、さまざまなシチュエーションでアフガニスタンと出会った人たちによって生み出されたものである。本書の書き手の中には、1979年のソ連軍侵攻以前、研究のためにアフガニスタンを訪れた人もいれば、旅行者としてこの国に魅了され、いまに至るまで深い思いを抱いている人もいる。

 その一方では、2001年の内戦終結以降、かつてのアフガニスタンをまったく知らないまま、この国に関係を持つようになった人たちも少なくない。私(山内)のように文化遺産の保護を目的とした人もいれば、NPOやNGOとして支援活動に携わった人、外務省や国際機関の一員としてアフガニスタンで活動した人もいる。

 また、アフガニスタンを学術的に研究してきた人もいれば、一般市民としてアフガニスタン、そしてその国の人たちと接してきた人たちもいる。

 さらには、長年アフガニスタンに住んでいた人もいれば、強い関心を持ちながらも、いまだにその地を踏むことができず、アフガニスタンという国を見たことがない人たちもいる。

 本書は、こうした人たちのアフガニスタンとのさまざまな出会いと思いを集めたものである。学術的な研究を骨格とし、さまざまな分野の人たちの経験と知見、そして思いを肉として生み出された本といえる。

本書の構成

 「I アフガニスタンの国の輪郭」と「II 国の歩み」を皮切りに、いまを生きる人たちの暮らしや文化を扱う「III 生活の基盤」、「IV 多声的な文化」へと続く。多様な民族と文化を持つ国のなりたちを紹介し、それがどのような社会を生み出してきたのかをたどる。

 「V 文明の十字路」、「VI アフガニスタンの旅」の部分では、アフガニスタンの多様な自然と文化を扱っている。アレクサンドロス大王の東方遠征によるギリシア世界との出会い、仏教の広がりと仏像の誕生、9世紀以降に花開いたイスラム文化など、文明の十字路と呼ばれたアフガニスタンの多様な文化を、学術的な成果をもとに具体的な場所と事例を挙げて紹介していく。

 これに続くのが、おもに2001年以降のアフガニスタンと日本、より正確にいえば、アフガニスタン人と日本人の出会いということになる。「VII 日本とアフガニスタン」、「VIII 戦後復興」の部分では、2つの国の人たちがどのようにして出会い、どのようにして戦禍で荒廃したアフガニスタンの復興のために手を取り合って活動してきたかが、その場にいた人たちの声によって語られている。

 最後を締めくくる予定であったのが、「IX アフガニスタンはどこに向かうのか」におさめられた5章である。この部分は、本書が過去と現在を知るためのものにとどめず、将来、つまり、これからのアフガニスタンを、アフガニスタンの人たちとともに考えるためのものである。補論は、8月の大きな出来事を受けて、急遽、追加されたものである。

 文明の十字路であるアフガニスタンがさまざまな人々や文化によって生み出されたように、本書もまた、アフガニスタンに思いを寄せるさまざまな人たちによって生み出されたものであり、人の手によって編み出された色とりどりの絨緞に例えることができよう。

翻弄されながら生き抜いてきたアフガニスタン

 東の東アジア世界、南のインド世界、西のイラン世界、そして北の中央アジア世界に囲まれ、周辺のさまざまな国や勢力の思惑に翻弄されながらも、独自の国と社会を生み出し、守ってきたアフガニスタン、それを象徴する一文がカーブル国立博物館の正面入り口に掲げられている。

 英語からの日本語訳では「文化が生き残れば、国もまた生き残るであろう」として知られるこの一文、アフガニスタンの公用語であるダリー語の原文から訳せば、「自らの文化を生き続けさせる限り、国は生き続ける 」となる。

 「文明の十字路」という言葉は美しい響きを感じさせるが、博物館に掲げられたこの一文は、さまざまな民族が行き交い、いくつもの王国が登場しては消え、常に周辺の政治権力の影響を受け続けてきたこの土地に住み、そして生き抜いてきた人たちのたくましさを感じさせるものである。

 8月15日のタリバンによる首都カーブル制圧によってさらに混迷を深めつつあるアフガニスタン、本書を通して、その国とそこに住む人たちを知り、そしてアフガニスタンに関わった日本人の思いを知っていただければ幸いである。

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