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「外科的治療」としての少年院 『社会のなかの少年院』(伊藤茂樹)

記事:作品社

『社会のなかの少年院――排除された子どもたちを再び迎えるために』(書影)
『社会のなかの少年院――排除された子どもたちを再び迎えるために』(書影)

社会は「非行少年」たちとどう向き合うべきか

 2021年11月24日、愛知県弥富市の中学校で3年生の男子生徒が同級生を包丁で刺殺するという衝撃的な事件が起こった。こうした事件が起こると、非行少年の処分を行う少年司法制度や少年法についての意見がメディアやインターネットを賑わせる。もちろん議論自体は必要だが、少年法に守られてすぐに社会に戻ってくるとか、更生できるわけがないとか、ずっと閉じ込めておけといった声が席巻しがちで、生産的な議論にはなかなかならない。

 筆者が代表を務める「少年の社会復帰に関する研究会」は、非行少年を収容して矯正教育を行う少年院の調査研究をしてきた。その成果をまとめた近著『社会のなかの「少年院」』(作品社)は、非行少年に対して社会がどのように対処すべきかについての問題提起をねらいとしている。

 こうした議論を行うとき、少年院やそこに収容される非行少年がどういう存在なのかを正しく把握しておくことは当然の前提である。これができていないと議論は噛み合わないが、現実にはそういうことがよくある。

 まず大前提として、今回のような事件は少年非行全体の中ではほんのひと握りに過ぎず、そうしたケースについて考えることも必要であるにせよ、大多数の実像とは異なる。今回の加害者も非行少年の範疇には入るが、きわめて特殊なケースであり、これを一般化して「非行少年像」や処分一般について考えると的外れだったり、危険にすらなりかねない。

小田原少年院の施設(閉鎖)。手前はプール=2018年11月
小田原少年院の施設(閉鎖)。手前はプール=2018年11月

非行少年とはどんな人たちか

 さて、少年院に収容される非行少年とはどんな人たちか。

 すべての非行少年が少年院送致などの「保護処分」を受けるわけではなく、家庭裁判所から検察に「逆送」されて裁判と刑罰を受ける場合もある。家庭裁判所での少年審判を経て少年院に収容されるのは、逆送されて刑罰を受ける重大事件の少年を除けば最も非行性の進んだ者(非行少年全体の3~4%)で、保護処分として矯正教育を受ける。

 この内容や成果については、本書やかつて筆者らがまとめた『現代日本の少年院教育』※を参照いただきたいが、一般にイメージされるより少年院での教育は丁寧に行われ、かなりうまくいっていると私たちは見ている。

 少年院に送致される非行少年の多くは、貧困や虐待などの家族の機能不全に苛まれたり、非行集団や犯罪常習者に搾取されたりといった、重層化した困難を背負っている。つまり、彼らは加害者であると同時に多くは被害的な経験も有している。そして、彼らの受けた被害と行った加害は少なからず連鎖している。その連鎖を断つことは、彼ら自身と(潜在的な)被害者、社会のそれぞれにとって利益になる。

※『現代日本の少年院教育』(広田照幸ほか編、名古屋大学出版会、2012)

「更生」は少年院のなかでは終わらない

 また、非行少年の更生は少年院だけで完遂するわけではない。少年院は閉じられた特殊な環境で矯正教育に専念させられるが、社会に戻ると彼らを非行に走らせた劣悪な環境や誘惑が待っている。また、そもそも仕事や学校などの「居場所」がなければ生きていくこと自体が難しいが、非行をして処分を受けたという事実ゆえそうした場所を得ることは容易でない。そのため、少年院では真面目に教育を受けて更生したかに見えた少年が社会に戻るとすぐに再非行をしてしまうこともある。

 こうした事実に対して、「少年院で少年は演技をしているのではないか」とよく言われ、入院するときに「中では演技をしてやり過ごそう」と考える少年も多い。しかし、このように「本当の自分」と「(演技をする)偽りの自分」を分けて見る人間観は人間という存在を見誤っている。私たちはいつもなにがしか「演技」をしているが、その「演技」は時に「本当の自分」に融合するし、「本当の自分」のはずだった一面がいつしか「演技」であるかのようにリアリティを失うこともある。その意味で「演技か本当か」という問いには意味がない。

満開となった愛知少年院内の桜並木=2020年4月
満開となった愛知少年院内の桜並木=2020年4月

 それはともかく、再非行を防ぐために近年少年院が力を入れているのが「社会復帰支援」である。少年の出院後の希望進路に合わせて就労や修学の道を探したり、自身の障害や家庭の問題に対しては福祉的な支援につなげるべく関係諸機関と連携して動いたりする。少年院を出院(仮退院)した後は「保護観察」に継続するが、これは少年院を所管する法務省「矯正局」とは別の「保護局」の所管で、両者の連携が十分にはなされてこなかった。この連携の実質化や、高校等への進学のハードルを下げるための各教育委員会や学校の協力もようやく現実になり始めている。

 たとえ教育のためとはいえ、少年を施設に拘禁することにはデメリットも少なくない。外からの「ノイズ」を遮断して集中的に教育を行うことで効果は上がりやすいが、施設に入ったことが「スティグマ(烙印)」になれば、教育の効果は相殺されたり、マイナスの方が大きくなってしまうこともある。このことへの懸念から、少年については「施設内処遇」を止めて専ら保護観察などの「社会内処遇」を行っている国もあるが、社会内処遇はより人道的である一方、劣悪な環境や悪影響からの「保護」は容易でない。

「外科的治療」としての少年院

 施設内処遇と社会内処遇は外科的治療/内科的治療に喩えることができるだろう。手術などの外科的治療は侵襲的でリスクや失うものもあるし、入院すれば社会から一時隔絶されるのに対して、投薬中心の内科的治療はそれらが少なく、病気に罹ったときは誰しもこちらですめばよいと願う。

 しかし、重い、あるいは複雑な症状を示す患者に根本的な治療をしようとすれば、外科手術が必要な場合は多い。医療において「外科か内科か」という二者択一は意味がなく、両者は必要に応じて選んだり補い合う関係にある。同様に、罪を犯した人への処遇において「施設内か社会内か」のいずれか一方に限定するのではなく、更生という目的を果たせる可能性を第一に考えて決めるべきである。また、手術をしてもそれだけで完治するわけではなく、術後の内科的なケアも欠かせない。施設内処遇から社会内処遇への連携、継続が重要なのも言うまでもない。

 一般にあまり知られず、イメージや想像で語られがちな少年院だが、非行少年への「外科的治療」として少なからぬ有効性を示している。しかしその効果を活かすも殺すも、これを補う「内科的治療」や、治療を受けた彼らを私たちの社会がどう迎えていくかにかかっている。

 

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