真の国際人、緒方貞子さんのバトンを受け継ぐ
記事:平凡社
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世界中の紛争地を歩いてきた緒方が、静かに執筆に勤しんでいたニューヨークで、信じがたい光景を目にします。2001年9月11日といえば、もうおわかりでしょう。
緒方の自宅はマンハッタンに建つアパートの40階にあり、窓から世界貿易センタービルがよく見えました。朝食が終わって新聞を読んでいたとき、ふと目を上げると、世界貿易センタービルの一棟から煙が出ていました。火事でも起こったのかと思っていると、もう一方の棟が真っ赤な火の玉になりました。乗っ取られた旅客機が突入した瞬間だったのです。
世界を震撼させたアメリカ同時多発テロ事件。まもなく、テロリストをアフガニスタンのタリバン政権が匿っているということがいわれました。緒方は、アメリカがアフガニスタンを対象として対テロ戦争をするということになったら、誰が標的になるのだろうかということが気になったといいます。アフガニスタン国内では1970年代末以来、紛争が絶えず、隣国に220万〜230万人のアフガン難民が逃れていました。
その年の12月に、日本政府は「テロと人間の安全保障」をテーマに、東京で外務省主催の国際シンポジウムを開催し、緒方も人間の安全保障委員会共同議長として参加しました。
現場主義はここでも発揮され、年が明けるとすぐに、緒方は現地を訪れます。年賀状の準備が間に合わず、このような寒中見舞いを出しました。
寒中お見舞い申し上げます
昨年五月以来、ニューヨークに在住、九月十一日の惨事を四十階の寓居から直接目撃しましたが、その後、図らずもアフガン問題に関する日本政府特別代表に任命されましたため、来る一月二十一日から東京で開催予定のアフガン復興会議に先立って、七日よりパキスタン、アフガニスタン、イランを歴訪することとなりました。
このような次第で、年初のご挨拶が遅れましたことをお詫びいたしますとともに、本年も引続きご指導、ご鞭撻を賜りますようあらためてお願い申し上げます。
二〇〇二年厳冬緒方貞子
2002年1月21〜22日には東京で「アフガニスタン復興支援国際会議」が開かれ、緒方はこの会議の共同議長としてイニシアティヴを取りました。このとき、アフガニスタンの「復興」まで視野に入れて議論をまとめ上げたのです。それまでは、軍事行動が終わってから復興に対する努力が試みられてきましたが、戦争が終結する前から軍事行動と復興をリンクした形で国際的な協力を進めたのです。その理由を緒方自身がこう説明しています。
「軍事力で最終的な答えは出ないんです。軍事力を使って、後は本当にその国の国民が自助努力によって自分の社会の安定をもたらし、そしてしっかりした政府をつくる。それによって初めて安定した国というものができますから」
人間の安全保障委員会の成果が報告された『安全保障の今日的課題――人間の安全保障委員会報告書』(2003年)は、同じ年に朝日新聞社から日本語版も出版されました。新たに提唱された概念である「人間の安全保障」の目標について、報告書12ページでは、次のように説明されています。
人とは単に生存することのみではなく、愛や文化や信念を求めるものである。つまり、人間の活動や能力の中心的な部分を守ることだけでなく、個人や社会の潜在能力(capability)を伸ばし、人々が人生のあらゆる局面で情報に基づいた選択を行い、自らのために行動できるようにすることが、「人間の安全保障」の目標であるといえる。だからこそ、「人間の安全保障」の下では、人の生き方を決定するのはその人自身であるとの考え方からすべてが始まっている。「人間の安全保障」は、人間が自らのためになす努力に拠って立ち、これを支えていくものである。
2003年12月、日本語版報告書の出版を記念して開催されたシンポジウム(朝日新聞社・外務省共催)で、緒方貞子が基調講演をしました。外務省のウェブサイト(※)に掲載された、基調講演およびパネリストによる冒頭発言のポイントを抜粋しておきます。
※https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/security/smp_021202.html
(1) グローバル化の進展により、従来の国家主権に基づく考え方では世界が直面している問題の解決が困難であり、人間の安全保障が中心的課題になっていることが強調され、今般のシンポジウムの開催が時宜を得ているとの評価がなされた。
(2) 人間の安全保障を定義する際、上からの「保護的な部分」と下からの「能力強化」の要素を組み合わせると共に、人々が自分の潜在能力を発揮できるような枠組みが必要であるとの考え方が表明された。
(3) 人間の安全保障の考え方は、開発途上国や破綻国家のみに該当するものではなく、先進国にも適用されるものであることが指摘された。
人間の安全保障を説明する枠組みとしての上からの「保護」と下からの「能力強化」について、私は緒方から直に説明してもらったことがあります。この「下から」という説明は、『満州事変―—政策の形成過程』の結論においても使われていたことが興味深く感じられます。
総じて、満州事変前の軍部内における革新運動は「下から」の運動であった。満州事変中においても、関東軍幕僚の上司を無視した反抗的な政策決定の態度は、この「下から」の圧力傾向と軌を一にするものであった。満州事変はすでに論じたように思想的に国家社会主義運動の系譜に属していたのみならず、行動形態の面からみても「下から」の反抗運動の一部をなすものであった。
(347ページ)
1931年に勃発した満州事変は、日本を破滅的な戦争へと導きました。70年後の2001年、緒方が「人間の安全保障」という概念を説明するために「下から」の能力開発の重要性を提唱したのは、歴史に学んだことを実際の課題の解決に応用していたのかもしれないと思うのです。
緒方がUNHCRを率いた1990年代は、それまでの国家形態が変化し、そこで暮らしている人びとの所属がはっきりしなくなりました。それとともに、それまであった秩序が崩壊した後、指導者として権力を掌握しようとするグループが台頭し、国内紛争が増えた時代でした。不安定な状況の中でも、私たちは少しでも人びとが安全に普通に暮らせるように、どのように守っていけるかを模索しつつ活動を続けました。
そのような状況を背景にして生まれた「人間の安全保障」は、“人びと”に焦点を当てた概念なのです。
大事なのは……、“人びと”です。“人間”です。人びとというものを中心に据えて、安全においても繁栄についても、考えていかなきゃならないということは痛感しましたね。国連の場合は国家間機関ゆえに、国と国との話し合いというものが安保理の中にはあったのですが、それだけでものが解決するのではなくて、その国の中に、あるいは裏に、人びとがいるということを考えないとだめなのです。人びとというものを頭に置かないで、威張って国を運営できる時代ではないのですよ。
(『緒方貞子 戦争が終わらないこの世界で』215ページ)