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ブラジルの精神 交ざり合うことを美徳とする

「アマゾナス 2015」©渋谷敦志

 ブラジルという建物があるのなら、正面玄関からは入りたくない。観光客のためにとり繕ったピカピカの玄関は、ブラジルの気取らない親しさや素朴な優しさにそぐわない。正面玄関には「オリンピック!」と大書され、地面には「政治混乱」とか「治安悪化」とか「疫病」とかいった抗議の旗の切れ端が残っていたりする。祭典の華麗さに酔うにせよ、社会のネガティブな側面に身を引き締めるにせよ、それはあまりに紋切り型のいまのブラジルでしかない。
 ブラジルと名づけられた国ではなく、「ブラジル」という精神の共同体がたしかにあると私は思いつづけてきた。ブラジルの、あまり知られていない日常の通用門である。インディオの大地を征服した16世紀のポルトガル。サトウキビ農園への黒人奴隷の導入と混血化。植民地の終焉(しゅうえん)と奴隷解放によってリオデジャネイロやサンパウロのような都会が華やぐ。19世紀のイタリアやドイツ移民。20世紀になるとレバノンや日本などアジアから多くの移民を受け入れた。複雑な歴史のなかで「精神の共同体」としてのブラジルが生まれた。単一の過去の根に拘泥しない。交ざり合うことを美徳とする。何ごとも永遠には続かない。だから成功ではなく、楽しく生き延びることに力を傾ける。愛するものに序列をつけず、すべてをあまねく愛する。規則ではなく人の心を信ずる……。

喪失による覚醒

 そんなブラジルという精神のありようを、どの本よりも見事に語るのがレヴィ=ストロースの不朽の名著『悲しき熱帯』Ⅰ・Ⅱ(川田順造訳、中公クラシックス・1566円、1674円)である。刊行から60年経ても、その記述の深さと精確(せいかく)さは色あせない。フランスからサンパウロ大学に教えに行った人類学者の、都市とインディオ世界とを往還しながら書き綴(つづ)られたブラジルへの深い省察。近代の「時」が先住民と都市とを、ともに激烈な勢いで押し流してゆく「悲しさ」のなかに、レヴィ=ストロースは技術文明の進化とは違う、人類が生き延びるために覚醒すべき、つつましい希望の精神のありかを予言した。写真集『ブラジルへの郷愁』に描かれたインディオの姿とサンパウロのくすんだ都市景観の対照のなかから、喪失によって目覚める新たな思想の萌芽(ほうが)が感じとられる。ブラジルは未来の大地である。「産業化社会の後」を展望するための。
 ブラジルの魅力的な裏木戸を入ってくるのは詩人が多い。『めずらしい花 ありふれた花』は、20世紀アメリカの透徹した女性詩人エリザベス・ビショップと、そのリオでの愛人となった建築家ロタ・ヂ・マセード・ソアレスとの出会いと別れを描いた美しくも哀(かな)しい物語。2人のボヘミアンで個性的な女性の情熱と機知とが、新資料と周囲の人々の証言から繊細に浮かび上がる。

結ばれる「記憶」

 半世紀に及ぶ詩業がいま際立つ詩人吉増剛造。『ブラジル日記』は、2年の滞在のなかで詩人の心に浸透するブラジル精神の細部を描きだす。荒野に林立する蟻塚(ありづか)の傍らに座って、大地の頭脳のような塔の内部でうごめく蟻たちが目撃してきた長大な時間に思いを馳(は)せる。市場の物売りの大音声に聞き惚(ほ)れながら、その喧騒(けんそう)のなかに、海を渡ってきたブラジル人たちの祖先の耳に残った波音を探しあてる。私たちの記憶が不意に未知のブラジルに結ばれる。
 若き写真家渋谷敦志の『回帰するブラジル』(瀬戸内人・3996円)。瑞々(みずみず)しい写真群を見ると、ブラジル精神が脈々と新たな創造の現場に受け継がれているのを確信する。飾らない風景。衒(てら)いのない人々。眼(め)による鮮烈な「発見」の昂揚(こうよう)が、読者にも分け与えられる。=朝日新聞2016年7月31日掲載