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癒えない傷あと――希望の光、再生への旅(上)

記事:春秋社

籠原あき著『あなたはどこにいるのか』
籠原あき著『あなたはどこにいるのか』

 手入れされないままの我が家の庭にも臘梅が香り、山茱萸の黄金の花がこぼれ、やがてするすると利休梅の蕾が垂れて、緑の花心を包む羽衣のような花びらが開く。初夏は爽やかにやってくる。

 この春、私は春秋社から『あなたはどこにいるのか』の出版を目前に、校正に追われていた。ロシアの大統領は隣国ベラルーシとの軍事演習に名を借りてウクライナ国境を包囲し、2月24日、ついに侵攻のゴーサインを出した。21世紀の世に正気の決断かと、世界は騒然となり、その経過は日々トップニュースで報道された。

 突然攻撃に見舞われたウクライナの人々へ注がれる世界の同情は当然といえる。国外に逃れる人々も多かったが、逃げられない人たちもいた。ロシア軍は当初から、民間人も見境なく攻撃していたからだ。

 しかし、その衝撃から3カ月が過ぎ、日本での報道は新聞の片隅に追いやられている。ロシアに制圧されたマリウポリの人々の絶望はいかばかりであろう。バスでロシアに連行された住民たち。投降した兵士には更に過酷な試練が待っていよう。新たな恐怖の中で彼らは祖国を後にする。食べ物や日用品は届くのか、眠れるのか、病気や怪我の子どもたちは守られるのか。恐らく難民の人権が守られることはないだろう。

戦争は終わらない…

 『あなたはどこにいるのか』には何人かの主人公が登場する。家族とともに開拓団に加わり、敗戦後自分一人だけ生き残って帰国した少年もいる。国の奨励で満州開拓に赴いた人たちは国境周辺にばらまかれ、敗戦翌年の帰国までに4割に近い人たちが命を落としている。それ以外に残留婦人、残留孤児として中国に残された人たちも多かった。

 五族協和を信じて満州へ渡った青年が、敗戦後中国人から、侵略した日本への憎しみを一身に受ける場面がある。侵略を受けた側の怒りは、受けた者にしかわからない。その怒りを我が身に置き換え、与えた傷を知ることでしか新たな信頼は築けない。

 日本はかつて、大韓帝国を35年間、植民地支配した。韓国の人々の恨みに日本は心から謝罪の言葉を伝えてきたのだろうか。

 あの戦争で日本は原爆を投下され、空襲で家も人も焼かれ、沖縄戦では無差別極まりない砲弾を雨のごとく浴びた。自分たちは被害者だとその人々は思っているが、日本の国の立ち位置はそうではない。韓国を支配し、中国、東南アジアへの侵略者でもあった。しかもドイツ、イタリアと軍事同盟を結び、三国がそれぞれの場所で同時に戦争を起せば、相手方連合国の反撃をかわし得ると踏んだはずである。何処の国でも、国の責任者は自国の都合の悪いことを国民に知らせない。国民はそのことを知っておく必要がある。

中国の大地

シベリアの風、異国の丘

 5年ほど前になるが、私は厚労省が関わった戦没者慰霊の旅に加わってシベリアを訪れた。父は開拓団で現地召集を受け、翌年1月にシベリアで戦病死したと聞いていた。その場所は定かではなかった。

 羽田からハバロフスクに飛び1泊して、翌日飛行機で5時間かけてシベリア中央のノヴォシビルスク空港に着いた。空港から真南にカザフスタンとの国境がある。バスで半日以上かかった。その近くに今は閉鎖された鉱山があり、捕虜収容所もあったという。父たちはそこで働かされたのだろう。その場所へ行くことは出来なかった。

 私たちは国境警備隊の大きな施設のすぐ隣に案内された。そこには漢字が刻まれた白い墓石が建っていた。この地から帰国した日本兵の何人かが、後年訪れて、ここに建てた墓だと聞いた。

 その日はよく晴れて透き通った空に激しい風が吹き荒れていた。風は周りに植えられた白樺の枝を折らんばかりに揺すっていた。命を落とした兵たちが声なきシベリアの風となって、よく来た、待っていたぞと、涙混じりに私たちを迎えてくれたにちがいなかった。

 その風の中、国境警備兵や集まった住民たちが見守る中で、私たちは「異国の丘」と「ふるさと」を歌って墓標に別れを告げてきた。

 今、戦闘の止むことのないウクライナの人々のために出来ることは祈ることだけである。愚かなことを何度繰り返すのか、それが解らない人たちのためにも祈るしかない。闘いが止んでいつの日か、ウクライナの地に再び黄金の向日葵が咲き、一面の小麦畑が色づく日が来るとしても、人々が受けた傷の傷みは決して癒えることはないのだから。

(下につづく)

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