優生保護法とは何か――荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』
記事:筑摩書房
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2018年から19年にかけて、世間から忘れられかけていた一つの法律がメディアを賑わせました。優生保護法です。
この法律は1948年に制定され、1996年まで存在し、現在は母体保護法という法律に改定されています。この優生保護法とは、どのような問題をはらんでいたのでしょうか。まずはその点を確認しましょう。
長年、同法の問題を指摘し続けてきた団体「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」のホームページには、次のような説明があります。
優生保護法は、2つの目的をもった法律でした。一つは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」 ―― 病気や障害をもつ子どもが生まれてこないようにする、という意味。もう一つは「母性の生命健康を保護する」 ―― 女性の、妊娠・出産する機能を保護するという意味です。この2つの目的のために、不妊手術と人工妊娠中絶を行う条件と、避妊具の販売・指導についてを定めたのが、優生保護法なのです。
優生保護法が制定された1948年は、第二次世界大戦敗戦後の人口増加が社会問題となっていました(1947〜49年の出生数の急増は「ベビーブーム」と呼ばれています)。こうした事態に対応するため、人口抑制策として人工妊娠中絶の合法化がはかられたのです。
実は、日本には現在に至るまで、刑法に堕胎罪が存在し、人工妊娠中絶は刑事罰の対象となっています。しかし、ある一定の条件を満たした場合には堕胎罪の適用を免れるという措置によって、実質的に中絶を行なえるようになっています。その条件を定めたのが優生保護法でした。
敗戦直後の日本は大変な混乱期にありましたから、子どもが生まれると生活が立ちゆかなくなってしまう人や、性暴力などにより望まない妊娠を強いられた女性が少なくありませんでした。戦前の法制度では中絶は禁じられていたので(「産めよ増やせよ」という人口増加策が採られていました)、女性たちの中には危険な「ヤミ中絶」に頼り、心や身体に深刻な傷を負ったり、命を落としたりする人もいました。
こうした社会状況に対応するために作られたのが優生保護法です。当時の国会としては珍しく、この法律は議員立法によって作られました。同法成立に尽力した議員には、産婦人科医も含まれています。
「人口の増加を抑制する」という目的を持った優生保護法は、実はもう一つ、「人口の質を高める」という目的も持っていました。同法第一条には、その目的が次のように記されています。
この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
傍点部にある〈優生〉とは、言うまでもなく「優生学」に由来する概念です。「優生学」というイデオロギーによって、これまで世界各地で障害者への人権侵害がなされてきたことは周知の通りです。
代表的な事例でいえば、ナチスドイツの「T4計画」などが上げられるでしょう。障害者の存在によって多大な負担を強いられる家族や社会を救うため、また、劣悪な遺伝が子孫へと受け継がれることを防止するため、という目的で、多くの障害者たちがガス室へと送られました。
ナチスドイツによる障害者虐殺の犠牲者数は、一説には27万5000人にのぼるとされています(『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』)。また、こうした障害者虐殺がユダヤ人虐殺へとつながっていった点も指摘されています(『それはホロコーストの〝リハーサル〞だった』)。
優生保護法は、戦前に作られた国民優生法(1940年)を下敷きにしていますが、この国民優生法はナチスドイツの遺伝病子孫予防法(1933年)を参考に作られたものでした。日本にも、凄惨な悲劇を生んだイデオロギーと結びついた法律が1996年まで存在していたという点を、私たちは忘れるべきではありません。
優生保護法という法律によって、特に知的障害者と精神障害者を中心に、多くの障害者たちが不妊手術や中絶手術を受けさせられてきました(以下、こうした手術を不妊手術等と表記します)。
この問題の解明に取り組んだ毎日新聞取材班による『強制不妊』によれば、優生手術の被害者数は1万6000人(本人の同意を経た手術を含めれば2万5000人)ともいわれ、中には9歳の少女も含まれていました。
これらの手術の中には、優生保護法の規定から逸脱した事例も少なくありません。
例えば「素行不良」とされた人物が「精神疾患」という理由で不妊手術を受けさせられたり、法律の規定に含まれない「ろう者」が対象となったり、身体障害のある女性が「月経介助の手間を軽減するため」という理由で子宮摘出手術を受けさせられたり、様々な拡大解釈や恣意的運用がなされてきたことがわかりました。
また、同法には「未成年者」「精神病者」「精神薄弱者」に対して、本人の同意を得ることなく手術できるという規定もあり、監督官庁である厚生省からは「欺罔」をもちいてもよい(つまり本人をだまして手術を受けさせてよい)という通知が出されていました。人権尊重の観点から、極めて問題のある運用がなされてきたのです。
この法律のもとで、どのような悲劇が生みだされてきたのか。自分の身体に、あるいは自分の大切な人の身体に、何がなされたのか。そのことを明らかにしたいという意志を抱いた人たちによって、優生保護法下で行なわれた不妊手術等の実態を明らかにすべく、国家賠償請求訴訟が起こされました。それが2018年から19年にかけての出来事だったのです。
(優生保護法の問題と、国家賠償請求訴訟が提訴されるまでの経緯については、前掲『強制不妊』のほか、優生手術に対する謝罪を求める会編『優生保護法が犯した罪』を参照。)
実は、障害者への不妊手術等の問題は、これまでにもたびたび話題になってきたのですが、大きな世論を喚起するまでには至りませんでした。理由の一つには、この問題が「障害者」という「特定の少数者」に起きた「特殊な問題」として受け止められてきたことがあげられるでしょう。
また、「障害者が子どもを作っても育てられない」「生まれた子どもが不幸になる」といった価値観は、いまなお根強く存在しています。
実際には、様々なサポートを得ながら子どもを産み育てている障害者もたくさんいるのですが(そもそも第三者からのサポートを得ずに子どもを産み育てることは、障害の有無にかかわらず誰にとっても困難です)、そうした人たちへの風当たりも、まだまだ強いものがあります。
「障害者は子どもを産まない(産むべきでない)」という社会の常識が、優生保護法に対する世間の無関心を醸成してきたのかもしれません。
しかしながら、特に2010年代以降、この社会では「産む」という営みに対する関心が極めて高くなってきました。
その背景には、少子化の問題、待機児童等の保育行政の問題、女性の社会参加の問題、公職者や管理職における女性比率の問題、育児と仕事に関わるワーク・ライフ・バランスの問題、職場や社会でのマタニティー・ハラスメントの問題、不妊治療や生殖医療への関心の高まり、多様なカップルのあり方(「事実婚」「同性婚」等)への関心の高まり等の社会的要因が影響しているでしょう。
結果的に、優生保護法に基づく不妊手術等も、障害者に特有の問題として捉えられたわけではなく、「生まれてよい生命」と「生まれるべきでない生命」、「産んでよい人」と「産むべきでない人」を、法律という国のルールによって規定したり、切り分けたりすることへの違和感として受けとめられ、大きな関心事となったのではないでしょうか。
あるいは、この社会がもはや「誰にとっても産み育てにくい」ものになってしまったがゆえに、「産ませない」という圧力に対する感度のようなものが高まったのかもしれません。
優生保護法による不妊手術等の問題は、歴史の厚い壁に閉ざされ、被害者たちは沈黙を強いられてきました。理由としては、被害者にとってあまりにも辛い経験であったために、配偶者などの近しい人物にも打ち明けられずにいたり、一刻も早く忘れてしまいたいという気持から記憶に蓋をしてしまったり、といったことが考えられます。
また、手術自体が本人に説明されずに行なわれていたり、知的障害者の場合には手術の意味を理解することが難しかったりといった問題もあり、被害者が証言すること自体、困難な状況が長らく続いていました。
そうした困難を押し切って貴重な証言がなされても、それを裏付ける資料が残されていない(業務を担った地方自治体によって破棄されていたり、まともな管理がされず発見が遅れたり)といった問題もあり、不妊手術等の実態解明は困難を極めています(前掲『強制不妊』)。
ただし、実際に手術を強いられた障害者たちが完全に沈黙していたわけではない、という点は強調しておきたいと思います。例えば、障害者による文学作品には、こうした手術がテーマとなったものが散見されます。
次の短歌は、月経介助の手間を軽減するために、子宮摘出手術を受けた(受けさせられた)脳性マヒ者が詠んだものです。
メンスなくする手術受けよとわれに勧むる看護婦の口調やや軽々し
女などに生まれし故と哀しみつつ子宮摘出の手術うけ居り
わが子宮の常の人より小さしと医師は指もて形をしめす
男の子の如髪刈り上げてメンスなき日日を過せり命空しく
(長田文子『癒ゆるなき身の』)
障害者たちの文学作品には、こうした心情がしばしば描かれています。特に優生保護法によって不妊手術等の対象と規定されていたハンセン病者たちの作品には、手術の痛みや哀しみをテーマにした作品がかなりの厚みで存在しています。
みじめな裸体の重なる風景
荒あらしい医師のメスが
嘆き叫ぶザーメン・ストラングを切除した
その悲しい叫喚が
ふと
反抗の本体のようにも思われたのに……
疲れた裸木のように 夢は虚しく燃焼する(北原紀夫「廃者の領域 2 モルモットの眼」部分)
ハンセン病者にとっては、不妊手術を受けることが、療養所内における「結婚の条件」とされていました。愛するパートナーと一緒になるために冷たいメスを受け入れねばならないという葛藤が、こうした作品に結晶化したのです(荒井裕樹『隔離の文学』)。
優生保護法の運用にあたった官僚や医師に対して取材を重ねた前掲『強制不妊』には、当の官僚・医師たちの多くが「当時は適法だった」と証言した旨が記されています。
確かに、かつては優生保護法が存在したわけですから、その意味では不妊手術等も「業務」として行なわれたものだったでしょう。しかし、たとえ「当時は適法だった」としても、そこに存在したであろう本人たちの痛みや哀しみをなかったことにしてよいことにはなりません。
こうした障害者たちの声が、長らく「償われるべき被害」として受け止められてこなかったことの意味を、私たちは考えなければなりません。