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相模原事件が問うもの 少数派の排除、暴力を生む

「津久井やまゆり園」の正門前に設けられた献花台に花を手向ける人

 7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所していた19人の方々が尊い命を失うという、痛ましい事件が起きた。生まれつき脳性まひという障害を持ち、車いすで生活する私にとって、この事件の衝撃は大きかった。
 私が生まれた1970年代は、脳性まひの子どもが生まれると早期のリハビリで、なるべく健常児に近づけようとするのが一般的だった。もし健常児に近づけなければ、親亡き後、人里離れた大規模施設に入るしかない。当時の、一部の介助者や支援者の愛や正義を笠に着た、うまくリハビリの課題に応えられない寝たきりの私たちを足で踏みつけるなどの暴力。それに対して何もできない怒りと無力感が、緊張とも弛緩(しかん)ともつかない、内臓が落ちそうな感覚にさせた。事件は、あの日々に私を連れ戻すのに十分なものだった。事件報道に触れ、あの頃の身体感覚がよみがえり、街ゆく人々が急に自分を襲ったりしないかと、身構えるような感覚を覚えた。

愛と正義を否定

 70年前後の重度障害者が置かれていた状況を知る上で一読を薦めたいのが『障害者殺しの思想』である。筆者の横田弘は、思想的な深さとラディカルさで注目された脳性まひの当事者団体「青い芝の会」神奈川県連合会のリーダー的存在だった。彼は会の行動綱領に、「われらは愛と正義を否定する」と掲げた。今回の容疑者のロジックにも見て取れるように、障害者は悪意というより、愛と正義に基づいて殺されうる存在だという事実を鋭く指摘している。
 事件後、薬物依存症の自助活動をするダルク女性ハウスの上岡陽江さんから、「友達やめないでね」というメッセージが届いた。これは二度目の衝撃だった。当事者研究を通して立場を超えて深めてきた連帯に、ヒビが入りかねないと感じたからだ。この言葉は、脳性まひ当事者の私を被害者側と同一視し、薬物依存経験者を容疑者側に同一視する世間の眼差(まなざ)しをふまえてのことだったと思う。大麻の使用が犯行の要因だったのではないかとか、措置入院制度見直しを巡る議論の中で、私と上岡さんたちを分断しようとする視線が作用しているのだ。

依存先の少なさ

 しかし、『その後の不自由』を読めば、依存症者の多くは、自ら暴力の被害者であることが多く、結果信頼して他者に依存できなくなるからこそ、消去法的に物質に依存するしかない状況に置かれていると分かる。少ない依存先という点では、健常者向けにできている社会で、家族や施設にしか頼ることのできない重度障害者と変わらない。
 介助者もまた依存先が少ない。『介助者たちは、どう生きていくのか』で、自らも介助者である渡邉は、孤立と過酷な労働環境の中で追い詰められていく介助労働者の姿を描いている。元施設職員の容疑者がどのような状況におかれていたか分からないが、安全管理目的で施設が閉鎖的になり、介助者と障害者が密室的な関係に陥ると、暴力を呼び寄せやすくなるだろう。
 障害の有無を越えて、「不要とされるのではないか」という不安に取りつかれた現代人は、今、岐路に立たされている。弱い立場にある人を、資源を奪い合う存在として排除するのか、それとも、同質の不安を抱えた仲間として支え合うのか。
 障害者も、依存症者も、介助者も、社会の周縁に置かれた依存先の少ない密室では、暴力の加害者にも被害者にもなりうる。社会が一部の少数派を排除して、自らがクリーンに戻ったという幻想を抱くのではなく、まさにその排除こそが暴力を生むという事実に目を向けるべき時期だろう。すべての人の依存先を多く保つ社会が求められる。=朝日新聞2016年10月16日掲載