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ゆらぐ死生観...医師が懸念する現代人の死に対する意識「ピンピンコロリはますます難しくなる」

記事:晶文社

健康なまま長生きすることが難しくなっている...。未来には「積極的な死」が増えてくる?
健康なまま長生きすることが難しくなっている...。未来には「積極的な死」が増えてくる?

「突然死」が減少した現代

 21世紀の今、死に対する意識はまだ、祖父母や親世代と同じ人が多いのではないでしょうか。人はいつ死ぬかわからない。がんになったら人生はもう終わりだと思っている人もいると思います。

 実際には、適度な食事と運動を心がけていれば、多くの人が長生きする時代になりました。たとえ病気になっても、早期発見して適切な治療を受けることができれば、回復の見込みがあります。完治は無理でも、日常生活にあまり支障のない範囲で病気と共存して生きていくことができるのです。

 病気をきっかけに「生のあり方」が変わる人もいます。私の高校の同級生で親友の小霜和也君が、まさに「生のあり方」を変えた人です。

 小霜君は2013年に「軟部肉腫」と呼ばれる希少がんと診断され、15時間にも及ぶ大手術を受けました。入院中はがんの手術だけでも大変なのに、感染症による緊急手術まで受けています。退院後は障害者4級となり、日常生活を送る上でさまざまな苦労があったと聞きました。

 それでも小霜君は、自分らしく生きることをあきらめませんでした。退院後、「残りの人生を前向きにとらえるようになった」と話していた彼は、仕事にいっそう打ち込みます。その結果、彼のビジネスはがんにかかる前より、さらに好調になっていきました。年間売上の最高額を更新したのは大病を経験したあとだったそうです。こうした成功は本人のがんばりがあってこそですが、医療技術の進歩も無視できない要因の一つだと思います。

 小霜君のように力強く生きられる人ばかりではないことは理解しています。大病をして彼のような生き方ができる人は、むしろ少数かもしれません。私自身、自分が大病にかかったあと、病気になる前と同じように仕事ができるかどうかは自信がありません。

 それでも現代は、がんとわかってから数年〜数十年生きられるケースが増えている時代です。それを理解していることで、「生のあり方」を変えられる人は増えるでしょう。病気になったからといって自分のしたいことをあきらめたり、周りに遠慮したりすることはないと知ってほしいと思います。

ピンピンコロリはますます難しくなっていく

 従来、日本人の理想の死に方は「ピンピンコロリ」(PPK)だと言われてきました。PPKは、さっきまでピンピンして元気だったのに、急性疾患によって突然コロリと死ぬことを指しています。現代は日本人の体力が向上し、平均寿命が延びましたから、PPKをとおり越し、PPPPPKが理想と言ってもいいかもしれません。

 ところが、このKが難しいのです。かつて臨床の現場にいた医師としての実感から言っても、PPKで死ねる人はごく一握りだと思います。PとKのあいだに、老化による心身の不調が割り込んできているからです。

 今後、多くの人が長生きするようになるものの、最終的には人の手を借りなければ生活できないほど衰え、弱った身体とともに長い期間を過ごすことになるでしょう。長くゆるやかな坂をゆっくりと下っていくようにして死を迎えることになります。

 死を迎えるまでのあいだに、認知症を発症する人もいるでしょう。認知症は一般的に、年齢を重ねるほど発症率は上がっていきます。臓器に寿命があるように、脳にも寿命があるという前提に立てば、たとえ認知症の有効な治療薬が開発されたとしても、脳の老化を永久に止めたり、若返らせたりすることはできないというのが私の考えです。

 「死なない時代」に生きる私たちは、脳を含めたすべての臓器が限界まで老朽化して、ようやく死を迎えることになります。このような死のあり方は、人類誕生以来、初めてのことです。私たちは未知の領域で死を迎えることになるのです。

21世紀の今、「死」のあり方が変わりつつある

 精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは1969年に出版した『死ぬ瞬間』の中で、不治の病を告知された患者さんたちが死に至るまでにどのような過程をたどるかを解き明かし、大きな話題となりました。

 キューブラー・ロスは、絶望的な知らせを聞いた患者さんたちは五つの段階を経て死を迎えると考えました(図1)。

図1 キューブラー・ロスの「死の受容5段階説」(『死ぬ瞬間――死とその過程について』〔中公文庫、鈴木晶訳、2020年改版〕をもとに作成)
図1 キューブラー・ロスの「死の受容5段階説」(『死ぬ瞬間――死とその過程について』〔中公文庫、鈴木晶訳、2020年改版〕をもとに作成)

 日本では戦後、平均寿命が延びるにしたがって死因の第1位にがんが登場するようになります。当時のがん研究はまだ有効な治療法を見出せておらず、がんの告知は「死の宣告」に等しいものでした。

 急性の心疾患や脳疾患に対する治療法もまだ確立されておらず、救急医療体制は今ほど充実していませんでした。したがって突然死も多かったと思われます。

 死のプロセスはどんな時代であっても人それぞれ、少しずつ異なっているものです。が、本書ではあえて当時の医学の発達状況に応じた類型化を試みてみます。そうすると「20世紀の典型的な死のプロセス」は表1のようになると思います。

表1 20世紀の典型的な死のプロセス
表1 20世紀の典型的な死のプロセス

 しかし、21世紀を生きる我々の目から見ると、「20世紀の死のプロセス」はすでに過去のものになりつつあると感じられます。

 なぜなら、突然死が激減しているため、①突然死型が減っているのは明らかです。医学の進歩にともなって「不治の病」は大幅に減りましたから、「死の受容5段階」をたどる②恐怖型も少なくなっていると思われます。

 一方、現代には新しい死のプロセスが登場し始めています。表2は、私の考える未来の典型的な死のプロセスです。

表2 未来の典型的な死のプロセス
表2 未来の典型的な死のプロセス

 ①老衰型は、2022年に生きる私たちの身の回りでもすでに多く見られます。

 ②自己決定型は、安楽死が合法化されていない現在の日本はこの状況ではありませんが、人生100年、120年が現実になればどうでしょうか。身体や認知機能の衰えから肉体的苦痛、孤独や不安にとらわれる高齢者が今以上に多くなることが予想されます。日本ではまだ安楽死の議論は進んでいませんが、「死なない時代」に自死は重要な選択肢となりうる、と私は考えています。実際、海外ではすでに安楽死が合法化されている国や地域があります。日本にも、安楽死が合法化されているスイスに渡航して安楽死をした方が複数います。

 もちろん、「20世紀の典型的な死のプロセス」も完全になくなったわけではありません。

 つまり、現代は「20世紀の典型的な死のプロセス」と「未来の典型的な死のプロセス」が混じり合った時代なのです。私たちは、死のあり方が変わりつつある過渡期の「目撃者」と言えるでしょう。

昔よりほぼ確実に長生きし、お金のかかる老後が待っている日本人の未来

 「20世紀の典型的な死のプロセス」と「未来の典型的な死のプロセス」には、いくつかの大きな違いがあります。

 20世紀の死は、①突然死型にせよ、②恐怖型にせよ、事前の予測がつかないのが特徴です。充実した救急医療体制も有効な治療法もなく、抗いたくても抗うことはできません。病気になった人はほとんど為すすべもなく、死ぬにまかせるしかありませんでした。

 それに比べると、未来の死のプロセスは事前にある程度の予測を立てることができます。医学の発達によって、乳児死亡率は極端に低くなりました。ほとんどの人が成人して、平均寿命が50歳程度だった時代なら、間違いなく「長寿」と呼ばれたであろう90歳、100歳という高齢まで生きます。人間が高齢化した末にどのような経過をたどって死を迎えるか、何歳ぐらいを境にどんな病気や不調に見舞われやすいかというデータもあります。知識があれば、晩年に起こりうる骨折や認知症に備えて準備をすることもできるのです。

 もちろん、人がいつ、どのように死ぬかは誰にもわかりません。それは今も昔も変わらない事実です。それでも、20世紀の死のプロセスにくらべれば未来の死のプロセスは見通しを立てやすくなっていると思うのです。

 ただし、死ぬ直前までずっと健康を保てるわけではありません。年齢が上がれば上がるほど発症率も上がるがんや認知症のような病気になることが増えていく。それをコントロールするために病院や薬のお世話になることも増える。そうしてゆっくりと衰えていき、やがて死に至るからです。

奥真也著『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(晶文社刊) 好評発売中
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 「20世紀の典型的な死のプロセス」と「未来の典型的な死のプロセス」では、かかる医療費の額も変わってきます。

 日本の公的医療制度は戦後、さまざまな変遷を経て、今のかたちになっています。かつては、高齢者の自己負担がゼロだった時期もありました。自己負担割合の少ない一昔前なら、高齢者は病院にかかり放題で、医療費の心配をする人は少なかったでしょう。友人とおしゃべりするために通院する高齢者もいたほどです。

 しかし、高齢者を含めた個人の負担割合は今後、上がりはしても下がることはありません。そんな状況のなか平均寿命は大幅に延び、病院や薬は今まで以上に必須となる人が増えるのです。今までと同じ感覚で気軽に病院へ行っていると、お金はどんどん出ていってしまいます。

 昔よりほぼ確実に長生きし、お金のかかる老後が待っている未来の日本人は、死生観を更新しておかないと晩年につらい思いをするかもしれません。なぜなら、現実と私たちを取り巻く医療の状況のあいだにギャップが出てきているからです。

【奥真也著『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』の第3章から抜粋】

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