ひとりの老後を応援するNPO団体を主宰する松原惇子の『長生き地獄』によれば、50~80代単身女性への調査で半数以上が長生きしたくないと回答したという。体力低下や認知症、経済不安など理由はさまざま。母親に延命措置を施したことを悩む一人の女性は語った。「わたしは安楽死を望みます。早く、日本でも安楽死を認めてほしい」
私たちが安楽死という場合、本人の意思に基づき自ら致死性の薬物を用いたり、医師が幇助(ほうじょ)して死に至らしめることをいう。日本では無理に医師に頼んで実行すれば、医師が殺人罪に問われる。一方、オランダやスイス、ベルギーやアメリカの一部の州で法制化され、一定の条件を満たせば認められる。
寝たきり老人のベッドが並ぶ療養病棟や人員不足にあえぐ介護施設を取材してきた松原は、安楽死に希望を抱いてオランダに渡る。半身不随の母親に頼まれてかかりつけ医である娘がモルヒネで死なせて有罪判決を受けた事件を機に、約30年の議論を経て、2002年に世界で初めて合法化した国である。
条件は厳しい。末期であること、意思表示できること、かかりつけ医が委員会にレポートを提出して許可を得る、等々。自己決定は尊重されるが簡単には死ねない。本人にとり一番の幸せは何かを慎重に問うためだ。松原はこれを「(苦しむ)他者を思う愛」と表現し、日本に足りないものではないかと問う。
欧米の現場では
安楽死ができない日本は「死」の後進国なのか。講談社ノンフィクション賞受賞作、宮下洋一の『安楽死を遂げるまで』は手がかりをくれる。自殺幇助を行うスイスの医師との対話を縦軸に各国の現場を取材。冒頭、点滴薬を自ら注入し、苦しむことなく20秒で息絶えた患者の姿は衝撃的だ。動画サイトで自死を宣言して実行した米国の女性や、安楽死を認めないスペインで長い寝たきり生活の末に安楽死を遂げた男性の遺族を訪ね、死が周囲に与える影響を探る。
認知症はオランダでも大きな課題だ。早期のうちに耐えられない精神的な痛みだと認められて安楽死した男性の遺族は「美しい死に方だった」と誇りにしていた。安楽死を望む背景に家族関係の薄さを感じていた著者は驚く。死は誰のものか。著者の疑問は読者の問いに重なる。
昨年、橋田壽賀子の『安楽死で死なせて下さい』(文春新書・864円)が話題になったとき、在宅医療に携わる人々から異論が上がった。無理な延命措置をせずに適切な緩和ケアを行えば、自宅で穏やかに死を迎えられるというのだ。
自宅で朗らかに
日本在宅ホスピス協会会長・小笠原文雄の『なんとめでたいご臨終』は驚きに満ちた症例集だ。末期がんでも認知症でも、単身者でもお金がない人でも、自宅で朗らかに死んでいく。
仕組みがある。夜間だけ深く眠る「夜間セデーション」、痛みを自分で調節する「PCA」、要にあるのは医療介護の多職種が連携して見守るシステムだ。延命治療も話し合って記録に残す。認知症でも元気な頃に書面に書くか、家族に伝えていれば尊重される。小笠原は一人暮らしの末期がん患者にいう。「よく寝て、心と身体を暖めて、笑うこと。そうすれば免疫力も上がって笑顔で長生き。寝たきりになったら3日で死ぬよ」
臨終直後に遺体を囲んで家族や友人がピースをする写真に度肝を抜かれるが、やがて謎は解ける。もちろん離別は悲しい。でも旅立つ人が「希望死、満足死、納得死」できたら遺族も笑顔で見送ることができるのだ。
心身共に限界が訪れたとき、楽に死なせてもらえる方法があれば安心して生きられる。それは安楽死なのか、それとも別の何かか。「笑顔でピース」を理想論と片付けるのはまだ早い。=朝日新聞2018年12月1日掲載