あなたがその行動をしたのはなぜか?―行動の理由と変容を考える「学習心理学」をまなぶ
記事:朝倉書店
記事:朝倉書店
あなたの人生の話をしよう。
我々は毎日、さまざまな行動をしている。朝ベッドから起きだし、朝食をとって身支度をし、学校や職場へ行く。友人と会話し、仕事や勉強をする。本を読んだり音楽を聴いたり、映画を観たりもする。これらはすべて行動である。また、友人との会話で笑い、強面の上司を見て不安になり、映画に感動して泣く、といったものも行動である。これは動物たちも同様である。イヌやネコもまた、さまざまな行動を示す。帰宅したあなたにじゃれついてきたり、道端であなたを見て逃げ出したりというイヌやネコの行動を経験した人は多いだろう。我々の人生は、行動の集合である。
こうした行動は、生まれてから今に至るまで、時々刻々と変化している。子どもの頃の朝食はパンが多かったが、今はご飯を食べるようになっているかもしれない。友人A とB とは仲が良かったが、いつの間にか友人B とは疎遠になっているかもしれない。強面の上司を見ると不安な気持ちになっていたが、仕事を続けるなかでそうした気持ちが薄らいでいくかもしれない。我々の行動は、毎日の生活のなかで変化しており、これから先も変化していくだろう。
こうしたさまざまな行動、そして行動の変化について、当然沸き起こる疑問は「自分は、あの人はなぜその行動をとったのか」「なぜ行動が変化したのか」というものである。自分はなぜ、朝食はパンではなくご飯を食べるのだろうか。自分はなぜ、友人A と話すのは楽しいのに友人B は避けてしまうのだろうか。あの人はなぜ、自分ではなく友人B と付き合うことにしたのだろうか。こうした疑問に、あなたは正確に答えられるだろうか。「パンよりご飯のほうがおいしいからご飯を食べる」「友人B は自分の好きな人と付き合っているから友人B を避ける」といったように、あなたは自分の行動とその変化の理由について何かしらの答えを持っているかもしれない。しかしそれは、本当に正しい理由なのだろうか。
心理学では古くから、「人間や動物はなぜそのように行動するのか」を明らかにするために、さまざまな科学的研究を行ってきた。なかでも学習心理学は、人間や動物がとる行動の理由に加えて、行動が変化する背景を明らかにすることを目指してさまざまな知見が積み重ねられてきた。本書では、そうした学習心理学の知見について、さまざまな実習や計算課題、コンピュータシミュレーションを読者自らが経験することを通じて学んでいく。
学習という言葉から、我々が思い浮かべるものは多岐にわたる。「外国語の学習をする」というように、何かを勉強するといった意味を思い浮かべるかもしれない。何かを勉強することも学習のひとつではあるが、心理学における学習は、より幅広い現象を含んでいる。心理学において学習とはさまざまなかたちで定義されるが、一般的なもののひとつは「経験によって生じる比較的永続的な行動の変化」というものである。この定義に合っていれば学習であり、合っていなければ学習とは呼ばれない。どのようなものが学習であり、どのようなものは学習とは呼ばれないのかを、この定義に従って見ていこう。
人間や動物の行動の変化は、必ずしも後天的な経験によってのみ生じるのではない。身体的な成熟や発達、加齢によっても行動は変化する。たとえば成長して声変わりが起こって発声が変化することは行動の変化ではあるものの、経験によって生じるわけではないので学習とはみなされない。老化によるさまざまな身体的衰えから行動が変化しても、やはり学習とは呼ばれない。(中略)
その一方で、アルコールをはじめとする薬物の摂取による行動の変化のなかには、比較的永続的なものも存在する。アルコールやニコチンといった薬物は一時的な行動の変化を引き起こすが、継続的に薬物を摂取していると薬物の効果が弱くなってより強い薬物を求めるように行動が変化することがある。こうした行動の変化は、学習の影響を受けていることがさまざまな研究から示されている。(中略)
「学習とは行動の変化である」といったときに、行動という言葉の意味を考えておくことは重要である。日常的には、我々は手足を動かす、言葉を話すといったように、第三者から見てわかるような身体的な動作を行動と呼んでいる。これ自体は大きく間違ってはいない。したがって、なにかしらの経験をしたにもかかわらずその効果が行動の変化として観察できない場合、我々は「学習した」とはみなさないということになる。
しかし「第三者から見てわかるような身体的な動作」としての行動という言葉は、日常的な意味合い以上に多くのものを含みうる。身体的変化という意味では、たとえば血圧の変化や心拍数の変化などもまた、行動としてとらえることができる。初対面の人と会うときには緊張で心拍数が上がるが、何度も会って打ち解けていくことで心拍数の増加が起こらなくなる、というのも広い意味での学習である。血圧や心拍の変化といった自律神経系の働きは、我々が日常において目で見てわかるような変化を伴わないかもしれないが、血圧計や心拍計といった計測機器によってその変化を確認することができる行動の一種であり、学習によって変化する。(後略)
学習という現象は、なにも実験室のなかだけで起こるものではない。ここまでにも例を挙げてきたように、我々の日常生活は学習という現象であふれている。我々の日常生活における行動が学習の影響下にあるのならば、自分や他人の行動を学習によって好ましい方向へ変化させるというような応用が考えられる。
たとえば教育場面においては、行動分析学の創始者スキナーは「ティーチングマシン」と呼ばれる装置を考案し、3 章で詳述する強化原理を応用して学習者ひとりひとりの進度に合わせて問題を提示することで学習の効率化を目指す仕組みを提案した1)。スキナーの試みは、IT 技術の進歩した現代にあっては、タブレット端末などを利用することである程度実現されている。
スポーツをはじめとする技能の獲得においても、学習心理学の知見が応用されている。行動コーチングと呼ばれる方法では、さまざまな運動技能の獲得において行動がもたらす結果の知識(knowledge of result、 KR)や自分がどのように運動しているかに関する遂行の知識(knowledge of performance、 KP)を学習者にフィードバックとして与えることで、技能の向上を促進する。これらの応用には、特に道具的条件づけに関する知識が用いられている。
こうしてみると、学習によって我々の日常はよりよいものになっており、学習を促進することが適切な応用であると思われるかもしれない。しかし現実には、学習によって社会的不適応が生じることもある。行動主義の創始者ワトソンは、「アルバート坊や」と呼ばれる乳児を対象に、古典的条件づけによって恐怖という情動が学習されることを示したとされる2)(6 章参照)。「このあとに怖い出来事が起こる」といったときに恐怖反応を学習し、その場から逃走するといった行動が起こること自体は適応的なものである。しかし「人身事故を目撃してから怖くて電車に乗れない」といったことが起こると、現代社会では大きな問題となることもある。学習というメカニズム自体は正しく働いているのだが、結果的に社会的な不適応が生じてしまうわけである。
学習によって獲得された社会的不適応を引き起こすような行動を、学習心理学の知見によって変容させようというさまざまな試みが実践されている。行動療法や認知行動療法と呼ばれる技法には、古典的条件づけや道具的条件づけに関する実験事実や理論が大きな影響を与えており、臨床現場は学習心理学にとって重要な応用先であるといえる(臨床応用については6 章を参照)。
文献
1)Skinner, B. F. (1968). The Technology of Teaching. Appleton-Century-Crofts.
2)Watson, J. B. & Rayner, R. (1920). Conditioned emotional reactions. Journal of Experimental Psychology, 3, 1-14.