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終わらない〈密室の人権侵害〉に終止符を打つ――『入管問題とは何か』より

記事:明石書店

鈴木江理子・児玉晃一編著『入管問題とは何か』(明石書店)
鈴木江理子・児玉晃一編著『入管問題とは何か』(明石書店)

最初に出会った被収容者は小学校6年生だった

私が入管収容に関わるきっかけとなった事件は、1995年の夏、弁護士になって2年目のことだった。「私たちを助けてくれるの?」
最初に出会った難民、そして入管に収容された経験のある外国人は、小学校6年生のイラン国籍の少女だった。(本書「あとがきにかえて」より)

 私は1994年に弁護士登録し、当番弁護士、国選弁護人と刑事事件で被疑者・被告人が身体拘束を受けている事件は多数経験していた。当時はバブル経済が崩壊し、それまで日本経済を支える存在として黙認されていたオーバーステイの外国人が、無用の存在として一転して摘発の対象となり、入管法違反事件として多数起訴されていた。筆者も複数の案件を担当していたが、全ての被告人が執行猶予付きの判決を受けて、直ちに入管に収容されていった。刑事弁護人の仕事はそこで終わり。本人たちも判決が出たらなるべく早く帰りたいという意向を示しており、その後の入管収容については関心外だった。

 ところが、弁護士2年目に遭遇した冒頭の事件で、大きな衝撃を受けた。小学生が収容される? どうして?

 そこには、刑事訴訟法を学んだ者には想像のつかない、身体拘束の軽視があった。

 刑事事件で被疑者を勾留するためには、犯罪の容疑があるだけでは足りず、逃亡や罪証隠滅の高度の蓋然性を考慮しなくてはならないのに対し、入管収容ではそのような考慮は必要なく、オーバーステイなどの退去強制事由の疑いがあれば誰でも収容できるという見解を入管当局はとっている。「全件収容主義」と呼ばれ、「原則収容主義」「収容前置主義」と称されることもある。そして、刑事手続の逮捕・勾留と異なり、入管収容のためには事前の司法審査が要求されない。収容には、収容令書による収容と、退去強制令書による収容があるが、前者は原則30日間、延長されれば60日間の収容が、後者に至っては送還が可能なときまで、つまり無期限の収容が可能となるのであった。

 小学6年生の彼女も、小学3年生だった彼女の弟も、2人を養育する母親も、この無法地帯とも言える入管収容の犠牲者となっていたのだった。

「密室の人権侵害」の衝撃

 その後、この家族3人は私の目の前で再収容されていった。

 これを受けて、私と共同受任していた関弁護士の2人で直ちに裁判の準備に取りかかった。その当時は、入管収容についての文献はほとんど見当たらず、本人たちの供述に頼るしかなかった。

 イラン国籍一家の事件を機に、入管収容問題に関心を持ち始め、どう考えてもおかしいと確信をしていた筆者が出会ったのが、入管問題調査会編著の「密室の人権侵害――入国管理局収容施設の実態」(現代人文社、1996年)である。ここでは、集団暴行、レイプなど、およそ信じがたい事件の報告で溢れている。密室内の出来事ということであれば、警察の留置場、拘置所、刑務所も同じであるが、被害を受けるのが日本のルールが分からず従うしかない外国人、そして問題があっても海外に送還してしまえば訴える声も届かない、そのような状況を見越して傍若無人に振る舞う入管職員らの行状が克明に描かれていた。卑劣だ。後にも先にも、読んでいて、怒りで涙が出た本はこれだけだ。

70年以上変わらない法制

 2001年10月にはアフガニスタン難民申請者が一斉摘発されたことが社会問題になった。ただ、報道をされたのは氷山の一角である。庇護を求めてきた日本で無期限長期収容という、更なる迫害を受けた難民申請者の例は、枚挙に暇が無い。

 小学生の子どもや、難民申請者まで、期限も定めず、司法の関与もなく拘束を続けることができる入管収容とは何なのか。

 根拠となる法律は「出入国管理及び難民認定法」(入管法)である。これは1951(昭和26)年に制定された「出入国管理令」が、難民条約加入により難民認定手続に関する国内法を整備し、1981年に名前を変えただけであり、法令番号は現在も「昭和二十六年政令第三百十九号」のままである。どのような場合に収容ができるかという点に関する規律(入管法39条、同52条5項)は、70年以上前の出入国管理令の時から全く変わっていない。

 2021年2月に閣議決定された入管法案は、この70年以上も変わらなかった入管収容を大きく変える内容を含むものであった。そこで盛り込まれていた「収容に代わる監理措置」については、佐々木聖子出入国在留管理庁長官(当時)は「全件収容主義に「決別」」する内容であったと述べている(2022年6月16日配信の朝日新聞記事)。

 しかし、「収容に代わる監理措置」は事前の司法審査もなく、判断主体は入管職員である主任審査官であることに変わりはない。条文に挙げられた判断要素も曖昧で、主任審査官の胸先三寸でいかようにも判断できるものであった(詳しくは本書第6章参照)。「収容に代わる監理措置」では、全件収容主義との決別とはいえない。

終わらない「密室の人権侵害」に終止符を打つ

 2021年に閣議決定までされた入管法案は内外からの大きな声に抗しきれず、廃案に追い込まれた。しかし、それは現状維持に留めたというだけである。1996年に告発され、今も続く「密室の人権侵害」に終止符を打つためにはどうすればよいか。

〈本書を通じて、一人でも多くの読者が入管問題に関心を持つことが、入管収容施設という「密室」をこじ開ける一歩となるであろう。さらに、編者・執筆者の思いに共鳴し、入管収容の暴力性の解体を目指して共に行動する市民が増えれば、入管法の真の「改正」が実現するはずである。
「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」(魯迅『故郷』)――そうであることを信じたい。〉(本書「はじめに」より)

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