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60~70年代マンガの変容と「侠気(おとこぎ)と肉体」の表現  夏目房之介

記事:筑摩書房

夏目房之介 編『現代マンガ選集 侠気と肉体の時代』(ちくま文庫)書影
夏目房之介 編『現代マンガ選集 侠気と肉体の時代』(ちくま文庫)書影

 1960~70年代、大きく変容したマンガを紹介する選集、中条省平監修『現代マンガ選集』のうち「侠気と肉体の時代」編を依頼された。中条さんは前衛的な短編で「表現の冒険」編を、他にギャグ、日常マンガ、SFなど全8冊刊行。

 正直、最初はとまどった。たしかにスポーツマンガについての単著もあるが、ホントはスポーツマンガが苦手であまり読んでいない。「肉体」はともかく、「侠気」の方も得手ではない。とはいえ中条先生の依頼を断るわけにもいかん。受諾はしたが、コロナ騒ぎ、大学オンライン授業の準備など、とてつもない忙しさで作業は遅れ、やっと2020年の夏休みに本格始動した次第である。

 問題は「侠気」である。「侠」はもとアウトロー集団の「義」「志」などの理想化で、中国~日本の大衆娯楽の王道となる。これを「おとこぎ」と読むイメージでマンガを選ぶと、梶原一騎に始まるスポ根物、本宮ひろ志や『北斗の拳』などジャンプ長期連載路線などが思い浮かぶ。

 文庫選集で「読物」として読みやすいのは、当然短編や読切である。長期連載の一部を切り取って一冊にするのは難事に思えた。連載断片でも完結感のある物。そこに短編を挟んで構成しないと難しい企画だった。

 僕らより十歳以上若い世代(おたく第一世代)にとっては、ジャンプ王道のアウトロー集団×肉体主義(言いかえればケンカとバトル)は、読者体験として親しみがあろう。が、僕ら世代(戦後ベビーブーマー)とは微妙に距離がある。僕らは、スポ根や『男一匹ガキ大将』が生まれる前提となる、戦後マンガの肉体描写の変化をこそ目撃してきた。この編著にも、その視点を組み込むことにした。

 丸っこいゴム人間的な身体こそが「マンガ」であった僕らの子供時代(僕が心づいた時期には写実的な身体を持った『少年ケニヤ』など「絵物語」のブームは去っていた)に、骨格と筋肉と、その合理的な動きを加味して登場した貸本マンガの短編、白土三平『ざしきわらし』(63年)や平田弘史『太刀持右馬之介』(同上)を前史として加え、そこから一気に梶原原作の3作、『巨人の星』(66~71年)、『あしたのジョー』(67~73年)、『空手バカ一代』(71~77年)と、当時の少年マンガを変えた連載から取った。『巨人』『ジョー』は完結感を重視し、ともに最終回を選んだ。

 梶原マンガは、身体表現に精神主義的な負荷をかけてドラマを作り上げた。僕には時代錯誤にすら思えた表現は、その後の少年~青年マンガのみならず、少女マンガのスポ根化をもたらす。『ガラスの仮面』のようなスポ根構造のジャンル物も、そこから生まれていく。少女マンガにおける身体表現にも触れたかったができなかった。忸怩たる思いがある。

 「おとこぎ」というテーマにも梶原マンガは影響を与えたが、梶原の「侠気と肉体」は個人的で孤独だった。『水滸伝』的なアウトロー集団の「侠」は本宮ひろ志がジャンプ路線に導入。本編では週刊少年サンデー連載『男組』(74~79年)を選んだ。永井豪的学園革命、梶原的女性観、ブルース・リー以来の中国武術など、当時の時代的要素が集約されている。梶原マンガはやがて実際の格闘技ブームと連携してゆく。

夏目房之介さん(朝日新聞社)
夏目房之介さん(朝日新聞社)

 さらに青年誌に目を移し、バロン吉元『柔侠伝』(70~80年)、宮谷一彦『肉弾時代』(76~78年)、さらに大友克洋らニューウェーブから80年代への架橋として、大友派の高寺彰彦短編『友よ急げ』(81年)で締めとした。

  全9作中3作が短編。残り6作が連載物という構成になった。文庫選集の読みやすさ、完結感をできるだけ実現すべく苦労したが、果たしてどうだろうか。ただ時代的な「侠気と肉体」の表現の熱を感じる選には、かろうじてなった気がする。

 同世代には懐かしい共感があるだろう。が、できれば若い人に当時の雰囲気を感じて読んでほしい気持ちがある。今、若い人たちがこれを読んでどう感じるか。できれば知りたいところである。 

 

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