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予防接種・ワクチン禍の構造的な問題を問う『「犠牲のシステム」としての予防接種施策』

記事:明石書店

「犠牲のシステム」としての予防接種施策――日本における予防接種・ワクチン禍の歴史的変遷(明石書店)【カバー挿絵:野口裕理】
「犠牲のシステム」としての予防接種施策――日本における予防接種・ワクチン禍の歴史的変遷(明石書店)【カバー挿絵:野口裕理】

COVID-19ワクチン接種とこれまでの予防接種健康被害

 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の第7波の峠は過ぎたように見えるが、この先どうなるかは、いぜんとして視界不良が続いている。国は、2022年5月末に4回目のワクチン接種を推奨し、9月後半からはオミクロン株対応のワクチン接種が開始された。多くの人々が心のなかで「いつまでワクチン接種を続けなければならないのか」という不安を感じるのも自然なことだろう。

 わたし自身は、ワクチン接種反対派ではない。子どものころから必要とされてきたワクチン接種をしてきた。しかし、わたしの姉は2歳のころ種痘のワクチン接種により重度の知的障害者となった。そのような経験から、ワクチン接種にかんして慎重にならざるを得ないし、予防接種施策に内在する負の部分を客観的に論じる責任を分有している。責任を分有しているとはいえ、どのように読者に伝達するかに腐心した。それは、ややもすれば、とうの昔の感情的な健康被害者である反ワクチン派の遠吠えだと揶揄されることになるかもしれないためである。そこで、予防接種施策に内在する「犠牲のシステム」の構造を明らかにするために理論的枠組みにあてはめることにした。そうすれば、批判する側は、援用理論の妥当性にかんする批判も行わなければならないからだ。

 周知のとおり、感染症の蔓延を防ぐワクチン接種には一定の効果があるかもしれないが、同時に副反応による重篤な健康被害が発生する可能性がある。すでに多くの人々が感じたように、ワクチン接種をしなければ、感染症罹患の可能性が高まり、接種をすれば副反応による健康被害のリスクが生じるというディレンマが存在する。しかし、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染者は爆発的に増加し死亡者も増えたため、ワクチンに不確実性や非知があっても何らかの決断をせざるを得ない状況に直面した。

 COVID-19ワクチン接種においては、2022年9月2日時点で、日本全国で34,612件の副反応疑い報告(医療機関による報告)があり、そのうち7,635件が重篤な報告であった。ワクチン接種による死亡が疑われる事例は1,815件だった。一方、予防接種健康被害救済制度において、9月22日時点の健康被害の申請受理件数は4,244件で1,094件が審査され、そのうち985件が認定、82件が否認、27件が保留であった。ワクチン接種による死亡が認定されたのは3件のみである。なぜ、これほど多くの副反応・死亡疑い報告がなされているのに、迅速に救済されないのだろうか。救済されない人々は今後どのようになるのだろうか。

予防接種・ワクチン禍に対する四つの市民運動

 実は、このような状況は、今に始まったことではなく、過去にも繰り返し発生してきた。本書の第Ⅱ部において、ワクチン接種の負の側面である予防接種・ワクチン禍により決起された四つの市民運動の歴史的変遷を振り返りつつ、ワクチン接種による健康被害の実態を考察した。四つの市民運動とは、1970年代の集団予防接種禍、1980年代のMMRワクチン禍、2000年代の集団予防接種等による注射器の連続使用によるB型肝炎禍、そして2010年代のHPV(子宮頸がん)ワクチン禍(現在係争中)である。

第一の市民運動 集団予防接種禍 [写真提供:特定非営利活動法人予防接種被害者をささえる会]
第一の市民運動 集団予防接種禍 [写真提供:特定非営利活動法人予防接種被害者をささえる会]

 そして、これらの市民運動にかかわった、あるいは現在もかかわっている健康被害者と支援者の実名による聞き取り調査を行った。聞き取り調査やこれまでの健康被害者への実態調査から明らかになったことは、国(フーコーの「生政治」に該当)は、ワクチン接種による多大な犠牲が発生していたにもかかわらず、健康被害者を積極的に救済してこなかったという実態である。それは、市民運動により訴訟が提起され、国(生政治)の責任が追及され、たとえ敗訴や和解が成立しても、その後も国(生政治)は、ワクチン接種の推進はするが健康被害者の救済には積極的ではないのである。また、現行の予防接種健康被害救済制度は機能しておらず大きな課題があることを明らかにした。

第二の市民運動 MMRワクチン禍 [写真提供:MMR被害児を救援する会]
第二の市民運動 MMRワクチン禍 [写真提供:MMR被害児を救援する会]

日本の予防接種施策に内在する構造的問題

 なぜ、このような犠牲は繰り返し発生するのだろうか。わたしは、その原因は日本の予防接種施策に内在する構造的問題のためであるという仮説を提示した。そして、この構造的問題を「犠牲のシステム」と定義し、本書の第Ⅲ部において、予防接種施策における生政治・サブ政治間の言説対抗と自己免疫化システムを考察した。本書では、ミシェル・フーコーの「生政治」・「言説」、ロベルト・エスポジトの「自己免疫化」、ウルリッヒ・ベックの「サブ政治」、そして高橋哲哉の「犠牲のシステム」理論を援用した。そこには、日本における予防接種・ワクチン禍の変遷を理論的枠組みにあてはめることで客観的に「犠牲のシステム」の構造的問題を明らかにするという意図がある。

 フーコーによると、人口は、国家の富や力の基盤であるとともに、規律メカニズムにより、調教・配置・固定され一大統制装置として機能した。フーコーは、そのような生(人口)に対する政治的介入を、人口の生―政治学(バイオ・ポリティックス)=「生政治」「生権力」と呼んだ。したがって、医学、特に公衆衛生学や予防接種施策のように、連接した領域の知を動員して集団的人口の管理と調整に関与して影響力を持つ知は、特に権力との結びつきが強い。

 ワクチン接種のスケジュールは、予め生政治と上からのサブ政治により、詳細に管理され、個人は、決められたスケジュールにしたがって、数多くのワクチン接種を生涯にわたり履行する。これらのワクチン接種の記録は、生政治あるいは、サブ政治(医師・医療機関、感染症・公衆衛生専門家)により、保存・管理されることになる(意図的に破棄される場合もある)。保存・管理された記録は、統計学などによるデータ解析モデルを駆使して、さまざまな指標に転換されるが、生政治は、接種率の上下による感染症罹患の推移を免疫学的に観察しつつ、社会に対して継続的なワクチン接種の要請を行う。そのような要請の前提は、集団的社会防衛の必要性である。しかし、生政治が集団的社会防衛の必要性を要請すればするほど、身体への介入という権力の行使に反対する人々との対抗関係を生むことになる。そのような対抗関係は、ワクチン接種に反対、受けるワクチンを選択、接種を受けない権利言説などとして出現する。したがって、生政治は、ワクチン接種による身体介入を管理するだけではなく、サブ政治との協働により、言説そのものを管理する必要性に迫られる。

犠牲を生み出す自己免疫的なシステム

 結論を先取りすると、日本の予防接種施策は、犠牲が生まれることをできる限り回避するよりも、むしろ犠牲を生み出す自己免疫的な構造が生成され、維持されている「犠牲のシステム」なのだ。つまり、集団免疫を獲得するために、その過程で発生する重篤な副反応、薬害、接種間違いなどを被る人々の健康を犠牲にして生み出され、維持される施策なのである。そこには、ワクチン接種にかんする言説管理を行い、健康被害者を積極的に救済しないという、生政治とサブ政治による権力の行使が見え隠れする。

 健康被害は、人々が生政治の要請に基づき、自分自身のためだけではなく、隣人への感染を防ぐためにワクチン接種を受けたために発生する。したがって、わたしたち国民は、ワクチン接種により健康被害を受けた人々を救済する責任を分有しているのである。

第四の市民運動 HPVワクチン禍 [写真提供:HPVワクチン薬害訴訟全国弁護団]
第四の市民運動 HPVワクチン禍 [写真提供:HPVワクチン薬害訴訟全国弁護団]

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