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女性が痛いと言っても信じてもらえない理由 『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』日本語版まえがき

記事:晶文社

医療ケアにおける性差別・人種差別だけでなく、コロナ禍で女性、マイノリティの人々が受けた甚大な影響も考察するタイムリーなノンフィクション。『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(アヌシェイ・フセイン著、堀越英美訳)
医療ケアにおける性差別・人種差別だけでなく、コロナ禍で女性、マイノリティの人々が受けた甚大な影響も考察するタイムリーなノンフィクション。『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(アヌシェイ・フセイン著、堀越英美訳)

日本の読者へ

 バングラデシュで生まれ育ったアジア人女性として、長年続く家父長制的な(特に女性のふるまいに関する)慣習や規範に異議を唱えた日本人女性の前に立ちはだかる、根深い文化的信念を理解するのは難しいことではなかった。女性の立場や行動様式があらかじめ定められている社会で育つとはどういうことか、私はよく知っている。

「私たちはとにかく怒らせてもらえなかった」と石川優実氏は書く。彼女は職場でヒールの高い靴を履かなければならない慣習の廃止を求めるツイートが拡散されたことで、日本版#MeToo運動ともいえる#KuToo運動の顔となった。#KuToo(クートゥー)とは、「靴」と「苦痛」を組み合わせた造語である。

「私たちが怒りを表現すると『ヒステリー』『モテないよ』『そんな言い方じゃ話聞かないよ』という言葉で抑え込まれます」と、彼女は2019年の「フィナンシャル・タイムズ」紙(*1) のインタビューで語っている。

「私は正直、怒るのが超楽しいのです」

 驚くことではないが、恐れることなく立ち向かったり、声を上げたりするすべての女性がそうされたように、石川氏は罰せられた。21世紀にもなって女性が身に付けるべきものを社会が指図する権利があるということに、公然と疑問を呈したがために。

「バッシングは、あのツイートの直後から始まりました」と彼女は語る。「私の態度は『傲慢』だとみなされました。私が遠慮なく意見を述べたことで、とても感じの悪い人間だと思われたのです」

 石川氏の経験は、「ヒステリー」という概念が女性のふるまいに密接に結びつけられていること、そして女性を黙らせ、主張をはねつけるために、社会がいとも簡単にそのレッテルを貼ることを示している。

 これは本書の冒頭で取り上げている問題だ。私たちの感情から痛み、健康に至るまで、ヒステリーという概念は現在においても、医師による女性の扱いを決定づけている。その影響は女性の診断にもおよぶ。

母性と陣痛

 自分の身体について女性が語る言葉を信じないという価値観は、日本の場合、興味深い形であらわれる。日本は先進国の中で、最も硬膜外無痛分娩の割合が低い国の一つなのだ(*2)。「pain」は日本語で「痛み」と呼ばれ、「罰の意味を含まない心身の異常事態」と定義される(*3)(訳注・痛みを意味する英語「pain」は、ラテン語の「poena」あるいはギリシア語の「poeine」に由来しており、いずれも罪に対する罰を意味している)。これは一般的に共感的な世界観を持つ日本の伝統文化と、著しい対照をなしている。

 日本の厚生労働省が発表した2017年の数字によると(*4)、2016年に硬膜外無痛分娩の実施率は6.1%で、2007年の2.6%から増加している。この数字を、60%以上の女性が硬膜外麻酔を使用して出産しているアメリカと比較してみよう。ちなみにフランスでは80%、イギリスでは33%だ。女性の痛みを社会がどうとらえているかが見えてくる。

 そもそもなぜ、日本では硬膜外麻酔が普及していないのだろうか。ケンブリッジ大学で日本社会論を教えるブリギッテ・シテーガによると、日本で硬膜外麻酔が好まれないのは、大きく分けて二つの考え方に根ざしているという。「子供を産み育てるのは女性が生まれながらに備えている役割(そして自然な願い)とされており、母親に要求されるケアの水準は非常に高いものです」と彼女はインタビューで説明する。「母親が手を抜いたり、痛みを避けたりしていると見なされるのは、許されざることなのです」(*5)

 日本の女性は、陣痛によって母子の絆が深まると信じるよう仕向けられる。また、日本では出産時の痛みを母性への通過儀礼として重要視していることも、いくつかの研究で指摘されている(*6)。このような女性の苦しみに対する考え方は、母性が自己犠牲と深く結びつき、女性の性に対して保守的な価値観がいまだに蔓延しているイタリアと似通っている(*7)。

「私たちは大きな文化的問題を抱えています」と説明するのは、『ラ・スタンパ』紙でジェンダー問題を担当するイタリアのジャーナリスト、フランチェスカ・スフォルツァだ。「あらゆる場面で苦痛を回避する社会に生きながら、母親になるための必須条件として、女性が文句を言わずに苦しむことが期待されているのです。ミソジニー(訳注・女性蔑視)がはびこっています」

誰が「女性の痛み」を決めるのか?

 女性の痛みという概念が、世界中でどのように捉えられ、管理され、考えられているかを見れば、それが常に男性や「文化」によって定義されてきたことがわかる。多くの社会では男性による支配が続いているため、女性の痛みや苦しみに対する世界の認識は、女性ではなく、男性によって確立されてきたのだ。

 そこに問題がある。なぜ2022年の今、日本であれイタリアであれ、男性が女性の痛みの閾値を決める必要があるのだろうか。

 なぜ女性は、出産などで痛みを抑えてもらう必要があることを隠したり、恥ずかしがったりしなければならないのだろうか。

 私は調査の過程で、世界中の女性たちが医療においてミソジニーを経験していることを知った。ほとんどの女性は、そのような話をすることはない。だが私は、そのような体験談を伝えることこそが、女性の健康に必要な変化をもたらす方法だと考える。

 私たちの体験は、私たちの力になる。女性たちが自らの物語の主導権を握らないことには、家父長制は女性に対して、痛みは受け入れなければならないものであると伝え続けることだろう。

 今こそ女性の痛みを男性の痛みと同じように深刻に、そして緊急性のあるものとしてとらえ始めるときだ。

 女性に対し、痛みに強くあるように要求したり、期待するのはやめよう。同時に、女性が自分の痛みは耐えがたいものであると口にしたときに、否定するのをやめなければならない。

 私の本が、日本でそのような議論の火付け役となることを願っている。日本の男性も女性も、本書を読んでさまざまな気づきを得て、女性の言葉を信じられるようになり、女性の医療における痛みの格差が無くなることが、私の望みである。

(「日本の読者へ」『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(アヌシェイ・フセイン著、堀越英美訳)より)

※本記事の小見出しは、編集者が追記

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