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私はイスラム教徒でフェミニスト 職業はセクソローグ(性科学医)

記事:白水社

「女は男の服であり、男は女の服である。」──コーランをひもときながら男女平等を説き、セクシュアリテの封印を解く! ナディア・エル・ブガ+ヴィクトリア・ゲラン著『私はイスラム教徒でフェミニスト』(白水社刊)は、フランスで人気の性科学医による自伝的エッセイ。装丁=名久井直子。
「女は男の服であり、男は女の服である。」──コーランをひもときながら男女平等を説き、セクシュアリテの封印を解く! ナディア・エル・ブガ+ヴィクトリア・ゲラン著『私はイスラム教徒でフェミニスト』(白水社刊)は、フランスで人気の性科学医による自伝的エッセイ。装丁=名久井直子。

日本の読者のみなさんへ
──コロナ禍を経て、伝えたいこと。

 私にとって今回のコロナ禍は特別な時間、人間としての特別な経験になりました。もちろん、コロナ禍は人類を襲った不幸な出来事です。私自身も心身ともに疲れきりました。けれどもその一方で、人間という存在を再発見できた気もします。正体のわからぬウイルスが急激に蔓延し、人々は世界の終わりのような雰囲気のなかにいました。その結果、些末なことにとらわれず、人々はまっすぐに本質的なものへと向かったのです。危機的な状況だからこそ、人間にとって、個々の人生にとって“何が大切なのか”が見えてきたのだと思います。

 それは、分かち合いです。相手の声に耳を傾け、分かち合い、お互いを受け入れあうこと。それなしには、人は生きられないとわかったのではないでしょうか。

ナディア・エル・ブガ(Nadia El Bouga) photo © Bernard Bisson フェミニストでありながら、イスラムのスカーフを被ること──。これはスカーフを女性差別の象徴としてみなす西洋のフェミニストたちには理解されにくく、議論の的となってきました。
ナディア・エル・ブガ(Nadia El Bouga) photo © Bernard Bisson フェミニストでありながら、イスラムのスカーフを被ること──。これはスカーフを女性差別の象徴としてみなす西洋のフェミニストたちには理解されにくく、議論の的となってきました。

 西洋的な合理主義では、人々は、見えるものやふれられるものしか信じません。ところが、このコロナ禍という出来事を通して、目や手で感覚できないものの意味についても、人々は考えなおさせられたはずです。生命や人生の意味について考える良い機会になったと思います。

 私にとっては、物理的には人々により近づけ、スピリチュアルな面から言えば、まさに些末なことをとっぱらって本質へと戻ることができました。

 ただ、この時期が過ぎてしまったら人々がこの経験を忘れてしまうのではないかと少しばかり危惧しています。1年半たった今、フランスでは何度目かの外出禁止令から脱し、危機は後退しているように見えます。人々は再び日常に戻ることや、目の前のことだけに心を奪われているようで気がかりです。私はいつも思うのです。人間は、なぜこうも忘れっぽいのかと。興味深いことに、アラビア語では人間インサーン忘却ネスヤーンとは語源を共有しているのです。望んだわけではないにせよ、この期間が与えてくれた人間についての省察を忘れないようにしたいものです。

『私はイスラム教徒でフェミニスト』P.16─17より。フェミニストにめざめた著者の家庭環境とともに、診療室でのセックスセラピーが語られてゆきます。 ☪診療室に登場する患者たちについては、個人が特定されないよう、名前および話題に変更を加えています。
『私はイスラム教徒でフェミニスト』P.16─17より。フェミニストにめざめた著者の家庭環境とともに、診療室でのセックスセラピーが語られてゆきます。 ☪診療室に登場する患者たちについては、個人が特定されないよう、名前および話題に変更を加えています。

 コロナ禍を経て、あらためて人に寄りそう医療のあり方を、人間という存在への希望とともに考えなおす──そのことを、この本とともに、みなさんと共有できたらとてもうれしく思います。

『私はイスラム教徒でフェミニスト』P.110─111より。診療室には、多様性をかかえた患者さんが訪れます。患者さんたちに寄りそう著者のアドバイスや語りは、どれも魅力的で、イスラム文化のみならず性教育に関心を持つ読者にも有意義です。
『私はイスラム教徒でフェミニスト』P.110─111より。診療室には、多様性をかかえた患者さんが訪れます。患者さんたちに寄りそう著者のアドバイスや語りは、どれも魅力的で、イスラム文化のみならず性教育に関心を持つ読者にも有意義です。

 私はまだ日本に行ったこともなく、日本人の友人もいないので、日本については浅薄な知識しかありません。ただ、あなた方の文化では家族というものが大切にされ、家族内のヒエラルキーがとても重視されていると聞きます。それは私の文化の一部であるモロッコでも同じです。年長者や上の世代を敬うことは、もちろんすばらしいことです。ただその半面で、家族が極端なまでの従属の概念として機能してしまうという問題があります。この本で語っている「恥」の文化も同様です。象徴的に語るためにあえて強い言葉を使うなら、それは家族の成員である個人を押しつぶし粉砕してしまうような概念です。

 家父長的なヒエラルキーのなかでは、当然ながら女性が最も抑圧を受けることになります。家族や、伝統的な文化に属する者たちにショックを与えないために、自分自身を抑え、押し殺し、檻に入れてしまう恐れがあります。モロッコであろうと日本であろうと、それは同じです。

 


【フランスのラジオ局「ブールFM」でのナディア・エル・ブガ:[AVS] Reprendre le pouvoir sur sa vie après des violences sexuelles - Nadia El Bouga et Anya Tsai】

 

 共通の問題を抱えているかもしれない日本の読者のみなさんにメッセージを送るなら──家族と個人を同時に尊重する方法はあるということをお伝えしたいと思います。相手への敬意を失わずに、「私は同意できません」ときっぱり主張することはできるはずです。敬意は従属ではありません。そして、平和的な方法で世界を変えることはできると確信しています。穏やかで柔らかく平和的であることは、決して、受け身であることを意味しません。こころもちを変え、行動の仕方を変えることで、能動的に社会を変える力になるはずです。そのとき、常に、他者への敬意を忘れないこと。敬意と寛容。これが私の本を読んでくださる方へのメッセージです。

 いつの日か、日本のみなさんにお会いできる機会があることを願っております。インシャ・アッラー(神の御心のままに)。

 ナディア・エル・ブガ

 

【『私はイスラム教徒でフェミニスト』(白水社)所収「日本の読者のみなさんへ──コロナ禍を経て、伝えたいこと。」より】

 

ナディア・エル・ブガ+ヴィクトリア・ゲラン著『私はイスラム教徒でフェミニスト』(白水社刊)目次より
ナディア・エル・ブガ+ヴィクトリア・ゲラン著『私はイスラム教徒でフェミニスト』(白水社刊)目次より

 


【フランスの公共放送TV5Mondeでのナディア・エル・ブガ:Nadia El Bouga, sexologue : "On ne peut pas opposer islam et désir et plaisir"】

 

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