コロナ禍を経て、専門知は何のため、誰のためにあるのか?『「専門家」とは誰か』(村上陽一郎編)より
記事:晶文社
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『サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)』誌の2020年12月号に、「“コロナ”以後」の時代にも関わる、大変興味深い論文が載った。
1924年、エンサイクロペディア・ブリタニカ社は、その時点までの20世紀の歴史を『この波乱に満ちた時代:当事者が語る現在進行中の20世紀』(These Eventful Years: The twentieth century in the making as told by many of its makers)として出版した。学者、政治家、軍人など80人以上が執筆に加わった上下2巻1300頁におよぶ大著の中に、そのわずか5年前、4〜5000万人、研究者によっては1億人の命を奪って終息したとするいわゆる「スペイン風邪」のパンデミックについて、一言も言及されていないというのである。同様に、その当時数多く編まれた教科書や本の中でも、このパンデミックは、書かれないかせいぜい第一次大戦の余談としてしか触れられていないともいう。
これほどの大惨事が、わずか数年で社会の記憶からなぜ消えたのか。いま、欧米の学界では「物語」の概念を鍵にして、社会科学者の注目が集まっているらしい。その際、ワシントン大学のジェイムズ・ワーチは、「集合的記憶は、明確な始まりと中間部、そして結末のある物語」に大きく依存すると指摘する。ワーチによれば、「最も偏在的で自然な認知手段を一つ挙げるとしたら、それは物語」であり、「ヒトの社会文化の中には、微積分はもちろん算術を持たない事例もある。だが、全ての文化は物語を使っている」という。
第一次大戦に参戦した国々にとって、この大戦は、英雄と悪漢、勝利と敗北に満ちた明確なナラティブアークを提供した。しかしスペイン風邪の場合、起源は分からず、どこからともなく何度も人々を襲い、よく分からないまま消えていった。当時の医学はこの病気の原因がウイルスであることは知らなかったが、多くの医学レポートは書かれた。また、写真術などもすでに記録媒体として社会に定着し、大戦参戦国の中では情報統制があったものの、新聞メディア等で数多く報道もされた。しかしそれらは、この経過を記憶に繫ぎ止めるスキーマとならなかった。そのためパンデミックは、終息するとまもなく人々の話題から消えていった、と論文の執筆者ハーシュバーガーは指摘する。そして、私たちを襲っているCOVID-19のパンデミックも、このままではきっと同じような経緯を辿るのではないか、とも言うのだ。
奇矯な書き出しをしたが、学術書の編集者という私の立場、すなわち知をめぐるコミュニケーションの側面から専門知や専門家と社会の関係を考えるとき、この論文は多くのことを示唆する。特に学術的な知見を社会に伝える際の「物語」の欠如、という指摘が鍵になる(中略)。
ともかく、「専門家」と社会の関係は、今日、危機と言って良い状況に至った。この数年をみても、社会の中で専門家が専門家として見識を示すことの正統性/正当性を毀損する動きが、次々と起こった。COVID-19においては、日本での感染拡大が懸念されるようになった当初、政府は大慌てで専門家に意見を諮ったが、外出自粛や飲食業の休業など厳しい行動規制が提起されるや、中には専門家を公然と毀損するような発言も含めその意見を軽視・無視する傾向はすぐに現れ、そうこうするうちに、各種の自粛要請とは全く矛盾するいわゆる「Go To トラベル事業」が発動された。人流の抑制が感染拡大にどの程度の効果があり、精神面も含めた公衆衛生にどのような影響があったのか、あるいは憲法で保障された自由と行動自粛の法的な整合性はどうかといった検証・議論は重要ではある。しかし、多くの政治家がそうした諸科学の知見や見解に誠実に向き合いながら発言・行動していたとは、私には到底思えない。畢竟「選挙民の支持」「経済界の要請」「縦割り行政の論理」を意識して専門知の一部をつまみ食いしながら、右往左往していたとしか見えない。
(中略)
しかしそうした為政者を国政選挙において選んだのは我々国民なのであり、その意味では、日本社会が専門知・専門家をどうみているかという問題として捉えるべきであろう。これは、COVID-19のケースにおいても同様である。
一方で、日本社会は、専門知に大いに依存し期待している。環境変動、自然災害、治安悪化、国家安全保障などをめぐるリスクに対して、専門知を駆使してそれを乗り越えようとする期待が大きいことは言うまでもないが、その内実には不安も感じさせる。安全性や環境影響、社会的コストに関して不安定であり不確実であることが、これほどに確実になっても、原子力のエネルギー利用に対しては、いまなお少なくない支持がある。原子力発電をめぐる専門知が不確実であることは、不幸な結果によって皆が知ることになったが、今流行のICTはどうであろう。
私は、実験心理学の知見を紹介しながら、ICTの無批判な教育導入に疑問を呈したことがある。たとえば航空機や自動車の開発にあたって安全性には最大限の注意を求める社会が、ICTがヒトの身体、特に未来を担う子どもの身体にどんな影響を与えるか厳重な検証を経ていない現実にほとんど関心を寄せないことには、これまた背筋の寒い思いがする。そして、この間、多くの原子力工学者が経験したように、盲信されるにしても毀損されるにしても、それは専門知・専門家にとって幸せなことではない。
(中略)
問題は、専門知は何のために誰のためにあるのか、ということであり、「対話型専門知の専門家」という肩書きをただ作れば良いということではない。このことを私に強く意識させたのが、米国で1980年代後半から始まり、89年にScience for all Americans(すべての米国人のための科学)として厚手の文書に纏められた、科学界を挙げた大がかりなプロジェクトである。
1980年代と言えば、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われバブルに浮かれていたちょうどその頃である。トップの座を奪われた米国の再生を目指して取り組まれたのが、米国科学振興協会(『サイエンス』(Science)誌の発行主体)がリーダーシップを取って始まった運動「プロジェクト 2061」(Project 2061)であった。何度読んでも私は感動する、その一節を引用しよう。
米国科学振興協会は、科学・数学・技術教育の改革という課題への回答の一つとして、国民の科学リテラシーの向上を目指し、長期的かつ複数の段階を経て「プロジェクト2061」を開始した。プロジェクトが始まったのは1985年、たまたまハレー彗星が地球の近くに来た年であった。ハレー彗星が再来する2061年に生きている子どもたちが、ちょうど学校に通い始める時期にちなんで、このプロジェクトの名前を付けたのである。
プロジェクト2061は、次のような信念に基づいている。
・ すべての子どもたちは、好奇心に満ちた生産的な人生を送るために、科学、数学、工学の基礎教育を必要としており、そして彼らはそうした教育を受けるにふさわしい価値を持っている。
・ 基本的な教育を構成する世界の標準的知識(norm)というものは、科学知識と技術力の急速な成長に応じて大きく変化してきた。
・ 米国の学校は、若者、特に米国の将来を左右するマイノリティの子どもたちを科学技術によって形作られる世界に向けて育てるために、未だ十分な行動を起こしていない。
・ 米国が科学リテラシーを持つ市民の国になるためには、幼稚園から中学3年生までの教育システム全体を大きく変えなければならない。
・ 科学、数学、技術教育の体系的な改革を実現するために必要な最初のステップは、科学リテラシーとは何か、それを構成する事柄について明確に理解することである。
(中略)
ここで注目すべきは、この運動はもちろん国家的な戦略を意識しているわけだが、知識を、個人の幸福、特に未来の子どもたち、とりわけマイノリティの子どもたちの豊かな好奇心や感受性との関わりで位置付けている点だ。この文書が作られたとき、日本はバブルに浮かれ、そのバブルが崩壊したあと、「大学改革」の名の下で、「専門重視」という基礎的素養軽視の政策が導入されたのは実に示唆的ではなかったか。もちろん、BLM(ブラック・ライヴズ・マター)やアジアンヘイトクライム、大統領選挙を巡る混乱など、今の米国社会が多くの問題を抱えているのは事実で、その背景に、理不尽な格差の広がりや社会構造をめぐる対立があるのは明らかである。だからこそ私はこの信念に心引かれるし、別の見方をすれば、日本でも、社会が抱える問題の根本にある知をめぐる構造的な不平等から目を背けず明日を拓こうという強い意見表明を、学界ができる社会でありたいと思う。
(村上陽一郎編『「専門家」とは誰か』、鈴木哲也「運動としての専門知」より抜粋)