3.5%が動けば社会は変わる! エリカ・チェノウェスさん(ハーバード大教授)
記事:白水社
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【著者動画:The success of nonviolent civil resistance: Erica Chenoweth at TEDxBoulder】
「3.5パーセント・ルール」とは、運動の観察可能な出来事の絶頂期に全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説だ。こうした運動には、戦闘、大衆デモ、その他の大規模な非協力のような、さまざまなかたちがある。筆者は、「3.5パーセント・ルール」という表現を、2013年のTEDトークに登壇した際につくった。それ以来、世界中のさまざまな運動──2018年から2019年のエクスティンクション・レベリオンから2016年から2017年の韓国でのろうそく運動まで──が、この3.5パーセントという数字を使って参加者を鼓舞したり、変化を生み出すための自分たちの能力を測ったりしてきた。
革命や大規模抗議に関心を持つ他の研究者たちは、この点について考えたことがあった。たとえば、マーク・リックバックは、彼の1994年の著作『反乱軍のジレンマ』で「5パーセント・ルール」に言及している。彼のルールは次のようなアイデアを提示した。(a)いかなる政府も人口の5パーセントの挑戦を前に持ちこたえることはできない。そして(b)いかなる反乱者たちもどのみち人口の5パーセント以上の動員は期待できない、なぜなら多くの人びとは「ただ乗り」を選ぶからだ──自分たちでリスクを取らずに他人のリスクに乗じて利益を得るのだ。
必ずしもそうとはいえない。第一に、この数字の裏にあるデータは、過去に何が起こったかを語るもので、将来も同じことが必ず起こるとはいっていない。この歴史的傾向は、だれかが意識する前から存在した。人びとがこの閾値を意識的に達成しようとするようになってもこのルールがあてはまるかはだれにもわからない──とくに、市民が単に数字の達成だけを求めて、過去の抵抗運動がそれだけ大多数の人びとを動員するためにしなければならなかった、戦略立案、コミュニティ・オーガナイジング、訓練や準備を怠る場合には。
第二に、デジタル・メディアが到来する前に、人口の3.5パーセントを動員した抵抗運動が広く一般に共感を得ずにそれを達成したと想像することは難しい。政府や政府に対抗するマキシマリスト運動を世論がどう思っているか信頼して測定できる方法はないが、成功する革命的運動は、たとえ積極的に参加している人数が比較的少なくても、民衆から圧倒的な共感と支援を享受する可能性がかなり高い。たとえば、ホスニー・ムバラクを引きずり降ろすために路上を埋め尽くしたのは人口のたった1パーセントだったが、人口の80パーセントがムバラクの退陣を希望していたというようなことがある。
第三に、筆者は3.5パーセント・ルールをはじき出す際、ある時間の大まかな情報に依拠している。計算では、ある出来事が一番盛り上がった際の参加者数を推定する(通常は非暴力キャンペーンにおける大衆デモか、武装闘争における最大合計戦闘者数)。参加者数が時間の経過によって増えていく流れは説明しない。問題になるのは、大規模な参加と分裂の累積効果かもしれない。成功を予測するためには、単純な参加者の数よりは、勢い──これは、既述のとおり、大人数かつ速度が速いことの両方を説明する──の方が有用かもしれない。
最後に、この発見はめったにない出来事に依拠している。1945年から2014年までの間に、3.5パーセントというハードルを超えたのは、389の抵抗運動のうちたった18事例だけである。これは対象期間中に起きた抵抗運動全体の5パーセント未満である。
2019年に公表したデータによれば、3.5パーセント・ルールは2つの例外を除けばあてはまっている。例外の第一はブルネイで1962年に起こった反乱である。報じられるところでは4000人──つまりブルネイの全人口の4パーセント──が武装蜂起を開始したが、結局は失敗した。
しかし、ブルネイは小さな君主国であり、かなり異例である。同国では、北カリマンタン解放軍が、英国に支えられたスルタンを転覆させようと試みた。解放軍の目的は、スルタンがブルネイをマレーシアに統合させることを防ぐことだった。たった10日後、スルタンは迅速に反乱軍を抑え込んだ。ブルネイの軍は、政権に忠実であり続けた。異例だったのは、イギリス政府がブルネイの安定を強化するために地域警備隊の一部を差し向けたことである。1年後、スルタンは、ブルネイはマレーシアと一体にならないと決定したが、自分自身は権力を保持した。〔政権転覆により抵抗を成功と判断する〕筆者らの厳格な基準によれば、この事例は失敗と考えられる──1年経って、抵抗運動にとって好ましい結果が達成されたという事実はあれど。
第二の例外は、2011年から2014年にバーレーンでハマド王に対する蜂起が失敗した例である。2011年2月22日、報道によれば10万の市民が大衆デモに参加した。これは全人口の6パーセントを超える割合である。続く数週間から数カ月間にわたり、バーレーンは、銃砲を放ってデモ参加者を散り散りに追い払い、反対勢力を包囲し、投獄し、政治犯を拷問するなど、暴力的に取り締まりをおこなった。数週間後、ほとんどのデモ参加者は退散し、異議を唱える声はほとんど聞かれなくなった。
バーレーンの事例では、いくつか当時の状況を考慮すべきだろう。第一に、反体制派はとりわけ強固な敵に立ち向かっていた。バーレーンは、少数派のセクトが、強力な地域の大国であるサウジアラビアとアメリカの支援を得て権力の座に居座る君主制である。1960年代のブルネイの政権がそうであったように、バーレーンの指導者たちは、サウジ軍や私設治安部隊を含む外部勢力に頼ることができた。それにより、治安部隊がバーレーン軍から離反する可能性を減少させた。抵抗運動内で下支えされた組織化やリーダーシップがほとんどなかったため、抗議の声を上げた者たちは、ストライキや他の非協力のかたちに移行することができなかった。政府が100人近くを殺害し、抵抗運動の重要人物を逮捕すると、市民は抗議や行進といった活動から離れていった。
これら2つの事例では、大規模な参加による運動はかなり短命だった。おそらく、3.5パーセントという基準が意味をなすのは、大規模な参加が長期間にわたって維持できる場合のみだろう。あるいは、3.5パーセント・ルールは、圧倒的な外国軍の力の行使により支援された小さな君主国ではあてはまらないのだろう。こうした例外的状況を除いては、このルールはあてはまるようだ。とはいえ、これは鉄則というよりは大まかな指標である。
(エリカ・チェノウェス『市民的抵抗 非暴力が社会を変える』所収「第2章 いかに市民的抵抗はうまくいく?」より)