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お昼ご飯とフレーム問題――『「覚える」と「わかる」』(信原幸弘著)を植原亮氏が読む

記事:筑摩書房

本書では、お昼ごはんの決定という話が、完全な計画を立てることの不可能性についての論点を挟んで、人工知能(AI)における未解決の難問である「フレーム問題」に接続される。(写真はイメージ画像)
本書では、お昼ごはんの決定という話が、完全な計画を立てることの不可能性についての論点を挟んで、人工知能(AI)における未解決の難問である「フレーム問題」に接続される。(写真はイメージ画像)

人間の知的能力をめぐる哲学の豊かな果実を味わう

 知りたい情報がネットで簡単に検索できるようになっているのに、意味もわからず丸暗記することに何か意味はあるのか。頭で記憶するのと、自転車の乗り方を学ぶように、身体で覚えるのとでは何が違うのか。ただ覚えるだけではなく、意味も理解することが大事だとして、では意味とはそもそも何なのか。理解といっても直観的に物事が把握できることもあるが、直観にはどんな役割があるのだろうか。書名が示唆するように、学習や理解といった身近なトピックにまつわるこうした問いから出発し、平明な叙述とコンパクトな分量で、人間の知的能力をめぐる哲学の豊かな果実を味わうことができるのが本書である。

 たとえば、お昼ごはんの決定という話が、完全な計画を立てることの不可能性についての論点を挟んで、人工知能(AI)における未解決の難問である「フレーム問題」に接続される。フレーム問題とは、課題の遂行に関連する事柄を適切に把握するのがAIにとって非常に難しいという問題である。一方で人間は、フレーム問題に悩まされることなく、そのつどの状況をうまく把握して臨機応変に対応できるが、そこでは恐怖や悲しみのような情動が重要な役割を演じているのかもしれない。このように、本書では、日常的な事例から説き起こしつつも、最終的には人間の知の奥深いあり方に迫ることができるのだ。

古典的な論点の解説から、同時代的な問題意識まで

 そうした語り口に導かれて読み進めると、現代の哲学ですでに共有財産になっている概念や思考の枠組みが随所に現れる。体験して感じられる物事の「クオリア」、言葉の意味の「使用説」、「命題知」と「技能知」の区別、「拡張する心」……などなど、いまや古典的ともいえる論点についての円熟した解説がありがたい。しかし、それもさることながら、同時代的な事例や問題意識も手放すことなく――というよりむしろ積極的に取り込んで、著者の独自の観点も交えながら巧みに論じてみせるところに、本書の大きな魅力がある。

 一例として、「機械がひらく知の可能性」と題された最終章の内容を取り上げてみよう。今後、メタバースに代表されるヴァーチャルリアリティは、社会に広く普及していくことが見込まれる。やがてそこでも現実と同じような経験と活動ができるようになれば、架空と現実の区別は消失していくかもしれない。あるいは、脳・身体を機械と結合させるサイボーグ化の技術は、AIとも結びついて、人間を超えた知性的存在を生み出す可能性もある。いずれも人間の知や生の形を大きく変えることになるだろうが、果たしてそれは望ましい方向への変化なのだろうか。人間と機械との将来的な関係をめぐるこうした根本的な問題は、そもそも輪郭をきちんと描くことすら容易ではない。だが著者は、それがどんな問題なのかを明確に表現して、真剣な考慮に値する問題であることを示してくれるのだ。

理と情の共働が形づくる人間特有の知の奥深さ

 もうひとつ、最先端の話題として「徳」が扱われているのも興味深い。徳もまた現代哲学におけるホットなトピックであり、本書では知識の獲得に関わる卓越性を意味する「知的徳」――開かれた心や好奇心や知的な粘り強さがその代表例――が主に扱われ、「批判的思考」とともに、人間に特有の知として位置づけられる。双方とも一見して「理性」が中心となると思われるだけに、情動と真っ向から対立するように考えてしまうかもしれない。しかし、著者の観点からは、知的徳にも批判的思考にも、実際には適切な情動が欠かせないことが述べられ、理と情の共働が形づくる人間特有の知の奥深さがここでも明らかにされる。

『「覚える」と「わかる」』(ちくまプリマー新書)書影
『「覚える」と「わかる」』(ちくまプリマー新書)書影

 中高生向けのプリマー新書として書かれている本書には、誰が読んでもとっつきにくいところはないだろう(哲学なのできちんと考えながら読み進める必要はあるけれども)。その意味で本書は、人間の知能や知性に関心を抱くあらゆる年代に開かれた、優れた入門書として読むことができるはずである。

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