ネットの情報に踊らされ、不覚にもデマを信じてしまった――。そういう苦い思いをした人も多いだろう。本書は、人間の「頭の弱点」を読者自身に体験させつつ、「見聞きしたことをうのみにせずによく考える」ことへと導く、工夫が隅々まで行き届いた好著だ。
大学の教材を基にしている本書は、練習問題の難易度、各章の接続と展開の自然さ、トピックの網羅性などが、まさに絶妙な塩梅(あんばい)で設定されている。実際の授業に投入され、学生たちに使用され、そこからのフィードバックがよく反映されていることが窺(うかが)える。世に思考力の改善を謳(うた)うテキストは多いが、このレベルまで練り上げられている本は希少と言えるだろう。
また、本書の特長のひとつは、批判的思考や科学的思考のための訓練を施すだけでなく、非合理的な言説に人々が――そして、しばしば自分自身が――なぜ惹(ひ)かれ、従うのかについても、深く掘り下げている点だ。たとえば、血液型性格診断が科学的とは言えないのはなぜかという点のみならず(この点についての理解を促す本は、すでに数多く存在する)、それがなぜ一定の人気をもち続けているのかを理解できるようになる地点まで、本書は無理なくガイドしてくれる。これによって読者は、多様な言説や情報に向き合うための実践的な思考力を鍛えることができるのである。
さらに、本書が、自身のアプローチの限界を提示しているという点も特筆に値する。異なる意見を採り入れる開かれた心、探究への忍耐力、知的な謙虚さといったものは、「知性的徳」とも言われる。そして、この種の徳は、本書のドリル中心のスタイルでもある程度は身につけられるが、やはり限界もある。本書はこの点を最後に確認することで、「知性の改善」という伝統的な哲学のプログラムがより深い奥行きと広がりをもつことを示す。そして、この姿勢自体が、「知性的徳」をまさに体現するものになっているのである。=朝日新聞2021年10月30日掲載
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勁草書房・2200円=8刷1万1千部。昨年10月刊。「学生に加えビジネスパーソンにも読まれている。風説が飛び交うコロナ下で、多くの人の関心に応えたのでは」と担当編集者。