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日本に勇気を与える、江戸=東京の「敗者」論 ――吉見俊哉著『敗者としての東京』書評(評者:柳瀬博一)

記事:筑摩書房

「敗者」としての視点から、巨大都市・東京を捉え直す
「敗者」としての視点から、巨大都市・東京を捉え直す

三度にわたり「占領」された江戸=東京

 歴史の教科書を紐解けば、そこにずらりと並ぶのは「勝者」たちの名だ。だからだろうか。今の世界は、戦争に勝ち、政争に勝ち、市場で勝った者たちの手によってできた。私たちは、なんとなくそう思っている。

 でも、本当にそうだろうか。歴史には「敗者」たちが創造した側面があるのではないか。とりわけ、極東=日本の、さらに東の端にある東京という地においては。本書は、そんな敗者の歴史こそが東京の礎になっていることを鮮やかに明かす。

 東京における敗者の歴史は、縄文時代にまで遡る。武蔵野台地を六つの川が削りとってできた凸凹地形。そこに、縄文海進時の海面上昇に伴い、いくつもの半島と島が浮かぶ「多島海」的な風景が現れた。多くの貝塚や遺跡が残る、日本でも最も多くの人々の営みがあった。

 縄文の人々は、気候変動に伴い、次第に敗者となる。大陸からの渡来人たちが次の勝者だ。最新の文明と水田稲作文化を持ち込み、九州に畿内に、今につながる「日本」をつくった。東京で見つかる多数の古墳、神社は、渡来人が縄文人を制していった痕跡でもある。そして武士の祖たちがやってくる。天皇ゆかりの平氏の一群、中でも秩父平氏は武家社会到来の基盤をつくり、彼らが東京の勝者となった。ただし本書が詳述するのは、江戸=東京でかつての勝者が敗者となる三つのターニングポイント、徳川家康による江戸の占領。薩長による明治維新時の占領。そして一九四五年の米軍による占領だ。

「勝者」と混じりあう「敗者」たち

 敗者たちはどこに行ったのか? 殺されたのか? 逃げ出したのか? もう一つの道があった。勝者と混じりあう。本書は、その混じり合いをクレオール化と表現する。ヨーロッパ列強がアフリカやアジアを植民地にしたとき、現地の人々と身体的にも文化的にも混じりあった現象。それが東京という地ではずっと起き続けていた、というのだ。

思い当たるのが日本の流行音楽の誕生だ。米軍占領時に東京周辺の米軍基地や施設で演奏していた日本人ミュージシャンたちの活動が源流である。日本のポップミュージックは、勝者=米軍と敗者=日本人のクレオール化が生んだのである。

 明治から昭和にかけて最大のメディアスターである博徒「清水次郎長」について、本書は掘り下げる。ヤクザ者次郎長は、幕末から明治維新の薩長という勝者に蹂躙された旧幕臣たちという敗者にとってのヒーローとなった。なぜか。彼の物語が綴られ、浪曲となり、映画となり、日本のラジオ黎明期コンテンツとなったからだ。時代を切り開く新しいメディアは、勝者以上に敗者の物語を配信することで国民とつながった。清水次郎長を筆頭に、本書では、博徒、愚連隊など「無法者」の存在を、東京を形作る重要なレイヤーとして浮かび上がらせる。

山田興松と安藤昇――著者のファミリーヒストリー

「無法者」から連想する現代のヒーロー。それは「起業家」ではないだろうか。既存秩序にとらわれない、自由で強かな者。本書の最大の読みどころは、著者が自らのファミリーヒストリーを探求することで明かされる二人の人物、無法者と起業家の物語だ。

 一人は、明治期に「造花」の発明で財をなし、女学校を設立、米国進出までした起業家、曽祖父山田興松だ。そしてもう一人は、なんとあの安藤昇である。著者のいとこ叔父だ。裕福な家に育ちながら学生時代にドロップアウトし、特攻を志願し軍隊に入るもそのまま終戦。戦後は愚連隊を率い、安藤組を結成、東京の盛り場の顔となり、勝者である米軍と繋がりながら裏の権力となっていく。

 田園調布の中流家庭で生まれ育ち、東京大学の著名な教授となった一見「勝ち組」の著者は、起業家と無法者の敗者の歴史を自らの家系に見出し、「敗者としての東京」を、個々人の生き様として描き出す。

『敗者としての東京』(筑摩選書)書影
『敗者としての東京』(筑摩選書)書影

 人類は、アフリカから出ることで世界に広がった。旅立つものは常に「敗者」だったかもしれない。西から南から北からやってきた「敗者」たちが吹きだまる極東=日本。そのさらに東の端の東京では、敗者と勝者がミルフィーユのように重なり、混ざり合うことで都市のダイナミズムを更新し続けた。著者の敗者に向けた眼差しは、今の日本に勇気を与えてくれる。経済的には過去三〇年敗者だったこの国だからこそ、次の何かが生まれてくるかもしれない。その担い手は、おそらく現在の「敗者」なのだ。
(PR誌「ちくま」2023年3月号より転載)

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