演劇ワークショップが求められる三つの理由 鴻上尚史さん
記事:白水社
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「演劇ワークショップ」とは、演技はもちろんのこと、表現力やコミュニケーション力など「よりよく生きるために必要な技術」を上達させる、さまざまな演劇的方法のことです。
この本には、僕が効果的だと判断したレッスンを集めました。ですから、早くやりたい人は、この「はじめに」と「Ⅰ」をすっ飛ばして、とっとと始めて下さい。「演劇ワークショップ」は、なにより実践して初めて意味があるのですから。(ただし、あなたが参加者ではなく指導者を目指す場合は、「リーダーとファシリテーター」「ファシリテーターについて」の項を読むことをお勧めします)
以下は、「そうは言っても、『演劇ワークショップ』ってなんなの? どんな意味があるの? ただ遊んでるだけなんじゃないの? ファシリテーションやコーチングと何が違うの?」と思った人のための文章です。
ここ最近、演劇界以外でも、急速に「演劇ワークショップ」が求められ、広がってきました。教育界やビジネス界はもとより、一般レベルでの関心も大きくなってきました。
それには、主に三つの理由があると僕は思っています。
第一の理由は、子供達の遊びが変わってきたことです。
昔、子供達は原っぱで「ごっこ遊び」に興じました。まさに『ドラえもん』の「土管が転がっている原っぱ」の世界です。「ごっこ遊び」とは、自分以外の何者かになって遊ぶことで、これはまさに、「演劇ワークショップ」の基本のひとつです。
「お前、悪モン」「おれイーモン(正義の味方)」なんて言い合いながら、海賊になったり、忍者になったり、お姫様になったりして過ごした時間は、表現とコミュニケーションを学ぶための、とても大切な時間でした。
けれど、今、「原っぱ」で「ごっこ遊び」に盛り上がっている子供達はどれぐらいいるのでしょう。スマホやタブレットが与えてくれるゲームや動画など遊びの多様化がこの事態を生んだわけですが、さらにコロナ禍が追い打ちをかけたと僕は思っています。
そもそも、子供達は集団で遊ぶことが減ってきていると感じます。集団で遊ぶことで、子供達はぶつかり、調整し、試行錯誤し、譲り、踏み込み、失敗し、協力し、迷うという、コミュニケーションと表現のための貴重な経験をするのです。「ごっこ遊び」は、特に、自分達でルールを作り、自分達で面白さを見つけるという意味で、とても優れた集団遊びでした。
好むと好まざるとにかかわらず、集団での遊びより、個的な遊びが増えた現代は、子供達にとって人間関係が希薄になった時代だといえるでしょう。だからといって、子供達に「原っぱに戻れ」と求めることは不可能でしょう。それは、大人達に向かって、スマホを手放せと求めることと同じです。
けれど、子供達が「原っぱ」で学ぶ内容が、「演劇ワークショップ」で学べることに、多くの人が気づいたのです。「演劇ワークショップ」は、子供達の失われた「原っぱ」の代わりになれるのです。子供達が「原っぱ」に戻る日は来なくても、「演劇ワークショップ」を体験することで、子供の成長のために必要不可欠なことを得ることができるのです。
二つ目は、子供達だけではなく、大人達も人間関係の希薄さが問題になっているということです。
大人達もまた、遊びの多様化やSNS、ネット世界の増大によって、リアルな人間関係を生きる時間が減ってきました。それが、ビジネスシーンでは、コミュニケーションの問題としてコロナ禍以前から、クローズアップされてきました。分かりやすいのは、「飲みに行かなくなった若手とそれを嘆く中高年」という構図です。
昔の人の話を聞くと、「ほとんど毎日、上司や同僚と飲みに行った」と言います。それが、まさに「会社というワークショップ」だったのだと思います。連日の飲み会で親しくなり、心を開き、アドバイスを受けたり与えたりしながら、仲間意識を作り上げ、絆を固め、信頼し合う関係を作っていったのでしょう。
けれど、今はそんな「関係の作り方」はできなくなりました。この関係の作り方は、「飲みに誘われたらついていくのが常識」とか「自分の時間を犠牲にして当たり前」というような“信念”がないと成立しません。子供達の「原っぱ」がもう戻らないように、こんな状態の飲み会はもう戻らないでしょう。言うまでもないことですが、コロナ禍のリモートワークが、この状況を後押ししました。
21世紀になって、日本のビジネスシーンでも「アイスブレイク」「ファシリテーション」「コーチング」という言葉が広がり、定着してきました。これらは「演劇ワークショップ」と密接な関係があるのですが、連日の飲み会の代わりにビジネス界が見つけた「関係の作り方」と言えます。
会議をする時にお互いが緊張していたり、不安になっていては、創造的な議論ができるはずがありません。
例えば、「アイスブレイク」の目的は、「お互いの緊張を取ること」「失敗しても責められない雰囲気作り」「お互いを知ること」「自分自身を開示しやすい雰囲気作り」「お互いの信頼作り」というようなことです。
連日の飲み会を開かなくても、効率的に創造的な関係を作れる方法をビジネス界は見つけたということです。(ファシリテーションとコーチングに関しては後述します)
特に、日本人のコミュニケーションは、「世間」と呼ばれるものと密接につながっています(以下は僕が繰り返し話していることなので、分かっている人は飛ばして下さい)。「世間」とは、あなたが関係している人達のことです。「世間」の反対語は、「社会」です。あなたと何の関係もない人達のことです。
日本人は「世間」の人とのコミュニケーションはとても得意です。腹芸とか根回しとか、「知っている者同士」がコミュニケーションするためにいろんなことをします。が、「社会」に所属している人達に対しては、なんと言葉をかけていいか分かりません。駅の階段をふうふう言いながらベビーカーを持ち上げている女性に対して、日本人が誰も声をかけないことに、日本に来た外国人は驚きます。東日本大震災では何の略奪もなく、暴動も起こらなかった日本で(つまり、日本人はとても優しいと思っている外国人から見て)どうして、誰もベビーカーの女性を助けないのか理解できないのです。
でも、それは日本人が冷たいからじゃないと、私達日本人は知っています。それは、相手が自分の知らない「社会」に属する人だから、なんと声をかけていいか分からないだけなのです。もし、その女性が知り合いだったら、つまり、自分の「世間」の人なら、日本人はすぐに「大丈夫ですか?」と声をかけるでしょう。
知らない人同士が集まった会議で、日本人同士、なかなか打ち解けられず、会話が活発にならないのは、私達は「社会」の人達と会話することに慣れてないからです。
海外の会議に参加して、初めて会った者同士なのに、いきなり、議論が活発になる現場に出会って面食らう日本人ビジネスマンが多くいます。(もちろん、海外でも、なかなか議論が活発にならない場合もあります。だからこそ、「演劇ワークショップ」の手法が発展したのです)
連日の飲み会は、「社会」に属している新入社員や新メンバーを、自分達の「世間」のメンバーにするために必要な手順だったのです。ですから、「飲み屋の席でコミュニケーションを作る」という「飲みニケーション」が減った今、「アイスブレイク」が注目されるのは当たり前だと思います。
ただし、この本で紹介する「アイスブレイク」は、「親しくなる雰囲気づくり」だけではなく「声と体を使った表現力アップ」「コミュニケーション能力の向上」「プレゼンテーションなどの表現力アップ」という範囲までを含んでいます。「アイスブレイク」から「自分ブレイク」に進むということです。
三つ目は、学校教育における「一斉授業の限界」です。「チョーク&トーク」という言い方をされたりしますが、1人の教師が話し、大勢の生徒が黙ってそれを聞く、というスタイル以外の可能性を探ろうという動きが大きくなってきました。
僕はNHK−BS1で『COOL JAPAN』という、外国人をスタジオに呼んでいろいろと日本文化を語るTV番組の司会を十七年以上しています。一度、「日本に来た中高校生特集」をやりました。十数人の世界中から来た中高校生に「日本の中学・高校に来て驚いたこと」を聞いたのです。
彼ら彼女らはまずは「髪の長さやリボンの幅」などを規定している細かすぎる校則に驚いたのですが、その次は、「授業中、寝ている生徒が多い」ということだと言いました。僕は司会として「いや、君達の国でも授業中は寝る奴、いるだろ?」と突っ込んだのですが、多くの外国人中高生は、異口同音に「授業中は寝ている暇なんかない」と当然のように答えました。
それは、この本でも紹介するような、さまざまな「演劇的ワークショップ」の方法を授業中に導入しているからです。例えば、260ページの「キャラクター・インタビュー」のレッスンで紹介したのは、童話のキャラクターですが、これを歴史上の人物、例えばリンカーンとかルターとかマゼランにするだけで、刺激的な歴史の授業になります。
毎回の授業で常に参加を求められると、寝ている暇はなくなるということです。
もちろん、一斉授業にも良い点はありますが、「演劇ワークショップ」を導入することで、生徒達がより主体的・個別的に、そしてこれが最も重要なことですが、楽しく学ぶことができるのです。このことに気付いた人達が「演劇ワークショップ」に注目するようになったのです。
以上の三つの理由で「演劇ワークショップ」が今、求められていると僕は思っています。
【鴻上尚史『演劇ワークショップのレッスン──よりよい表現とコミュニケーションのために』(白水社)所収「はじめに──演劇ワークショップが求められる三つの理由」全文紹介】