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バブル崩壊からの25年間で生活困難層の生活と子育てはいかに変容したか

記事:明石書店

『低所得層家族の生活と教育戦略――収縮する日本型大衆社会の周縁に生きる』(明石書店)
『低所得層家族の生活と教育戦略――収縮する日本型大衆社会の周縁に生きる』(明石書店)

「豊かな社会」から貧困の存在が強調される社会へ

 日本社会には常に貧困が存在してきたが、いつの時代にも同じように存在してきたわけではない。貧困には時代的・地域的な固有性があり、それにあわせて貧困への関心の寄せられ方も変化してきた。日本社会に特徴的なのは、高度成長期を過ぎた頃から、貧困が政治的にも社会的にも問題化されない時期が長く続いたことである。

 そうした貧困がなきものにされていた時代の代表的な貧困研究のひとつに『豊かさの底辺に生きる――学校システムと弱者の再生産』(久冨善之編、青木書店、1993年)がある。低所得者向け公営住宅でのインタビュー調査をもとに、バブル景気に浮かれていた1980年代末の時代状況の中で、生活に困難を抱えた子育て家族が、他者に頼ることも出来ずに、限られた資源を手掛かりに自助努力で生活し、教育競争にコミットしている様相を明らかにした。大企業の日本型雇用を主軸とした教育競争・出世競争が昂進していた時代における生活困難層の子育てをリアルに描いた研究として、またそうした生活困難層の現実を直視しようとしない学校教師の実態を明らかにした研究として注目を集めた。「豊かな社会」が到来しているからこそ生じている生活困難層の実態を描きだしたのである。

 それから数十年が経過した。ここで紹介する『低所得層家族の生活と教育戦略――収縮する日本型大衆社会の周縁に生きる』は、『豊かさの底辺に生きる』の時代から20年以上が経過した時期に、まったく同じ公営住宅で再調査をした結果をまとめたものである。バブルは崩壊し、グローバル化に対応した企業の雇用戦略の転換と社会改革が進み、不安定雇用が増加し、前著の分析が前提としていた教育競争・出世競争への圧力は弱まった。一億総中流の幻想は消え失せ、貧困が顕在化すると同時にそれへの対策が政策課題として位置付くようになった。「豊かな社会」から貧困の存在が強調される社会へと移行する中で、低所得層家族の生活や子育てのあり方はいかに変容したのか。20年前に把握した実態と対照させて現代的困難を明らかにすべく、調査グループが再結成されたわけである。2009年から2011年にかけて第二次調査が行われ、その結果を『格差社会における家族の生活・子育て・教育と新たな困難』(長谷川裕編、旬報社、2014年)としてまとめた。さらには、2015年から第二次調査の対象者への追跡調査ならびに新規調査を行った。本書は主として第二次調査とその追跡調査で得られたインタビューデータを分析したものである。

「低所得層」を一括りにせず、生活主体として理解する

 1980年代末からの継続調査であることに加えて、貧困研究としての本書の特徴は二点ある。ひとつは、しばしば「しんどい」生活をしている存在として一括りにされがちな「低所得層」内部の分岐に注目していることである。具体的には、生活保護受給水準(=最低生活費)を基準点としながら、収入によって「最低生活費未満」、「生活保護受給」「経済的不安定層(最低生活費の1.4倍未満)」、「経済的安定層(最低生活費の1.4倍以上)」という四つのカテゴリーでケースを分類しつつ、それぞれの層での生活の作られ方がいかに異なっているのか、カテゴリー間の移動はいかに生じうるのかを検討した。もちろんカテゴリー間の月収差は数万円程度に過ぎず、いずれも「低所得層」であることには変わりは無い。しかしながら、中高所得層と対照させ「低所得層」と一括りにすることは、低所得層の生活のリアリティにそぐわない。その数万円がその時々の低所得層家族の子育て生活の成立に不可欠な場合が多く、そのやりくりの中にそれぞれの家族のこだわりや価値が現れるからである。

 もうひとつの特徴は、低所得層子育て家族を、厳しい状況に規定されながらも、そこに翻弄されるだけでなく、自ら望ましい生活をつくろうとする生活主体として理解することである。就労自活のための試行錯誤はもちろんのこと、「就労して自活すべき」とする規範の相対化や、生活保護の活用も生活の知恵として捉えた。また、大学進学をめぐる試行錯誤だけでなく、進学を選択しなかったり、大学とは異なる教育機関への進学を目指したりすることも教育戦略として位置づけた。大学進学が必ずしも有利な選択にならないからである。

不十分なセーフティーネット、ニーズとかみあわない支援や制度

 ケースの検討から明らかになったのは、以下のようなことである。就労しているにもかかわらず、収入が最低生活費に満たない、いわゆる「ワーキングプア」が一定の層を形成していること。年功型賃金を得ているケースは皆無で、収入増のためには転職をしたり、共働きをしたりするなど自らの主体的な判断と行動が必要となっていたこと。その一方で、生活保護受給を忌避するケースが変わらず多かったこと。地域ネットワークが著しく脆弱化し、集合住宅としての団地はむしろ親族同士が近隣に居住し、助け合うために利用されていたこと。大学進学規範を相対化する「手に職・資格」をめざす教育戦略が生まれていたこと。学校教師たちは子どもの貧困に関心を向けるようになっていたものの、その姿勢が徹底されず貧困に正面から取り組んではいないこと。詳細な分析結果は本書を参照して欲しいが、総じていえば、低所得層子育て家族の生活環境はより一層厳しくなっているにもかかわらず、新しいセーフティーネットの整備も学校の対応も不十分であり、その陥穽を「自助努力」でカバーしているのが実態であった。

 と同時に明らかになったのは、現存の支援や制度が必ずしも低所得層家族のニーズとかみあっていないことである。たとえば、調査で出会ったひとり親の多くは最低生活費未満で生活していたが、生活保護受給に強い忌避感をもち、申請をできる限り回避しようとしていた。生活保護を「最後の手段」と認識し、実際に身体が壊れるまで働き続けたケースが散見された。そして、こうしたひとり親たちの生活保護理解には、世間一般の生活保護バッシングや実際の行政による「水際作戦」が影響していた。このようにひとり親たちの生活戦略が生存権をめぐる日本社会の脆弱な理解に規定されていることは間違いないのだが、難しいのは、生存権の強調だけでは、貧困を生きるひとり親たちの多くは自らの生活保護受給を納得しづらい様子が見られたことである。生活保護受給は、それまで必死に就労自活を求めてきたひとり親の生き様を否定しかねない部分があるからである。その一方で、ひとり親たちの語りを丁寧に読み解くと、生活保護受給をめぐる別様の解釈がなされる様相も浮かび上がった。というのも、生活保護受給を忌避していたひとり親たちが、自分自身の生活のためではなく、子どもをケアするための保障として捉えるようになると、生活保護受給に納得できるようになっていたからである。一般的に生活保護は就労が困難な人が受給するものと理解されているが――もちろん、この理解は正確ではない――、上の解釈では、子育てを自身の重要な責務と考えるからこそ生活保護を受給する必要があるということになる。これは、狭い意味での生存権保障というよりは、日本社会におけるインフォーマルケアの保障の拡充整備をめぐる問題に直結する。

貧困を生きる人々は、何を大切にし、いかに自分たちの生活を成り立たせているのか

 低所得で生きる人々の生活の文脈への理解が必要だと思われるのは、生活保護受給の局面だけではない。たとえば、「手に職・資格」をめざす教育戦略が生まれていることを踏まえると、低所得層家族に必要なのは、四年制大学進学のための条件整備だけではなく、職業教育・訓練機会の拡充整備である。あるいは、低所得層家族のネットワーク分析からは、同じような境遇にある者同士の共感や連帯抜きには、公的保障を求めるようにはならない様相が明らかになる。このことは個人ベースでの公的保障の実現が福祉国家の重要な要件であることを前提としつつも、他者と連帯するための公的支援が必要であることを意味する。

 既に述べたように日本社会には一貫して貧困が存在し続けている。とはいえ、その性格は時代とともに変化している。時々の社会状況の中で貧困を生きる人々が、何を大切にし、いかに自分たちの生活を成り立たせているのか。そこを捉えなければ、貧困を生きる人々のニーズに即した支援や制度のあり方を考えることはできない。本書ではその一端を明らかにした。なお、今年度より継続調査を再開する予定である(本書は「生活困難層の教育社会学 大規模公営団地継続調査」シリーズの第1巻であり、今年度中に第2巻の刊行も予定されている)。

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