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ドイツ文学者・横道誠×漫画家・菊池真理子対談 宗教2世の当事者ふたりによるダイアローグ

記事:明石書店

横道誠さん(左)、菊池真理子さん(右)
横道誠さん(左)、菊池真理子さん(右)

人間の生きた声は、文学以上に文学的

菊池 今回、先生は宗教2世関連の本を2冊立て続けに出版されましたけど、この2冊の違いみたいなものっていうのはどういうのがあるんですか?

横道 晶文社の『みんなの宗教2世問題』というのはどっちかというと人文系寄りというかバラエティ豊かないろんな情報が詰め込まれている、福袋的、びっくり箱的なものをイメージして作った本で、明石書店の『信仰から解放されない子どもたち』のほうは、支援者に読んでもらって社会問題を解決する手掛かりにしてもらいたい、より硬派な印象を出すように作った本ですね。

菊池 どちらも当事者のかたにたくさんインタビューされているじゃないですか、私もインタビューしていただいた1人なんですけれども。どうでしたか? 私も『「神様」のいる家で育ちました』という漫画を、いろんなかたにインタビューして出したんですが、人にインタビューしてそれを書くって、先生はどういう感覚で書かれたのかなと思いまして。

横道 もともと私はドイツ文学の研究者で、文学作品を解釈したりするスタンダードな研究をやっていたんですけれども、飽き足りなくなって、口承文芸研究に惹かれていった。伝承されてきた昔話とか、そういうふうなものについての研究ですね。生きた声みたいなものに興味があったんです。自助グループを始めたのは、その点で自分の研究上に関心と地続きの面があったんです。人間の心の底から出てくるような言葉を聞きたかった。だから自助グループを9種類やっていて、「大変じゃないですか?」と言われるんですけど、感動的な場面が多いというか。今まで言語化できなかったことを初めて言語化して伝えようとする場面が多いですから、それに文学的な濃度を感じて、魅了されてしまう。この2冊の本でやった聞き書きって、民俗学で「ライフヒストリー」と言われるジャンルに近いことをやっているんですけど、私には素敵な瞬間が続々とやってくるという感じですね。

菊池 私は他のかたのお話をうかがっていると自分も癒されるというか、自助グループに自分が参加しているような感覚になることがあったんです。癒されるというとたぶん語弊があるというか、初めて聞いた人には「なんでそんな辛い話を聞いてあなたが癒されるんだ、おかしいんじゃないか」と思われるかもしれないんですけども、辛い思いをしたのは自分だけじゃなかったんだなという感覚って回復の第一歩というか…。なので、すごくいろんなかたを取材して、この人たちのお話を大事しなきゃいけないという思いと同時に、自分自身の辛さがちょっと和らぐような感じがあったんですけど、先生もそういうのはありますか?

横道 もちろんあります。もともと、自助グループを始めたのは発達障害の診断を受けたからです。発達障害って治らないものなんですよね。薬とかで完治はしないし、外科手術とかによって病気になった部分を取り除けるとかでもない。だから自助グループがすごく栄えているんです。みんなで集まって悩みを語り合って元気になっていくっていうね。そういうふうなものを自分でも、自分のいろんな当事者性ごとにやっていくということを考えました。発達障害のグループとか、アダルトチルドレンのグループとか、LGBTのグループとか。で、宗教2世のグループも作ったということですね。そして文学を超えるような感動に何度も出会うことになった。読書だったら、場合によっては流し読みをしても許されますけど、自助グループで流し聞きは許されないじゃないですか。それは全部受け止めなければいけないので。もちろん緊張を強いられて疲れたりすることはあるんですけど、やりがいがあるということでもある。

菊池 カウンセラーで、「そんなに人の大変な話を聞いていて大変じゃないですか、疲れないですか?と言われることがよくあるけれども、面白いんです」という答えをされているかたがいて。その感覚はすごく分かるなという気がします。人間ってこんなにめちゃくちゃなことをして生きている人もいるんだなという変な感動を覚えたりします。「あっ、人間ってこうなんだ」っていう。

横道 そうそう。まさに仰る通りですね。「これが人間か」っていうね。

菊池 ほんとまさに「これが人間か」になって。なのですごく面白かったなというのがありました。先生に取材していただいた身からの感想とすれば、自分がそうやって人の話を書いているときと、自分が書かれたときってだいぶ感覚が違うなって思いました。自分が人の話を書くときって、人の大事な人生を端折ったりつなげたり、構成し直すことにちょっと申し訳なさみたいなのを感じたことがあったんですよね。でも先生に書いていただいたら、すごく自分が可愛く感じた。「あっ、この子頑張ったな」っていう感覚があって、初稿が送られてきたときにすごく幸せになりました。

宗教虐待という言葉は20年前からあった

菊池 カウンセラーの信田さよ子先生がこちらの本にも登場されていますね。

横道 これは是非寄稿してもらいたいと思ってお願いしたんです。信田さんと言えばアダルトチルドレンの概念を日本で普及させた人としてすごく重要な人物で、菊池さんも私も宗教2世ということは、アダルトチルドレンという面もあるわけです。子どもの頃に家庭が壊れていた人たちということですね。でも、実は原稿を信田さんに依頼してくださいって担当編集者に伝えながら、アダルトチルドレンの話だけをいっぱい書いてきて、宗教2世については言及しないという、そんな誤魔化した原稿を寄稿してきたら嫌だなって不安だったんです(笑)。そしたらもうがっちりね、ちゃんと宗教2世のことを書いてきて、この人すごいなと思って。

菊池 私、信田先生のカウンセリングを1年ぐらい受けていたので、その中で私は自分が宗教2世だという気づきを得たんですよね。そのときにお話しされていましたけれど、臨床の現場では「宗教虐待」という言葉がもう20年前から使われていましたということを先生が仰っていて。「宗教2世で困ってます」というのは主訴ではなく、他のことで困りごとがあって、そのお話をしているうちに「いや、じつは宗教もやってまして」とあとから出てくるっていう話が面白いなと思いました。これからはもしかしたら「私、宗教2世なんです」というところからスタートする人もいるかもしれないですけど。その中でもう1つ面白かったのが、「8割ぐらいが創価学会の人ですよ」というのも。でも、これは人口比、信者比かもしれないですけどね。20年前からあった言葉で、アダルトチルドレンの自助グループ内では語られていたということと、あと、自助グループ的なんだけれども、一般社団法人として宗教2世のケアをしましょうという団体の「陽だまり」が先日立ち上がりまして、そこも20年前からなんですって。そこはエホバの2世さんたちが自分たちでなんとかしていこうというのから始まったということでしたけど。実態はもう昔からあったんですね。

親を「毒」という難しさ

菊池 ずっと長く宗教2世であることに苦しんで…、今現在も親との関係に苦しんでいるっていう人の悩みは深いのだろうということは、すごく思うんですよ。私はもう両親が死んでますからね、何を言っても怖くないんですよね。先生は縁を切られているけれども、まだ母親からの連絡とかがあるわけじゃないですか。そのたびにものすごく嫌な不快な気持ちになるだろうなということは容易に想像がつくし、私、今ここで母が生きていたらきついですよ。

横道 最近私の父親が私のツイッターをフォローしてきて。

菊池 えぇ!?

横道 アカウントが本名のままなんですよ。フォローしてるのが2人だけってなってて、ひとりは私で、もうひとりは具体的には言いませんけど、20代前半の女性芸能人だったので、困った人だなと思って、さっとブロックしました。

菊池 (笑)。どっちを先にフォローしたかちょっと気になりますね。そのためにきっとアカウントを作ったんでしょうからね。

横道 その芸能人の動向を追えたら楽しいなっていうのと、私との関係を回復したいというのが、現在の父の2つの大きな願いなんでしょうね。

菊池 そうなんですね。じゃあ今はきっとその芸能人のツイートしか見られないんですね。

横道 そうなんですよ。その芸能人を推すためだけのツイッター。

菊池 へえ。でもなんか、やっぱり連絡を取ろうとしてくるんですね。

横道 うんうん、やっぱりね。でもなんというのか。私は「毒親」という言葉には、すごく抵抗があったほうなんです。

菊池 はい、私もです。

横道 自分の親を毒というのは、やはりそういうのでは違うんじゃないかなというのがあった。「毒親」を使っている人は、親への怒りに燃えたぎっている人で。私も嫌なことはいっぱいあったけど、両親とも決して悪魔のような人じゃなかったのでね。

菊池 うんうん。そうですよね。でも、ね、やはり関係をもう一回再構築しようとは思わないわけじゃないですか。

横道 うん、でも一方で、会うたびに、ほんとに自殺したくなるんですよね。台所でお好み焼きを作ってる間に、そのまま包丁でグサッといきたくなる、首筋を。

菊池 そう。世間は「親なんだから許してやれ」とかっていうことを言ったりもしますけど、いじめられていた人が大人になったからって、いじめっ子が謝ってもいないのに許さないじゃないですか。友達にならないで縁を切るじゃないですか。なんで親のときだけ、親は謝ってもいないのに、子どもだから許さなきゃいけないのかというのがすごく疑問で。ここで親が、自分が過去に何をしてきたかということをもう1回、ちゃんと自分の中で反省して、何が問題だったのか分かって謝罪をしてきたら再構築の可能性もありますよ。でもそうじゃなくて水に流してねっていうのはおかしい。まさに今、エホバの証人が「心が痛んでおります」と言って、自分たちが過去に鞭打ちしてきたことと向き合わずに流そうとしているというのはおかしいことで。私は創価学会にエホバとか統一教会よりは自浄作用が期待できるかなという思いは少しあるんですけども、でもやっぱり「あそことは違いますよ」ということしか今のところ言ってないじゃないですか。自分たちが昔やってきたこととか、個々の家庭によっていろいろ程度の差はあったにしろ、教団からの指令、もしくは同調圧力的なもので信者がやったことに対して、なんの説明も反省もなく、うちはまともな宗教です、というのはちょっと違うかなと思うんですよ。個人的に今現在もまともだとは思ってないですけども。みんなちゃんと過去を見て謝ろうよというのは思いますね。

カルト宗教とまともな宗教?

横道 昔は1世とか2世とかいうような考え方がなくて、みんなカルトの被害者なんだという価値観でやってきたんですけど、今の宗教2世問題はちょっと姿勢が違ってきていて、親子問題が絡んでいるというのがあるので、もう今後は、金輪際、宗教は絶対に勘弁という2世が非常に多いんですよね。

菊池 そうですね、とても多いですね。

横道 そのことをよく分かっていない宗教系の支援者が多いんじゃないかな、という不安はあるんですよね。

菊池 よく先生もいろいろなところで書かれていますけども、宗教2世かカルト2世かというところにもつながってくるじゃないですか。私たちとしては、伝統的な宗教であったとしてもそこで苦しみを受けた2世さんたちの声も拾いたいという思いがあるので、「うちはカルトじゃないのでおいで」と言われると、すごく抵抗を感じますよね。

横道 うん。エホバの証人の1世の人に、ショックだったことについて聞いてみると、座禅にのめりこんでいる友達だったので、一回禅を組んでみないかって言われて、それに一番傷ついたという人もいました。

菊池 ああ、そっか、そうですよね。

横道 相手は好意だったんでしょうけど。禅というのは宗教の文脈を超えた受容のされ方もしているし。

菊池 イメージ的にはメディテーションみたいなね。

横道 そうそう。最近マインドフルネスというのも流行っていますけど。まあべつに禅をやったからその仏教に帰心しろとかいうわけではないし、良かれということだったんでしょうけど。宗教に騙されたと感じて、傷ついている人のことが分かってないんだなって。

菊池 感じますよね。

横道 間違った宗教に入って、信じちゃって、残念だったねと。今度は間違ってない宗教にようこそ、みたいな(笑)。

菊池 その間違ってない宗教にようこそ、と言っているかたというのは、言ってみれば信仰心がとても厚い人じゃないですか。最近思うのが、ものすごく信仰心に厚い人と、マインドコントロールされていると言われる人の違いって何って思うんですよ。

横道 まあ、マインドコントロールって言葉がね、すごく難しいし。

菊池 うん…。なんか『信仰から解放されない子どもたち』の本では割と福祉のことだったり、子どもの虐待について支援者がどういうことをしていけるかといったりしたお話がすごく多かったと思うんですけども、子どもの虐待というのを剥奪という視点から見るんだって仰っていたのはどの人だったかな。

横道 末冨芳さんです。剥奪、デプリベーションという語を使って持論を述べていました。

菊池 子どもの貧困とかそういうことに関して、絶対的な貧困だの相対的な貧困だのっていうところから見るんじゃなくて、その子が何を奪われているのかっていう視点が大事だっていう話がすごく示唆的だったというか。裕福であっても教育の機会がないとかっていう子どもたちが今問題になっているわけじゃないですか。その中でちょっと思い出したのが、ヘフェリン・サンドラさんというドイツのかたがイベントでお話されていたのが、統一教会の2世さんたちが大学に行くお金を、親が全部献金で使ってしまったという問題はドイツでは起こりえないと。なぜなら高等教育が全部無償だからですっていう話をされていたんですよ。なので、子ども全体の福祉ということを底上げすれば、宗教2世とか、その他の貧困状態にある子どもたちの福祉も良いように動くんじゃないかなと思うんですけど、それに関して日本はすごく遅れている気がします。

子どもと信仰の自由

横道 信田さよ子さんも言っていたけど、「信教の自由」という言葉をあまりにも大事にしすぎて犠牲にしてきたものがあるんじゃないか、ということに目覚めてほしいですよね。

菊池 ほんとですね。絶対、信教の自由より子どもの人権のほうが上ですよと思うのにね。なんであれは鉄壁なんでしょう。でも、法改正だのなんだのされると思いますか?

横道 12月末に、児童相談所とかにこうしてくださいっていうQ&Aが出されたから、あれは自民党による模範的な回答ではあるけど、逃げの要素もあるわけですよね。

菊池 やってますアピールですよね。

横道 法律改正とかまですると公明党が反対に回ってできないけど、やっぱり人権問題が関わってくるので現状ではちょっとまずいと。こういうQ&Aをちゃんと出すから、自民党がこれ以上苦しむような政治的追及みたいなことは、もうやめてほしいっていうね、一種のトカゲの尻尾切りみたいな。

菊池 ほんとですね。いやぁ、それを追いかけて(鈴木)エイトさんにとどめを刺してほしいんですけど。

横道 ほんとにもうエイトさんに頑張ってくれないと。みんなで応援しないといけないですよ。

菊池 政治家はもういいから、2世の支援を拡充させてくださいという人もいるけれども、やっぱり同時にやっていかないと無理ですよね。法律を決めるのは政治家ですもんね。

横道 そろそろQ&Aでも、会場の皆さんも質問したいことがあるかもしれないし。コメントでは何か質問はないかな。こちらのかたは、「福祉界隈にカルトが入り込んでいるのに行政から放置されていることにはどう思われますか?」ということですね。「行政の受託事業を受けている団体すらあるのを知ってショックを受けました」。

菊池 だからね、行政とか政治とかと結びついてしまっているカルトはやっぱり追及しなくてはいけないですよね。

横道 そのあたりはどういう団体のことを想定しているんでしょうね。福祉界隈とカルトっていうのは。

菊池 ね。まあ創価とかは絶対入っていますからね。

宗教が人の心を掴む時

横道 私の母は「何をするにも時がある」っていう「聖句」を気に入って、しきりに口にしていました。発達障害ってとても遺伝しやすく、私の母も発達障害の特性がはっきりある人なんですよ。発達障害があるとTPOが分からないので、「何をするにも時がある」とおそらく自分にも言い聞かせていた。じぶんがKY(空気が読めない)言動でいっぱい失敗して苦しんでいるから、「何をするにも時がある」って子どもたちに伝えたかったのかなというのは思います。

菊池 そっかそっか。横道さんの多動を治めたいから、治したいからエホバに入れたんじゃないかっていうことを書かれていたじゃないですか。この漫画を描くよりもずっと前に、ちょっとずつ取材みたいな感じで、自分の中の取材で宗教2世のかたに会っているときに、エホバのかたたちに会ったんですよ。そうしたら、エホバの子どもっていうのはピシッとしたスーツみたいなのを着て、ネクタイをして、3歳とか4歳なのに、家庭を訪問したときにビシッと1ミリも動かずに立っている。ちょっと自分の子どもの躾に悩んでいるお母さんとかがそれを見て、「エホバに入れたらこんなにいい子になるの?」って言って入ってくるんですよっていう話をして。

横道 まさにそれです。

菊池 普通だったら3、4歳の子がそんなになってたら、大丈夫?って思うかなと思ったんですが。

横道 ほんと子どものあのスーツ姿、悪趣味なのにね。私は今でもピアノコンサートとか見れないですもん。ピシッとした格好して、弾いて。あれ全部母親による「マインドコントロール」と感じてしまう。耐えられないです。私の母はああいうお子ちゃまスーツ姿に憧れる人です。

菊池 そうかぁ。そのかたたちに、「創価学会みたいに仏壇の前で祈っているのってちょっとカッコ悪いじゃないですか」と言われて、「あっ、カッコ悪いんだ」と思ったんだけど(笑)。それよりちょっと欧米っぽい感じでピシッとしてて、綺麗で。

横道 戦後の、アメリカとかヨーロッパに憧れがある女性たちの心を掴んだ宗教という面がありますね。創価学会も高度成長期に、男性たちのいけいけゴーゴー気分を掴んだ宗教だと思いますけど。エホバの証人というのはそういうふうな、「うちのかわいい子どもにバレエとかピアノを習わせたいわー」系のお母さんたちを掴んだ。

宗教2世問題について非当事者ができることは?

横道 次のは感想かな。「山上被告のようなどこに怒りをぶつけたらよいのか分からないという気持ちを抱えていても、声に出すこともできずにいる人、たくさんいると思います。明確な被害がない、何に困っているのか、何を支援してほしいのか表現もできない、こういう人たちがいるということも支援者のかたには知ってほしいと思って声を上げました。そのようなかたに目線を向けていただき、いつもありがとうございます」。

菊池 あるアメリカの団体は、声を上げたくても上げられない人のために、代わりに声を上げるということをやってくださっているんですって。なので、声を上げても届かなかったり、上げることができなかったりする人たちがたくさんいるということを、もう私たち怖いものなしの人たちが代わりにやっていくしかないなという気はしますね。

横道 日本脱カルト協会があるから大丈夫かなと思っていたんですけど、ちょっとそんな感じでもないので。2世支援の団体も、いっぱい立ち上がってるじゃないですか。宗教2世問題ネットワークであるとか、陽だまりであるとかね。でも、もうちょっと考えていかないといけない感じがしますよね。どうやって当事者の声を集約して、政治行動に訴えていくか。ロビー活動をしたりとかね、そういうのがもうちょっと足りないというか。

菊池 そうですね、なんかもうちょっとね…。

横道 今は社会問題化しているから結構政治に反映されていますけど、たぶんすぐにそうならなくなりますよね。

菊池 そうですね。そろそろ、怪しい感じがしますね。

横道 やっぱりこの問題は継続的にやっていかなければいけないので。

菊池 そして当事者がだいぶ疲弊しているなということも感じていて、声を上げている人たちが疲れているなという気がするんですよね。それで、私はこの言葉を使うことをためらっていたんですが、LGBTQの間では、そうではない人たちだけど、すごく頑張って社会活動をしてくれる人たちのことを「アライ」って言って、その中でもものすごく頑張ってくれる人のことを「スーパーアライ」って言うそうなんですよ。その言葉を宗教2世に当てはめていいのかな、言葉の収奪にならないかしらとちょっと思って使っていなかったんですが、まあ先生も使われていたので、アライだなと。藤倉(善郎)さんとかエイトさんって、ものすごいスーパーアライだなと思っているんですよ。そういうかたが増えてくれると、ちょっと当事者が発信できなくなっちゃったときにありがたいなと思います。

横道 あと、福島復興運動とかに関して本がある小松理虔さんという人がね、「共事者」という言葉を提案していて。当事者か非当事者かということで分断が起きると、自分は当事者ではないですから何も言えませんとか、あなたがたでやってくださいになっちゃうので。そうじゃなくて、自分は当事者じゃないんだけど、どうしてもその問題に対して他人事とは思えないと、是非関わっていきたいという共事者がいっぱいいると思うんですよね。それがLGBTQ界隈では「アライ」や「スーパーアライ」ということですよね。自分は同性愛とかじゃないけれども、好きな人と一緒になれなくて困ってる同性愛者たちを支援してあげたいとか、そういう人がいっぱいいるから、20代では同性婚に賛成の人が85%を超えているわけですね。このような人々を宗教2世問題でも増やしていかなきゃいけないというのが私の基本的な考えです。

菊池 そうですね。だいぶ増えましたよね、増えてくださいましたよね。

横道 たとえば発達障害だったら、それっぽい人って全人口の1割近くと言われているんですが、1割近くって結構多いわけですよ。10人に1人弱ですからね。星座は12星座あるわけですから、牡羊座の人とか獅子座の人とかと、どれかの星座の人と同じぐらいいるわけですよね。アダルトチルドレンに関して言うと、家庭が壊れていた人って、少なくとも自分はそう思っている人というのも結構多いと思うんです。日本人だったら、専門家によっては8割の人が家庭は壊れてるっていう人もいるんですけど。そこまでいかなくても、たぶん2、3割の人は、なんか自分の家庭はちょっとやばかったよっていうのはいると思うんですよね。それに比べて宗教2世の割合はやっぱりすごく下がっちゃう。幸福の科学とか創価学会とか、実勢人数がちょっとよく分からないというか、盛りすぎなんじゃないかというところもあって。エホバの証人も、予備軍を入れて30万人とかですから、実際に当事者と言える人は少ないと思うんですけど。でもこの問題はなんかすごく深刻な問題で、どうしても自分を揺さぶらずにいられないという人がいっぱいいると思うんです。そういう人がもっと増えてほしいと思うんですよね。普遍的な人権の問題ですから。

菊池 そうなんです。ちょっと想像できないような状態で生きているじゃないですか、エホバの2世さんとか、他の宗教の2世さんとか。それを予備知識なしで読んだ人って、ただただ衝撃を受けると思うんですよね。そこから一歩進んで、べつに何かをしてくださいということじゃないんだけれども、関心を持ち続けてほしいなって思います。

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