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カウンセラーとして思うこと――信田さよ子さん・評『信仰から解放されない子どもたち』

記事:明石書店

『信仰から解放されない子どもたち──#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)
『信仰から解放されない子どもたち──#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)

宗教2世当事者によって編まれ、語られ、書かれた本

 昨年(2022年)7月8日安倍元首相が銃撃された事件を契機に、山上被告をめぐる膨大な報道によって「宗教2世」という存在が世に知られることになった。いくつかの関連書も出版されたが、本書の独自性は、宗教2世当事者によって編まれ、語られ、書かれているという点にある。振り返ってみれば、90年代後半のオウム真理教事件のときは、まだSNSは存在していなかったために、当事者の発言の多くはジャーナリストや専門家によって「代弁」されることでしかマスメディアに登場しなかった。

 1980年代から開業相談機関のカウンセラーとして、アルコール依存症に始まるさまざまなアディクション問題の本人や家族にかかわってきた。そのなかには、当時はまだ珍しかった摂食障害や薬物、盗癖、性的逸脱行動なども含まれており、今でいうDVや虐待問題などは珍しくなかった。しかし80年代の臨床心理学を基盤としたカウンセリングの世界では、個人のこころの問題を扱うことこそ本務であると考えられていて、そのような問題は異端だった。ところが90年代初頭にはAC(アダルト・チルドレン)という言葉がアメリカから入ってきて、「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めたひと」という定義とともに、ひとつの流行語のようにしてひろがったのである。

 自分で選んだわけでもない親によって、自らの人生がここまで影響を受けてしまうのか、という感懐は、今でいう「親ガチャ」と共通している。この言葉が革命的だったのは、親の加害性を子どもが指摘し定義することを可能にしたこと、言い換えれば「自分(子ども)は親の被害者である」と自認することを可能にした点である。

 現在に至るまで、子どもの立場から親の加害性を告発する言葉は他に例をみない。#MeTooと同様、ACは「私は親から被害を受けたけれど、ここまで生きてきました」という意味を一瞬で伝えることができる。カタカナ語が日本で必要とされるのはこのような含意の豊かさゆえだと思う。

家族の中のもっとも弱い立場に身を置くこと

 アルコール依存症の父は酔って妻を殴り、家を破壊し、子どもを虐待した。子どもは暴力を目撃させられ、苦しむ母を支え、家族が壊れないようにずっといい子として育つしかなかったのだ。この3者の関係性は、いわばアルコール依存症の家族のデフォルトである。親としての役割を放棄し、大きな問題児として君臨する父と傍らで嘆きながら子どもにグチをいう母、そんな母の不幸を救えなかった自分はこの世に存在してはいけないという自責感で押しつぶされそうな子ども。デフォルトを少しずつ応用・変形すれば、山上被告の生育歴が手に取るようにわかるだろう。

 ACと自認した多くの人たちの言葉をカウンセリングで聞いてきたが、私自身がどれほど親子にまつわる常識から自由でなかったかを日々痛感させられることになった。親の立場ではなく、子どもの立場に立つことで初めて見えてくる過酷さがあった。援助者や専門家の位置取りが見落としてきたものがあった。家族は一枚岩ではない、親の立場と子の立場は鋭く対立するものである、さあ、あなたは誰の立場に立つのか、という問いは私に一種のパラダイム転換を要請した。現在に至るまでカウンセラーとしての基本は、家族の中のもっとも弱い存在の子ども(多くは娘)の立場を決して忘れないという点にある。

どんな専門書も当事者の言葉に勝るものはない

 本書の第一部には「宗教2世が宗教2世を支援する」というタイトルが付けられている。読者にとって馴染みが少ないのが、当事者が当事者を支援する=自助グループについてだろう。ここで私がアルコール依存症治療から学んだことを紹介しよう。1935年に誕生したアルコール依存症者の自助グループであるAA(アルコホーリクス・アノニマス)は、医療も警察も匙を投げたアルコール依存症者たちが酒をやめて回復可能であることを身をもって示したのである。精神科医など専門家たちは、依存症本人たちが生み出した言葉や知恵から多くを学び、時には言葉を剽窃しながら治療体系を作り上げたのであり、先に専門家ありきではなかった。

 これらが、当事者に対する私の敬意と謙虚さの源になっている。当事者先行・専門家追随というスローガンは、決して美辞麗句ではないのだ。

 宗教2世に対してもそれは同じだ。本書の編者が当事者であることの意味は強調しすぎることはないだろう。他の援助者よりはるかに以前から当事者の言葉を聞いてきたという自負が私にないわけではないが、宗教2世の自助グループを試行錯誤しながら実施してきた当事者こそがこの問題の主役であることは間違いない。

 私のコンプレックスのひとつが、論文執筆の際の参考文献の少なさである。それはひとえに、どのような専門書よりも当事者の言葉こそ私にとって最高の参考文献だったからだ。本書の中で、宗教2世当事者の方が、私のこの言葉を引用してくださっているが、こんなうれしいことはない。

足りていない支援者の関与

 さて、本書で強調されているのが支援者の関与であることを重く受け止めたい。なぜ多くの専門家が「信教の自由」の名のもとにこの人たちの援助を放棄してきたのか。中立性という名のもとに見失ってきたことはないのか。同業者にこれらを問いかけ、当事者からの要請にこたえてこそ、専門家であるという原点を確認したいと思っている。


◆出版記念トークイベントのお知らせ

◇横道誠×信田さよ子「宗教2世当事者と支援者をつなぐ」
2023年4月14日(金)19:00~20:30 @代官山 蔦屋書店
https://peatix.com/event/3511211

◇横道誠×菊池真理子「宗教2世の当事者ふたりによるダイアローグ」
2023年3月15日(水)19:00~21:00 @本屋B&B
https://bookandbeer.com/event/bb230315a_dialog/

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