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一枚岩ではないバスク社会――グローバルな視点から多面的に描く

記事:明石書店

中世の建築と現代ポップアートの対照が印象的な、バスク州の州都ガステイス(ビトリア)市旧市街(萩尾生撮影)
中世の建築と現代ポップアートの対照が印象的な、バスク州の州都ガステイス(ビトリア)市旧市街(萩尾生撮影)

いまなぜ再び「バスク」なのか

 20世紀以降の日本社会は、「バスク」に対する一般市民の関心が高まった時期を何度か経てきました。その関心の高まりを「バスク・ブーム」と形容しますと、今日のバスク・ブームは、かつてないほどの広がりを呈しています。しかもこのブームは、日本だけに留まらず、世界の随所で確認されています。

 目下のバスク・ブームを生み出した主役は、世界各地で流行している「バスク風チーズケーキ」の例を引くまでもなく、明らかにガストロノミー(美食)産業です。とはいえ、今回のブームの根本は、スペインおよびフランスからの分離独立運動を先導してきたETA《祖国バスクと自由》が、2011年に恒久的な武装放棄を宣言し、2018年に組織を解散したことに、むしろ求められるでしょう。

 1959年にさかのぼって半世紀以上活動したこの組織の存在は、バスク地方に対する負のイメージをつねに喚起してきたのですが、ここに至ってバスク地方は、「安全」で「新しい」市場として、飲食、観光、文化、芸術、スポーツ、研究開発イノベーション等の各方面から、がぜん注目され始めたのです。

「バスク」に向けられる紋切り型の眼差し

 日本において現在まである程度維持されているバスク・イメージの原型は、日欧交渉史研究の先駆者であった村上直次郎が20世紀初頭に書き残した以下の叙述に見て取れます。「バスク人はイスパニア最古の住民なるイベリヤ人種の子孫で、此山地に據って古来の風俗習慣を固守し、言語も特殊なるものを話して居ります、バスクのことばは日本語に似て居」ます(『外交史料採訪録』)。

 じつはこの文章は、19世紀の欧州を席巻したロマン主義の「バスク」に対する眼差しを反映しています。実際、W. フンボルトに連なる比較言語学者たちは、インド=ヨーロッパ系諸語と言語構造のまったく異なるバスク語の解明に苦労し、世界一難解なバスク語という神話が誕生するお膳立てを行いました。また、V. ユゴーをはじめとするパリのロマン主義文壇は、近代化の悪弊に毒されない敬虔で自由闊達なバスク人、という牧歌的情景を相次いで描出したのです。

 このようなバスク・イメージは、20世紀後半になっても、フランコ独裁の抑圧に抗うバスク民族、特異な言語・文化を保持する神秘のバスク民族、といった決まり文句とともに、日本のマス・メディアや文化人の文章において、繰り返し使い回されてきました。

 たしかに1997年のビルバオ=グッゲンハイム美術館の開館は、美術館誘致による地方都市再生の成功モデルとして世界の耳目を集め、刷新されたバスク・イメージの創出に大いに貢献しました。そして、今日の若い世代の持つバスク・イメージはさらに多様化しています。けれども、19世紀以来のロマン主義的な異国情緒趣味を「バスク」に探求しようとする風潮は、現在まで根強く残っているのが実情です。

リアス式海岸が特徴的な「海バスク」の風景。ビスカイア県バキオ町周辺(萩尾生撮影)
リアス式海岸が特徴的な「海バスク」の風景。ビスカイア県バキオ町周辺(萩尾生撮影)

思考の枠組みを国家の枠組みから解放する

 このたび刊行された『現代バスクを知るための60章【第2版】』は、上述してきた紋切り型バスク・イメージの解体を、ひそかに狙っています。初版の刊行は2012年ですが、初版と第2版において、その目指すところに大きな違いはありません。

 目的達成のために心がけたことがいくつかあります。まずは、一定の年月の経過に堪えうる基本的事項の説明です。本書は7部60章から構成され、そのⅠ部において、バスク地方の空間領域認識、バスク人の定義、そしてバスク語の特徴が論じられます。続くⅡ部においては、バスク地方の歴史が叙述されます。これらは短期的には変化しにくい基本事項です。Ⅴ部で取り上げる伝統文化についても、同じことが言えるでしょう。

 つぎに心がけたことは、私たちの思考の枠組みを国家の枠組みから解き放つことです。「バスク」と言うと、スペインないしフランスの一部というように、国家枠組みを基準にした認識のされ方が一般的です。が、バスク人意識の強い人びとにとってのバスク・ホームランドとは、スペインの中のバスク州だけではなく、お隣のナファロア(ナバーラ)州、そしてフランス領バスク地方まで含む、国境の両側に広がる領域なのです。さらには、世界中に散らばる在外バスク系同胞の存在も無視できません。本書では、バスク人の営為が確認される「場」を、可能な限り広く視野に収めています。

 この点に関連して、バスクの人名や地名等の固有名詞は、原則としてバスク語表記に基づくカタカナ表記を優先させました。人間集団のまとまりと言語の間には、緊密な関係があると考えているからです。

多極化する情報源への対応と多面的な叙述

 心がけたいまひとつのことは、現代バスク社会を多面的に描くことです。そもそも、バスク社会は決して一枚岩ではありません。本書のⅢ部からⅦ部においては、現代バスク社会の政治、経済、文化の各場面で議論を呼んでいる事象を取り上げています。その際、一面的な見方に偏らないよう、複数の情報源を比較参照しながら、総合的な叙述に留意しています。

 じつは、初版を刊行した頃までは、日本に入ってくるバスク関連情報の発信源は、大半がマドリードないしパリのメディアでした。そこで、初版の叙述においては、バランスをとる意味もあって、バスク・ナショナリストの声を多分に援用しています。

 ところが、その後バスク州では、エチェパレ・バスク・インスティテュートが2007年に設立され、バスク文化の魅力を自ら対外発信するようになりました。このこと自体は望ましいことでしょう。しかし、バスク州内のそうした公共機関や公共メディアは、活動の自律性が担保されているものの、州政府の政権担当党の影響を少なからず受けています。

 現在の政権担当党は、バスク地方の政治的独立よりも自治を重視していますから、そうした公共的な情報源ばかりに頼ると、バスク独立派やスペイン主義者の主張はあまり見えてきません。ETAの解散後バスク独立の動きは沈静化したという声がよく聞かれますが、独立派は依然一定の支持を得ています。現に2023年5月の地方選挙では、むしろ勢力を伸ばしました。

自決権を求める超党派の市民社会運動のデモ(ビルボ(ビルバオ)市内。萩尾生撮影)
自決権を求める超党派の市民社会運動のデモ(ビルボ(ビルバオ)市内。萩尾生撮影)

 このほか、英語圏メディアの影響力も絶大です。冒頭の「バスク風チーズケーキ」は、『ニューヨーク・タイムズ』の記事をきっかけとして世界的にブレークしました。ドノスティア(サン・セバスティアン)市発祥のこのケーキは、バスク産のチーズを使用しているわけでもなく、同市の伝統菓子として定評高い「パンチネタ」ほどの知名度もなかったのですが、海外での高評を経て、バスク社会に還流しているのです。

 さらには、今日のグローバル化した社会では、ICTの革新とともに、SNSを利用した個人や私人の発する情報も無視できません。情報発信源の多極化が加速度的に進行し、情報の発信・受容のあり方が劇的に変化しているのです。

 本書においてどこまで実現できたかわかりませんが、情報源が誰で、どのような意図をもって誰に向けて発信しているか、という点をつねに意識して本書を編集・執筆したことは、ごく当然のこととはいえ、最後に強調しておきます。

 本書を読まれた日本の読者のみなさんが、「バスクってこんなに奥深いんだ」と、バスクに対する興味をいっそう搔き立てられることを、期待してやみません。

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