フランス語で「納涼」するなら モーパッサンの怪談
記事:白水社
記事:白水社
ギィ・ド・モーパッサンは 1850年、ノルマンディー地方、ルーアンから北に 60キロに位置するミロメニルの城館で誕生しました。 10歳のときに両親が不和から別居し、母ロールはギィと弟のエルヴェとともにエトルタに移り住みます。ギィ少年は断崖の上を走り回り、ボートを漕いで過ごしました。
13歳からイヴトーの神学校に通いますが、厳格な規律に反抗し、 17歳のときに放校処分を受けます。その後、ルーアンでバカロレアを取得し、パリ大学に進学するも、1870年に普仏戦争が勃発。ギィは従軍しますが、 12月、部隊はルーアンの町を捨てて 潰走 。戦争の「現実」を目の当たりにしたモーパッサンは、以後、一貫して反戦の立場に立ち続けるのです。戦後、生計を立てるために海軍省に入ります。下級役人として味気ない日々を過ごすなかでの楽しみは、週末に友人たちと郊外に繰り出し、ボートを漕いでは大騒ぎをすることでした。
一方、 1873年頃より年輩の小説家ギュスターヴ・フロベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)の薫陶を受け、文学修業に励みます。観察の大切さ、最適な言葉を選ぶことの重要さ、何よりも芸術を尊ぶ姿勢など、多くのことを学び、モーパッサンは作家として成長していきました。
1880年、自然主義を主導するエミール・ゾラ(Émile Zola, 1840–1902)と、彼を慕う青年らによる共作短篇集『メダンの夕べ』に「脂肪の塊」を発表。群を抜く完成度の高さによって、モーパッサンは一躍名を馳せます。
成功を受け、モーパッサンは役所を辞め、作家として独り立ちします。活躍の舞台は新聞でした。『ゴーロワ』紙、次いで『ジル・ブラース』紙と契約し、時評文や短篇小説を矢継ぎ早に発表してゆきます。1881年に最初の短篇集『テリエ館』、83年には最初の長篇『女の一生』を発表。いずれも評判を呼び、瞬く間に人気作家の地位を確立してゆきます。ジャーナリズムを舞台にした悪漢小説『ベラミ』(1885)も評判となったモーパッサンは、上流社交界に顔を出す一方、ヨットを購入して「ベラミ」号と命名、たびたび地中海へクルージングに出かけました。
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順風満帆に見えていた人生ですが、実は早くから影が覆っていました。原因は 20代で罹患した梅毒(当時は不治の病)です。頭痛、眼痛、脱毛、胃腸や心臓の不調などに苦しみ、医師の診察や療養を繰り返しますが、症状は次第に深刻さを増してゆきました。
1892年1月、モーパッサンは高名なブランシュ医師の病院に入院、翌93年7月6日に息を引き取ります。
43年に満たない生涯ですが、1冊の詩集、約300の中短篇、6篇の長篇、3冊の旅行記、数篇の戯曲、それに 200を優に越す新聞記事が書かれたのですから、創作力は旺盛だったと言えるでしょう。なかでも著者の名を高からしめたのは短篇小説です。フランスにおける短篇作家の代表として、その作品は今も世界中で広く読まれています。
日本でも、モーパッサンは明治時代からよく読まれてきた作家です。田山花袋、国木田独歩、島崎藤村らに影響を与え、日本特有の「自然主義」の誕生にも貢献しました。21世紀のこんにちに至るまで、世に出た翻訳の数は枚挙にいとまがないほどです。
モーパッサンには「狂気」を主題にした作品が複数存在しますが、大きく2種類に分けることができます。
まずは、3人称の記述によって主人公が狂気に陥る過程を辿るもの。愛犬を殺した男が、遠く離れた地でその死骸と再会して驚愕する「マドモワゼル・ココット」«Mademoiselle Cocotte»(1883)、冬の山小屋に閉じ込められた男が、相棒の亡霊に怯える「山の宿」«L’Auberge»(1886)、息子が天然痘にかかるが、感染が怖くて見舞うことができず、苦しみの果てに発狂する「エルメ夫人」«Madame Hermet»(1887)。こうした作品においては、極度の恐怖によって精神が破壊される様が描かれています。
次に「髪」のように、「狂人」自ら告白を行う作品があります。乗馬に熱中する恋人の馬に嫉妬する「狂人か?」«Fou ?»(1882)や、(「オルラ」の前身とも言える)「ある狂人の手紙」«Lettre d’un fou»(1885)。さらに「狂人」«Fou»(1885)ではある殺人者の胸のうちが、「離婚の原因」«Un cas de divorce»(1886)では、生身の女性よりも花を熱愛する男の心境が日記に綴られます。このタイプの作品においては、正常な精神が次第に狂気に陥っていく過程が問題となっています。そのプロセスを辿ることによって、読者にとって「狂気」は理解不能な事態ではなく、より身近なものとして感じられるようになるでしょう。
どちらの形を取るにせよ、ごく普通の人間が「狂人」に至る物語を通して、モーパッサンは「狂気」が私たちにとって無縁ではないことを示します。人々が理性に信頼を寄せ、合理主義、実証主義が栄えた時代に、彼はその理性がいかに危ういものであるかを示し、警鐘を鳴らしているのです。
なお、モーパッサン自身、若い頃に罹患した病が原因で精神を病み、病院で最期を迎えることになります。彼が若い頃から狂気に関心を示したのには、はからずも個人的で切実な予兆があったのかもしれません。
19世紀末、実証主義が隆盛し、科学の発展に人々が無邪気な信頼を寄せていた時代に、モーパッサンは人々の心理の奥に潜む不安に目を向けました。果たして人間はこの世界をくまなく理解することができるのか。我々の理性は十分に信頼できるほどに盤石なのか……。そのような作家の問いかけが、本書に取りあげた作品の根底に響いています。理性の光の届かない「闇」は、実は私たちのごく間近に存在しているのではないでしょうか。
もっとも、モーパッサンが怪奇ばかりを追い求めていたのではないことは言うまでもありません。10年足らずのあいだに300におよぶ中短篇小説を執筆するなかで、モーパッサンは人間とは何か、この世界はどのようなものかという問いを様々な角度から探求しました。その探索の一環として、一連の怪奇・幻想小説も書かれたのです。
すなわち、恐怖、怪奇、狂気、そして幻想もまた、私たちを取り巻く「現実」のなかに確かに存在するものに他なりません。私たちが普段の暮らしのなかで見過ごしているもの、あるいは目を背けているものを直視するように、モーパッサンは読者を誘っているのです。
ここにご紹介した4篇の他にも、モーパッサンの多様な小説世界をフランス語原文で味わっていただければ嬉しく思います。
【足立和彦・村松定史編著『対訳 フランス語で読む モーパッサンの怪談』(白水社刊)より】