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「合理性」と「非合理性」から読み解く国際政治――小泉悠さん・評『「個人化」する権威主義体制』

記事:明石書店

クリミア橋に関するオンライン会議に出席したロシアのプーチン大統領=ロシア大統領府提供 (朝日新聞社)
クリミア橋に関するオンライン会議に出席したロシアのプーチン大統領=ロシア大統領府提供 (朝日新聞社)

 「ロシアって独裁国家なんですか」という質問を受けたことがある。もう10年以上前のことだ。その時の正確な答えはもう思い出せないが、たしか「民主的とも言い切れないが北朝鮮みたいな独裁国家と呼んでは可哀想」というような応じ方をしたように思う。

 それから10年以上を経て、今やロシアを「独裁国家と呼んでは可哀想」と弁護することは不可能であろう。2020年の憲法改正によってプーチンが2024年の大統領選に出馬することは確実視されており、2030年の選挙でもそうなれば実に2036年までの超長期政権ということになる。近代ロシア史上ではスターリンをも上回る長さだ。アジアに目を転じれば、中国でも2022年に習近平体制が3期目に入り、北朝鮮では金一族による世襲が金正恩で3代目に入っている。

 本書『「個人化」する権威主義体制』の著者である大澤傑によれば、これは世界的な現象であるようだ。そもそも権威主義体制をとる国家の数自体が増加しており、冷戦後は一党独裁型から個人支配型が多数派となった。ひとくちに権威主義といっても、そこにはいろいろな「型」がある、というのが本書の見どころの一つといえよう。

 例えばプーチンのロシアと習近平の中国についてはよく「似ている」という点が強調されるが、細いところを見ていけばもちろん多くの相違がある。ロシアではプーチンの権力を支えるために政党や政治運動がつくられ、いざ体制崩壊の危機に瀕した場合に備えて保安機関が大統領直轄とされているが、中国にはこうした動きは見られない。習近平の権力が絶大であるとはいっても、中国は共産党による一党独裁体制的色彩も強く持った国であって、権威と権力の全てがプーチンに由来するロシアとは大きく異なる。こうした比較検討を踏まえた上で、大澤は、中国の個人化の度合いはロシアよりもずっと低いと結論づける。また、同じ指標で見るとロシアは北朝鮮よりもなお個人化の度合いが強い権威主義であるとされており、いやはや10年の間にロシアもここまで来てしまったか、と長年ロシアをウォッチしてきた身としては複雑な気分を抱かされた。

大澤傑『「個人化」する権威主義体制:侵攻決断と体制変動の条件』(明石書店)
大澤傑『「個人化」する権威主義体制:侵攻決断と体制変動の条件』(明石書店)

 ところで大澤によると、個人支配型権威主義の特徴は、予測可能性の低さにある。一言で言えば、強大な権力を握った独裁者は何をしでかすのかわからないから怖い、ということだ。だが、これは独裁者が頭のおかしい連中であることを意味しない。本書において大澤が描いているように、一見無謀に見える侵略戦争や国際的非難を浴びる核開発は、独裁者の権力維持という観点からすれば、どれもそれなりに説明のつく振る舞いである。「非合理的」に見える権威主義国家の行動も、その内在的論理に立ち入ってみれば一定程度「合理的」な側面が存在しているということになる。

 このような関係性は、多くの人々にとっても、うっすらとは理解されてきたものではないかと思う。しかし、本書『「個人化」する権威主義体制』は、この「うっすら」した理解を権威主義体制研究の最先端理論と組み合わせ、非常に明瞭な形で描き出した。これが本書の見どころの二番目である。

 別の言葉で表現すると、21世紀の世界では一見、人々が同じ言葉で喋っているようでいながら、その解釈が大幅にズレている、というのが本書から得られる知見ではないだろうか。例えばロシア政府がたびたび強調する民主主義や自由という言葉は、語彙の上では西側の掲げる理念と同じように見えるが、その意味するところは全く違う。民主主義は「人々の意を汲んだ(とされる)リーダーへの全権委任」に、自由は「西側の意のままにならない強いロシア」に読み替えられたりする。この意味で言えば、合理性という言葉もまた、何を目的とした合理性なのか、その目的を達成するためにはどこまでの手段を用いることが合理的と判断されるのかを相手の内在論理に基づいて理解しなければ噛み合わないままだろう。

2023年7月27日、平壌で行われた軍事パレードを観覧する金正恩朝鮮労働党総書記(中央)とロシアのショイグ国防相(左から2人目)、中国共産党の李鴻忠政治局員(右)。朝鮮中央通信が配信した=朝鮮通信(朝日新聞社)
2023年7月27日、平壌で行われた軍事パレードを観覧する金正恩朝鮮労働党総書記(中央)とロシアのショイグ国防相(左から2人目)、中国共産党の李鴻忠政治局員(右)。朝鮮中央通信が配信した=朝鮮通信(朝日新聞社)

 それにしても、こうして眺めてみると、個人支配型権威主義というのは実に厄介なものである。それは一応、近代国家の体裁を重視する一党支配型権威主義よりも属人的であり、ひとたび成立するとなかなかそこから抜け出せない「パンドラの箱」的な性質を持つ。また、大澤は、個人支配型権威主義の増加が国際秩序の流動化と関連しているのではないかと述べているが、そうだとするならばこの厄介な体制はさらに広がりを見せていくのかもしれない。

 つまり、権威主義体制が世界のありように影響を及ぼすだけでなく、世界のありようもまた、権威主義のあり方を変えていくという負のループが存在しているのではないか。このような暗い予感をどうしても持ってしまうのである。

 このループから抜け出すことはおそらく簡単ではない。ただ、我々が配られたカードの中で勝負することを運命づけられたプレイヤーである以上、このことは所与の前提としてまずは受け入れるほかないだろう。非合理的に見える個人支配型権威主義体制の論理をなんとか読み解き、その行動を我々が考えるところの合理性の範囲内になんとか収めさせ続けること。バトンを渡されたのは、本書を読み終えた我々自身である。

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