戸籍が生み出す社会のひずみ――李英美さん評『新版 戸籍と国籍の近現代史』
記事:明石書店
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あなたは日本人ですか? 日本に住んでいながらこのように尋ねられることはめったにないであろう。では「日本人であることを証明してください」と問われたとき、どのように答えるであろうか。多くの場合に、「日本国籍を持っている」という理由が挙げられるだろう。だが、日本国籍であることを証明するパスポートの取得には、戸籍謄本(抄本)が必要である。
日本では戸籍を持たないと原則、パスポートが発給されないのである。戸籍が「日本人」たる根拠となる理由はどこにあるのであろうか。戸籍を持つことの意味は何であり、そもそも戸籍とは、いつ、誰が、どのようにつくったものであろうか。
今日においても「この度、入籍しました」などと「結婚した」あるいは「婚姻届を提出した」ことを「入籍」と呼ぶことがある。また「長男の嫁」「次男坊」といった家制度の残滓である序列のつけかたや「未婚の母」という呼び方もいまだ存在している。日本人であるならば必ず戸籍を持っているというわたしたちの意識にいまだ根付いている感覚を本書は「戸籍意識」(p.20)と呼ぶ。本書は、この日本人と日本社会に無自覚に根付いている「戸籍意識」の深淵に注目して、単なる身分登録制度に留まらない戸籍制度の歴史的なりたちにせまっていく。
はたして戸籍とはなにか。戸籍とは、「個人の身分関係の変動について記録し、国家が管理する公文書」である(p.14)。そして日本の戸籍制度というのは、身分登録の対象について個人を単位とするのではなく、家族単位としてきたことにその特色があった。すなわち戸籍上において個人は、あくまで「家の一員」として把握されるのである。
家族単位の身分情報が登録される場合、その範囲は広く、戸籍にはときに当人が公開を望まない身元情報が記載されてきた。たとえば、戦前の戸籍制度では、国家が「非嫡出子」の発生を妨げようと、父親の認知を受けていない婚外子を「私生子」と記載して差別した。一九八二年に近代日本における最初の全国統一の戸籍法となった壬申(じんしん)戸籍には、平民・華族・士族といった身分上の区別や、「被差別部落」の人びとに「元穢多(えた)」なる差別的記載が残っている場合もあった(第1章)。さらに戸籍をみれば「元男性」や「元女性」であることもわかるという(第6章)。
このように戸籍に記される事柄というのは、単なる出生、死亡、婚姻の記録に留まらず、戸籍法そのものが「国民」や「家族」をめぐる、ある種の道徳律を生み出してきたのであった(p.20)。戸籍制度は、国家が正しいと認識する、適法な「婚姻」「家族」「性(別)」に境界線を引き、人びとに同調圧力をかけてきた歴史でもあった。
普段は空気のように存在を感じず無色だが、個人に終生つきまとう戸籍の存在。多くの人びとにとって、日常の生活において戸籍で悩むことはそうそうないであろう。だが本書では、戸籍に振り回され、悩む人びとが描かれる。それは、ときに徴兵から逃れるため戸籍を捨てるもの、戸籍を利用して生きるもの、戸籍を理由に国籍や居場所を失うものたちである。こうした、戸籍にまつわる問題の多くは、戸籍の身分登録としての機能が、個人の「私的身分」の証明のみでなく、「日本国民」であることの証明をも果たすことに由来する。
「日本国民」という概念は、明治国家のもとで制定された国籍法により、その輪郭が明確となっていく。一八九九年に施行された国籍法(旧国籍法)は、血統を重視し、血統主義を原則とした。そして、国家の基盤となる家の構成員はすべて「日本人」でなければならないという家制度の純血主義と密接に結びついていた(第2章)。日本国籍を示す「日本人」の証明として、戸籍に自明の価値を認めていた国家の姿があらわとなり、「日本国民」の概念がつくられていった。
明治維新以降、新政府による戸籍政策の主眼は、治安・風紀上の観点から脱籍者や「無産浮浪者の徒」(第3章, p.121)の増加を防ぐ目的を持ったが、近代主権国家としての道を歩む新政府は、日本本土に編入した琉球人や北海道アイヌをも戸籍に組み込み、日本戸籍への編入が「日本人」となる形式的手続きとなっていった (第3章)。戸籍制度は、戦争と植民地主義に突き進む近代国家の歩みと強く結びついていくことになるのである。
新たに統治する地域ができた場合、その土地の民をいかに定義するのか。日本の場合、植民地支配においては植民地出身者を「帝国臣民」として統合することを目指した。それは、戸籍が対象とする「日本人」範囲の拡大を意味した。だが、日本は同化主義をうたいつつも「日本民族」の「純粋さ」を守ることにも重要性をみいだしていた。そこで利用したのが、戸籍であった。植民地出身者に表向きには「日本国籍」を付与して「包摂」しつつも、対内的には「内地人」/「外地人」という法的地位をつくりだし「排除」したのである(第4章)。この区分は、「内地人」=日本戸籍、「外地人」=朝鮮戸籍・台湾戸籍(植民地別の戸籍制度である「民族籍」)を指し、戸籍に依拠していた。そして自由な戸籍の移動(転籍)を認めないなど、戸籍制度の区別が、そのまま民族を分かつ壁として機能した。戸籍は、植民地支配と戦争とともに帝国の秩序を保つためのひとつの手段となったのである。
他方で、人びとの営みは、国家の思惑にそのまま収まるものではなく、戸籍の管理網をくぐり抜けて、領土や国籍の間を往来する人びとの活動があった。戸籍を活用して、「中国国籍を保持したまま「中国人」として生活し、必要に応じて「日本人」の身分を利用する事実上の二重国籍」(第4章, p.204)として、「日本国籍」に仮住まいする「台湾籍民」の存在。また、日本領土外の「帝国臣民」の管理が追いつかず、満州地方で多数発生した無戸籍として生きる朝鮮人たちを、治安・国防上の観点から「就籍」という法的手続きにより新たに戸籍を創設することを目論む日本政府の姿。このように、戸籍のもとに人びとを捕捉するために奔走する国家の姿を思い浮かべると、いかに人びとの生の多様さと制度が乖離していたのかがうかがえるだろう。
戸籍が人びとにもたらす不条理は、戦後も続いた。植民地支配と戦争とともに歩んだ人びとの生活事情や、婚姻、離婚、出産、死亡といった家族をめぐる背景はさまざまであったが、戦後日本は、個々の生活実態に配慮するのではなく、戸籍の有無で「国民」の資格を新たに定めていった。
日本政府は、植民地支配がもたらした「日本国籍」を持つ旧植民地出身者の身分を、戸籍に紐づけて一律に「外国人」へと変動させた(第5章)。この措置がもたらした負の影響は、戦後に日本の植民地や勢力圏から引き揚げてきた日本人の地位にも多大な影響を及ぼした。たとえば戦前、日本人(植地期の区別では「内地人」)であった女性が、朝鮮人や台湾人と婚姻して妻となった場合、朝鮮戸籍や台湾戸籍に入ることになっていた。そうすると、婚姻や養子縁組の結果として家=戸籍を移動したことで、「内地人」から「朝鮮人」「台湾人」となった(逆の場合「台湾人」「朝鮮人」から「内地人」への変動も生じた)。この元日本人の女性の戦後の法的地位は、旧植民地出身者に対する戸籍に紐づけた措置に基づき解釈すると、「外国人」となる。こうして当人の意思とは無関係に、法的な帰属、戸籍、国籍をめぐるねじれが多数生じたのである。
また、より直接的に、国家が戸籍を消す・奪うこともあった。戦後に発生した「中国残留邦人」(日本政府による「残留孤児」「残留婦人」の総称)の帰還問題の背景には、戸籍の根拠が存在している。日本政府は、生死が不明な未帰還者を「死亡者」とみなして国家的保護の対象から外す「戦時死亡宣言」制度を用いて、国策として満州に送り出した元開拓民の日本人の戸籍を奪い、帰国支援はおろか身元調査すらも打ち切ったのであった(第5章)。人の生死をも左右する線引きが、いとも簡単に戸籍を用いてなされた。
戸籍は、現代社会の課題を浮き彫りにする。戸籍を基準に物事を切り分ける発想は、人びとが社会で相互に築こうとする関係性に亀裂をもたらしてきた。受理されずに突きかえされる「出生届」のように、同性婚や別姓での婚姻を望む人びとの障壁となり、国際結婚では外国人を排除する戸籍――戸籍制度から逸脱するとみなされた人びとは、さまざまな「生きづらさ」に追いやられてきた。どんな制度も人びとを縛るものであるのならば、制度に縛られない意識をわたしたち自身がつくっていくことは可能だろうか。