話題の「美術探偵」による、ミステリ小説のようなノンフィクション ――『ヒトラーの馬を奪還せよ』
記事:筑摩書房
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ドイツでは1945年を境に西暦の一桁目が5の年が象徴的な意味を持つようになった。単に第二次世界大戦の終結を意味するだけでなく、ナチス党の独裁が崩壊した年でもあるからだ。
戦後、ナチスの犯罪を追及した旧西ドイツでは1985年に、当時の連邦大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーが無条件降伏の記念日である5月8日、連邦議会で『荒れ野の40年』という演説をし、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳)という一節を残した。ドイツ統一後の2005年には、ヒトラーを「世紀の悪魔」としてではなく、死を前にしたひとりの「人間」として描いた映画「ヒトラー ~最期の12日間~」(2004年公開)が大いに話題になった。
では直近の2015年はどうだっただろう。
個人的にはヒトラーの著作権が消失することを受けて、ドイツの現代史研究所が彼の著作『わが闘争』の詳細な批判版を出版することがアナウンスされ、2016年1月に出版されたことが記憶に新しい。これは『わが闘争』が神話化されることを阻止する試みだった。
こうしたナチスの歴史の風化を阻止する試みがある一方で、2015年にはいまだにナチスの影がドイツを覆っていることを痛感させる事件もあった。
同年7月、ドイツ北部のハイケンドルフで、男性が第二次世界大戦時代のパンター戦車や対空砲を所有していることが発覚するという衝撃的なニュースがあった(男性は2021年8月に戦争兵器管理法違反で25万ユーロの罰金刑を言い渡されている)。「Heikendorf Panther」と検索すれば、押収時の報道映像がいまでもYouTubeで閲覧できる。
この摘発はビジュアル的にも戦車が注目されたが、そもそもそのきっかけになったのは同年五月にドイツ中部のバート・デュルクハイムで一連のナチス時代の美術品が発見されたことにあった。そこには、戦後失われたと思われていた等身大の馬のブロンズ像2体も含まれていた。
ナチス時代には、ナチスのイデオロギーに合わない美術品が退廃芸術として排斥される一方で、プロパガンダを目的にして大々的に称揚された美術品も多かった。この馬のブロンズ像は、ヒトラーのお気に入りだった彫刻家ヨーゼフ・トーラックが制作し、ベルリンの総統官邸の前に飾られた、まさにナチス・プロパガンダを象徴する作品だ。「ヒトラーの馬」という異名まで持っていた。
本書は、戦時下に失われたと思われていたこの「ヒトラーの馬」発見に中心的な役割を担ったオランダの美術探偵アルテュール・ブラントによるノンフィクションだ。ブラントは美術品のブラックマーケットで「ヒトラーの馬」が売りに出されたことを知り、さまざまな手がかりを辿りながら発見するまでを、とてもスリリングに描いている。再現性の高い会話体もまじえて、まるでミステリを読むような読み心地だ。
しかもその内容たるや、調査の過程でナチス親衛隊メンバーを救出するために活動する組織「静かなる助力」(シュティッレ・ヒルフェ)、トーラック同様ナチス時代に称揚された彫刻家の名を冠したアルノ・ブレーカー美術館、芸術と文化の促進を謳いながらも謎の多いアレクサンダー騎士団など、あまり表沙汰にされないナチス絡みの組織や団体までがクローズアップされていて興味が尽きない。また旧東独と壁崩壊直後の美術品のブラックマーケット事情なども詳しく語られていて、美術品をめぐるドイツの戦後の負の部分に光を当てた一冊となっている。
著者(アルテュール・ブラント氏)がニュースで話題
「2020年に美術館から盗まれたゴッホの絵画「春のヌエネンの牧師館の庭」(約4億7千万~約9億4千万円の価値)が3年半ぶりに発見! 取り戻したのは警察と協力関係にある美術探偵」