ジェイムズ・ステュアートの商業論がわかる 『失われた〈重商主義〉の探求』[後篇]
記事:白水社
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「重商主義」とは、周知の通り、アダム・スミスが『国富論』において自らの批判対象を指して用いた呼称である。しかし、これも学説史上では周知の事実として、スミス自身は『国富論』でステュアートについて一切言及しなかった。それゆえに、『国富論』と先行諸学説の対立構図の外で宙に浮いた『原理』は、イギリスでは擁護や反批判によって注目されるよりも、むしろ忘れられていった。イギリスでの両者の明暗は、「スミス対ステュアート」の構図で対決した結果ではなく、「スミス対重商主義」の構図にステュアートが位置づけられなかったことで分かたれたのである。
他方で、『原理』は国内外ですでにある程度読まれていた本でもあった。そのため、「スミス対重商主義」の構図を「スミス対重商主義(=ステュアート)」と捉える読者があらわれたことは不思議ではなかった。実際に、大陸ではスミス以前の経済学の例としてしばしばステュアートが挙げられ、それが結果的に「ステュアート=重商主義」という認識をつくり出していった。カール・マルクスに「重商主義の総括者」と評されたことは、この構図を広く普及させる上で大きな意味をもったに違いない。マルクスは、ステュアートの貨幣や利潤にかんする理論の批判的検討から、それを重商主義的だと評価した。古典派以前の経済理論としての到達点と限界とを『原理』に見出した。さらに前節でも触れたように、『原理』にはいわゆる保護貿易政策や輸出・産業奨励政策など、重商主義の主張と親和的な政策提言が随所で示される。
さらに、そうした提言の基礎におかれた問題意識として需要不足と失業を指摘したことは、のちにケインズ経済学が登場したとき、それにつながる先駆的研究としてステュアートが評価される経路となった。実に、ステュアートの学説史的研究の最初期は、一面ではこうしたケインズ理論の源流を探究する試みに端を発したのである。他面では、とくに日本で展開されたように、近代社会論や価値論といったイギリス古典経済学の系譜をたどる中で「総括者」ステュアートが再発見されたのであった。
一九八〇年代以降になると、再発見から再評価へ、ステュアート体系そのものを学説史に位置づける『原理』研究が進展する。貨幣・信用論における独創的観点に対する分析が深められ、スミスと比肩しうるもう一つの体系、貨幣的経済理論としてのステュアートの存在は、紆余曲折を経てようやく認められるに至ったのである。
かくして、ステュアートはもはや忘れられた経済学者ではなくなった。しかし、かれはいかなる意味で知られているのか。それは重商主義の総括者として、有効需要論の先駆者として、あるいは古典学派に先立つ最初の経済学体系としてである。ステュアート理論が独創的であったことは今では広く認められている。なぜなら、それは均衡に対して不均衡を、価値と生産に対して貨幣と流通を、自由に対して保護を説く、自由主義理論に対する重商主義理論であるから、である。それが、後世の理論との相対化によって「見えてきた」ステュアート像であった。
しかし、ステュアートの目の前には、そうしたpolitical economyの視界は必ずしも拓けていなかった。そして不幸にも、ステュアートの後継者としてその理論を実際にのちの不均衡論へ、有効需要論へ、古典派に並びたつもう一つの経済学体系へと昇華させた経済学者はあらわれなかったのである。それならば、ステュアート自身は未開の経済学という領域で一体「何を」追求し、どこに到達したのであろうか。本書はそれこそが交易と商業の原理であると考えている。
詳しい説明は本論に譲らねばならないが、ここに本書の結論の概要を示しておく。
ステュアートに独創的な〈商業〉の原理とは、経済合理的な主体、すなわち商人の活動が社会に市場経済という場を生成し、その場を支配する市場原理を社会に浸透させてゆく論理のことである。そうして形成されてくる市場では、各人の合理的な行動の結果として需要と供給が調整されてゆく。そのため、ステュアートは商人の活動に関しては自由と競争を強く支持した。こうした立場からすると、ステュアートは「市場の」不完全性を問題視したとは必ずしもいえない。
しかし、その合理性が支配するのは一国のうちのごく一部にすぎない、というのが商業論のもう一つの重要な特徴である。ステュアートが介入すべきと考えた不均衡とは、いわゆる市場の失敗ではない。近代社会では、経済合理性が貫徹する市場の周りに、そうした行動原理には規制されない、いわば経済的には非合理な国民の社会生活が展開されている。この市場経済と社会生活のあいだの利害衝突こそ、商業の原理の研究を通して見出される近代社会の不可避の課題なのである。
ステュアートの商業論は、商業を単なる流通の媒介としてではなく、市場の秩序を生成・維持するために必要不可欠の活動として分析し、その社会的意義を解明する。そして、商業がつくり出す市場経済と国民の日々の生活のあいだの調和を実現するために、為政者の「巧妙な手」が必要であることを示した。これが、近代社会と市場経済の形成の時代をみつめ、流通過程をふかく分析したからこそ得られた、重〈商〉主義者ステュアートの到達点なのである。
ステュアート『原理』体系は、いかなる意味において「重商主義」的であるか。本書ではこの問題に「商」すなわち商業の観点から挑戦し、終章においてひとつの結論を出すことにしたい。しかし本論を始める前に、もうひとつ提起しておくべきことがある。すなわち、ステュアートと重商主義について再考することは、今日の激変する世界経済に対して一体どのような意義を有するのか、ということである。
この研究を通してみえてくるのは、商業の原理の考察から近代社会の課題を析出し、市場と社会を調和させる方策を探求するステュアート像である。そして同時に、その成果としてのステュアート商業論の独創性をも明らかにする。それは、商業が市場経済の秩序を生成してゆく動学的論理を意味している。〈商業〉論の本質とは、商業活動の動機やしくみを整理するものにとどまらず、ひとつの社会の中に「市場」が構築されてゆく原理を内包しているのである。
このような〈商業〉論は、資本主義の準備段階にあたる原蓄期はもちろん、今日の世界的な、また電子空間まで及ぶ市場経済の展開を読みとく際にも大きな手がかりを与える。新たな取引の場、新たな取引の対象、新たな取引の方法は、その時代ごとのもてる技術を駆使して日々生み出されている。そしてそこでは生産と消費、供給と需要の関係のみでは語りつくせない、商業の歴史的・社会的機能が非常に重要な役割を担っている。
現代に目を転ずれば、世界の経済秩序は多くの課題に直面している。経済大国間の貿易摩擦は、過激な応酬に進んで貿易戦争とまで表現された。世界的な感染症流行にともなって物流網が物理的に遮断されたことで、国家間にまたがる分業体制が揺らぎ、生産と消費の両面に多大な経済的影響を及ぼした。物流と人流の制限が解除に向かうかとおもわれた時機に、政治的紛争から新たな流通の攪乱が生じた。これは天然資源や食糧の供給を不安定化させ、世界中で物価の高騰と社会生活の混乱を引き起こしたことが記憶に新しい。
こうした経済情勢の激変に対峙するためには、流通機構の原理や国家の経済介入の意義を理解しなければならない。資本主義経済の本質的な病理とはいかなるものか、そこに生ずる不均衡に対して国家は何をすべきなのか。また、不均衡や不安定を生じさせる貿易・流通は国家が統制すべきなのか。これらの論点は、次のように換言できるであろう。すなわち、商業・流通の秩序とはいったいどのようなものか、また、経済的自由と国家による介入とのつり合いはどうあるべきか。これはまさに、ステュアート『原理』がとり組んだ主問題である。
かれは、市場が不完全であるから政策が必要だと説いたのではない。かれは、完全な市場原理は必ずしも経済合理性に支配されない社会生活とのあいだで利害の衝突を引き起こすことを問題視し、市場と社会の相互依存関係を維持するために政策が必要だと主張したのである。市場経済と社会生活を調和させるための経済政策というステュアートの思想は、世界の市場・商業の攪乱を理解し、その動揺から人びとの生活を守ろうとする現今の経済学の問題意識にまさに共鳴するものである。
再評価されつつある最初の経済学体系、重商主義への社会的関心の高まり、商業・流通の混乱がもたらす世界経済の不安定、その病理を理解するために経済学に向けられる期待。これらはすべて次のことを示唆している。すなわち、今こそジェイムズ・ステュアート、その商業論、そしてその重〈商〉主義再考の秋なのである。
【塩見由梨『失われた〈重商主義〉の探求 ジェイムズ・ステュアートの商業・利潤・貨幣』(白水社)所収「序論」より】