本場中華を「ことば」で味わう絶品エッセイ ――新井一二三著『青椒肉絲の絲、麻婆豆腐の麻』書評
記事:筑摩書房
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……しまった! 私のレシピ、間違っていたかも……。本を読み、じっとりと冷や汗をかくのは、初めての経験かもしれません。本書のタイトルにもなっている第一章の最初の項「青椒肉絲の絲」には、こう書いてあります。
「青椒肉絲の絲は絹の糸です。丁寧に細く細く、同じ幅に切られた豚肉が、中華鍋の中で油をまとい、皿の上できらきら光る。その視覚的イメージが持てて始めて、この料理名が本当に理解できたと言えるでしょう」
……ギクッ。先日、奇しくも新しく出る本で青椒肉絲のレシピを書いたばかり。私にとっては自信作だったのですが、新井さんのおっしゃる通り、「絲」という漢字の意味を理解せずまま作っていました。きっと完成写真は絹糸とは程遠い、肉の細(太)切りが写っているはずです。あれは刺繍糸くらいだったかも……ああ困ったなあ、ご覧になった方はオリジナルの料理としてどうかご勘弁を。
しかし、その時に、青椒肉絲の「絲」が「絹糸」を表していると知っていたならば、いくら大雑把な私だってそれはもう慎重に細く細く切りました。絹といえば最上の素材、やはり格が違います。蚕の繭から作られた高貴なシルクの糸の繊細さ。あの艶めきを頭に浮かべながら、集中し包丁を動かすだけで、料理の仕上がりは違っていたでしょう。
『青椒肉絲の絲、麻婆豆腐の麻』を読んでいると中国料理にとって漢字の一文字一文字が重要な意味合いを持ち、味の表現、調理法までが明快に表現されていることがよくわかります。漢字を知ることが中国料理の核を深掘りしていく鍵になるのです。
本書を読み終わったとき、「なんておもしろいのだろう!」と興奮し、もう一度すぐに初めから再読。そして、次は自宅にある中国料理のレシピ本を引っ張り出して、見比べながら更に読み直しました。この工程が、この漢字に当てはまっていたのか、と謎が解けたような気持ちに。日本語で説明すると長い文章で表現されることが、漢字一文字で完結する。その事実に感服しました。
私が通っているマッサージの先生は、中国人で四川省のご出身。施術台に寝そべるやいなや、いつも料理の話が始まり、最近作ったおいしい一皿を教えてくれるのです。そして調理法の説明がヒートアップしていくと、「肉をこのくらいに細かく刻んでね……」などといいながら、私の背中の肉をとんとんと手包丁で叩いていきます。私はその度に、自分が豚肉の三枚肉になってしまったような気持ちに。しかし、「肉末、肉丁、肉片、肉塊」の項を読んで、彼が「肉の大きさ」にいつもこだわる理由がやっとわかりました。中国料理のレシピでは漠然とした切り方の表現はしないのだそう。調理法により肉の規格は決まっており、「割不正、不食(切り方が間違っていたら、食べない)」と、なんと『論語』で孔子がはっきり言っているほど。そして漢字一文字で肉の切り方の表現まで出来るなんて驚きです。日本語ですとこうはいきません。
今、世界中に中国料理店があります。なぜこんなに中国料理がどこの場所へも広がりを見せたのか。それは、さまざまな工程が厳密に定められており、漢字を見ればその調理法がわかる構造になっているからではないかという記述があります。第七章の最後の項「メニューの中国語」では、漢字だけで書かれた中国料理メニューの読み取り方が説明されています。この本を持って、今すぐ横浜に行きたくなりました。中華街では中国料理店が軒を並べていますが、実際のところ何が食べられるかわからないままいつもお店を選んでいたからです。本書でも、注意が促されていますが、「水煮魚」は優しい味わいの料理ではありません。イメージと違った真っ赤な汁を半泣きになりながら完食したあの時の私に、この本があったならと思います。
中国料理の奥深さは計り知れません。元々大好きな中華料理ですが、ほんの一部分しか自分が知らなかったことに気づきました。しかし、これは中国料理の未知なる美味しさにこれから出会っていけるということ。更に一歩踏み出し、奥深い中国料理の世界に飛び込み、どっぷりと浸りたいとわくわくしています。