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生没年不詳、本名不詳……謎多き「紫式部」の人物像を歴史学・文学のコラボで描く

記事:明石書店

『紫式部日記絵巻』より、敦成親王(紫式部が仕えた中宮彰子の長男。のちの後一条天皇)の誕生50日を祝う宴の場面。紫式部が目にし、日記に書き残した王朝人たちの様子が描かれている。
『紫式部日記絵巻』より、敦成親王(紫式部が仕えた中宮彰子の長男。のちの後一条天皇)の誕生50日を祝う宴の場面。紫式部が目にし、日記に書き残した王朝人たちの様子が描かれている。

話題の人物、紫式部

 今年の大河ドラマの主役・紫式部は誰もが知る歴史上の人物であろう。歴史や古文の教科書に載っているし、2000年には二千円札の図柄に選ばれたほどである。

 しかし、紫式部について一般的に知られていることはそれほど多くない。『源氏物語』の作者であること、平安宮廷に仕えた才女であること、小倉百人一首に和歌が選ばれていることくらいではないか。それどころか、実は、実際にわかっていること自体がかなり少ない。生年や没年、『源氏物語』の完成時期、本名すらわかっていないのである。

 生年ひとつ取ってみても、天禄元年(970)説から天元元年(978)説まで大きな幅がある。当時としては晩婚だったと言われることがあるが、どの生年説を採るかによって結婚の年も21歳から29歳(いずれも数え年)まで変わってくる。宮仕えを始めた時期も、20代の終わりなのか30代半ば過ぎなのか確定できない。

 本書は、そんな紫式部という謎多き人物を、多彩な王朝人たちとの関わりから深くわかりやすく描き出そうと試みたものである。紫式部を“創った”家族、主人や同僚、ライバルとみなされる人々など総勢二十名ほどを取り上げた。加えて式部の活躍の背景、さらには死後の評価まで、紫式部についての歴史学・文学における研究成果をぎゅっと一冊に盛り込んである。

多彩な王朝人たちとの関わりを紹介する本書の構成

 まずは本書の目次をご紹介しよう。この十四の章タイトルを見ていただくだけで、何がどのような視点で書かれているのかがよく伝わると思う。

第一章 紫式部――その人生と文学
第二章 平安時代の女房の世界――紫式部を取り巻く構造
第三章 藤原彰子――紫式部が教育した主
第四章 藤原道長――紫式部と王朝文化のパトロン
第五章 紫式部の生育環境――受領・文人の娘として
第六章 夫藤原宣孝――異彩を放つ夫
第七章 一条天皇――王朝文化全盛期をきずいた天皇
第八章 藤原定子・清少納言――一条天皇の忘れ得ぬ人々
第九章 大斎院選子内親王とそのサロン――紫式部と同時代を生きた内親王の人生
第十章 年上女性たちとの交流――源倫子と赤染衛門
第十一章 同僚女房たちとの交流――宰相の君・大納言の君・小少将の君・伊勢大輔など
第十二章 公卿たちとの交流――紫式部の男性の好みとは
第十三章 天皇乳母としての大弐三位――母を超えた娘
第十四章 堕地獄か観音の化身か――翻弄される死後の紫式部

 さらに合間にミニ知識が詰まったコラムを四つ(1藤原惟規――紫式部のキョウダイたち/2女房たちの装束――「紫式部日記」に描かれた女たち/3女房たちの収入――天皇乳母藤原豊子を中心に/4『無名草子』から見る王朝の女房たち――二百年後の女房観)収録した。

江戸時代の浮世絵師、菱川師宣が描いた紫式部と小倉百人一首にも採られた和歌。(Source: Los Angeles County Museum of Arts. www.lacma.org)
江戸時代の浮世絵師、菱川師宣が描いた紫式部と小倉百人一首にも採られた和歌。(Source: Los Angeles County Museum of Arts. www.lacma.org)

家族、主人、同僚たち

 このうち紫式部の家族を取り上げたのが、父為時(ためとき)を扱った五章、キョウダイ(兄か弟か不明)惟規(のぶのり)のコラム1、夫と娘の六章、十三章である。

 五章では当時の女性教育やその中で式部がどのようにして『源氏物語』を生み出す教養を得たのかがわかる。また、六章では当時の結婚制度と共に、父の年齢に近い藤原宣孝(のぶたか)の妻たちの一人であった式部の結婚の実態が明らかになる。

 紫式部の主筋にあたる人々を取り上げたのが三章、四章、七章である。『源氏物語』が評判になった式部は大権力者藤原道長に見いだされ、道長の娘の中宮彰子に仕えることになる。彰子の家庭教師のような役割やそのサロンの価値を高めることを期待されたのである。彰子の夫・一条天皇の好学志向や道長の庇護によって史上まれにみる女房文学が花開く時期であった。

 その中で活躍した女房たちを取り上げたのが十章、十一章で、赤染衛門(あかぞめえもん)や伊勢大輔(いせのたいふ)といった百人一首歌人や式部が特に仲良しだった同僚女房たちの人となり、式部との関わりがわかる。コラム2、4も同僚女房を題材にした豆知識ともいえるおもしろい内容になっている。

同時代のライバル、後世の評価

 一方、彼女たち彰子サロンとはライバルともいうべき存在が、一条天皇の最初の妻である皇后藤原定子やそのサロンの主要メンバーの清少納言である。紫式部が宮仕えを始めた頃にはすでに表舞台から退場しており、直接の面識はなかったはずであるにもかかわらず、ライバル視せざるを得なかった理由は八章を読むとわかる。

 また、九章で取り上げた賀茂斎院選子内親王とそのサロンもまさに同時期に高く評価されていた存在で、紫式部は意識せざるを得なかった。両者への少々の?悪口を日記に記している。

 宮仕え女房の紫式部はもちろん男性とも交流があった。その中から彼女の日記などをもとに五人の貴族に点数をつけたのが十二章である。式部は和歌が苦手であっても落ち着いた品のある男性に好意を見せる一方、才気煥発型の男性はあまり好みではなかったようだ。

 ところで、紫式部は『源氏物語』執筆の罪(嘘を言ってはいけないという仏教の「不妄語戒」を破った罪)で地獄に堕ちたという伝承が中世に流布していたなどと信じられるだろうか。反対に、近江国(滋賀県)石山寺の観音の導きで物語の着想を得て起筆したという現在まで伝わる伝承も生じ(実際は、紫式部が同寺を訪れたことがあるかさえ定かではない)、それが嵩じて観音の化身と崇められたともいう。これらの伝承を分析したのが十四章で、同じく約200年後の中世の女房からみた紫式部を紹介したのがコラム4である。

紫式部の魅力、王朝人たちの輝き

 編者としては、できれば冒頭の二つの章は最初に読んでいただきたい。紫式部の人生のアウトラインと和歌との関わりを取り上げた第一章、式部が身を置いた王朝宮廷の女房システムを最新研究成果で解説した第二章を読むと、それ以降がよりわかりやすくなるからである。あとは興味があるところから読んでいただければと思う。『枕草子』好きだから、百人一首好きだから、推しの俳優さんが大河ドラマで演じる役だから、どんな理由、どんな順番でも構わない。

 大河ドラマがどのように紫式部を描くのかまだわからないが、きっと本書を読むことでより深く楽しめるのではないかと思う。複雑で魅力的な紫式部という人物、さらには同時代に生きた王朝人たちの輝きを本書から感じ取っていただければ、望外の喜びである。

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