私たちは本当に服を愛しているか――アリッサ・ハーディ著『ブランド幻想』(南出和余)
記事:明石書店
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ファストファッション・ブランド店に大量に並べられている、同じデザイン同じ色の服のタグをよく見れば、「バングラデシュ製」「ベトナム製」「中国製」といった製造国の異なる同製品が同じ列に並んでいることに気づく。しかし、消費者がタグで確認するのは、サイズと値段、時に素材、くらいだろう。想像してみてほしい。バングラデシュの、ベトナムの、中国の、どこかの工場で、気候も文化も言葉も異なる人々が、1ミリの狂いも許されない規格品を、遠く離れた海外の消費者のために作っているのだ。あるいはその服を誰が着るのかなど気に留めることもなく、指示された担当箇所を「一枚何秒」と定められたペースでミシン掛けしては次の担当者に流していく。その作業はまさに機械作業だが、毎週新しいデザインを展開するブランドの発注に対応するためにデザインごとに新たな機械など導入してはいられない。柔軟な人間の手先こそが、その目まぐるしい展開に対応できるのだ。消費者の私たちが製造国を気にすることなくレールの中の一枚を手にとって購入するのは、そこに並ぶ「多国籍同製品」のクオリティが完璧に同じであることを約束されているからに他ならない。
私たちの服はいつからこのような規格品だらけになったのだろうか。唯一無二の「一点物」からは程遠い、大量に並べられた同じ製品のうちの一枚を好むようになったのだろうか。衣食住の一要素である衣類は、人間の身体を気候や危険から守るだけでなく、個人のアイデンティティや民族をはじめとする人々の帰属意識、あるいは「ハレとケ」といった状況の意味づけなど、文化的記号として用いられる。わたしという存在は、ある集団に帰属しながらも唯一無二であり、その時の状況や気分で異なる自分を表現する。「浮くのも嫌だが被るのも嫌」という微妙な感覚のもとで、人々はファッションを楽しむ。
おそらくこの感覚は昔も今も大きくは変わらない。変わったのは楽しみ方だ。例えば大学の大教室で学生たちを見渡せば、制服でもない限り、一見すると誰一人としてまったく同じ装いをしている人はいない。たとえ同じジーンズを穿いていても、トップスとの組み合わせやアクセサリーでアレンジがなされ、「被っている」ようには見えない。着回しの効くシンプルな服は自由自在に組み合わせが展開できる便利さがあり、そして数が増えれば増えるほど組み合わせによるオリジナリティを演出できる。高価な一点物より安価な複数の規格品のほうがより自分を演出でき楽しめるというわけだ。けれども、服一枚一枚の着用頻度や愛着は一点物のほうが遥かに大きく、規格品の多くは着古すことのないままクローゼットに仕舞い込まれて忘れ去られるか、邪魔になって捨てられる。最近では「他の誰かが着てくれるかもしれない(価値が再生されるかもしれない)」とセカンドハンドに売り渡し、ある種の罪悪感を逃れようとする人も多い。そして、この楽しみ方の変革をもたらしているのが、本書が指摘するところのファッション業界の戦略である。
私がバングラデシュの農村で人類学研究をはじめて、そろそろ四半世紀になる。子ども研究からスタートしたので、調査開始当初に生まれた子どもたちは20代半ばとなり、すでに次世代の子どもを育んでいる。私の調査対象者であり友人である「かつての子どもたち」は、1990年代にバングラデシュ農村において初等教育が普及するなかで学校に通い出した「教育第一世代」であった。初等教育や中等教育を修了した彼ら彼女らは、親世代の大半が従事する農業とは異なる雇用機会を求めて都市部へと働きに出ている。その多くが従事しているのがアパレル産業である。
バングラデシュでは1971年独立後まもなくの1970年代半ばには、韓国企業の支援によって輸出型既製衣料品生産が開始され、1990年代にはジュート(黄麻)生産に替わる国家の一大輸出産業となった。2000年代に入ると、グローバル経済下で多国籍企業が豊富で安価な労働力を求めてバングラデシュに押し寄せた。とくに世界的不況のなかで大量生産大量消費型のファストファッション・ブランドが人気を集めると、中国の労働賃金上昇も重なって、バングラデシュがアパレル産業における「ネクストチャイナ」に位置づけられた。バングラデシュ国内ではそうしたアパレル工場が、農村から都市へ労働移動する「教育第一世代」の若者たちの雇用の受け皿となった。けれども多国籍企業の大半は自社工場を持たず、現地企業との合弁もしくは現地企業への発注というかたちで生産ラインを確保し、そこで働く労働者に対してはなんら直接の責任を負わない。完全輸出依存型の現地企業は発注元の多国籍企業の言いなりで、安価さを売りにしなければ他企業どころか他国に仕事を取られてしまう。そこでの労働環境、労働条件は賃金水準はじめ、けっして歓迎されたものではない。
2023年現在のバングラデシュでの月額最低賃金は8000タカ(≒1万800円)で、通常、週6日×8時間(月208時間)労働なので、時給にするとわずか52円である。アパレル工場で働く若者たちの多くはこの最低賃金前後で働いている。それでも彼ら彼女らは、他に選択肢のないなかでそこでの労働に従事し、少ない収入のなかからも農村で暮らす家族のために仕送りをする。都市での生活はそれだけでもコストがかかるが、単身者は仲間と共同生活をし、家族を伴って生活する者も借家長屋の一部屋に家族全員で生活するなど、ごく切り詰めた生活をしている。彼ら彼女らの将来設計は都市部にはなく、切り詰めてセーブしたお金を故郷の農村に貯蓄する。それは彼ら彼女らのアイデンティティが農村にあるからというだけでなく、グローバルビジネスの根底を支えているのが彼ら彼女らの労働力であるにもかかわらず、グローバルビジネスに支えられた都市における社会経済構造の将来像に、彼ら彼女ら労働者が組み込まれていないからだろう。
バングラデシュの縫製工場で働いている女性たちを見ていてもう一つ気づくことがある。それは、彼女たちがそこで作っている類の服を、彼女たち自身はまったく着ていないということだ。バングラデシュの女性たちは通常サルワル・カミーズと呼ばれる民族衣装かサリーを着ている。縫製工場で働く女性たちもサルワル・カミーズを着ているのが一般的だ。サルワル・カミーズとは、両横にスリットの入ったワンピース(カミーズ)の下にズボン(サルワル)を穿いて、肩からは上半身のボディラインを隠すように長いショール(オールナ)をかける3ピーススタイルである。女性たちはそれを家で自分で縫うか、布を買って仕立て屋に持っていって自分のサイズに縫ってもらう。型はシンプルで襟元のデザインが少し異なるぐらいだが、刺繍を施したりスパンコールやミラーワークを付けたりして楽しむ。布の色や模様をとっても一人として同じ服を着ている女性はいない。
縫製工場で働く彼女たちは1日に1000枚を超える同じ色デザインのTシャツを息つくまもなく縫い続けるが、その製品は彼女たちが身にまとっている服とはまったくの無縁で、彼女たちの興味にも入らない。冒頭で述べたように、彼女たちの大半は今自分が縫っている服をどこの誰がどのように着るのかを想像することもなく、ただ仕事として製品を作っているだけなのだ。本書の第2章で筆者が取材をしている〈メイド・イン・アメリカ〉を支える移民労働者たちは、少なくともその製品がアメリカ国内のどこかで売られていて、道ですれ違う人が着ているかもしれない。バングラデシュの労働者たちにとっては、自らの労働が自社会で消費されるモノにも繋がっていないのである。
大量生産型ファストファッションの発展途上国における生産労働の問題が明らかになっても、「どんなに劣悪な労働環境でも労働者にとってはそれが他に選択肢のないなかでの唯一の労働機会である」というロジックによって、消費者は「非売行動は生産者のためにならない」と言って消費行動を止めることを避ける。そこに大企業が「サステナブル」や「エシカル」という概念を用いて生産プロセスの改善を言及すれば、消費者は安心して依存し、さらに消費行動を増す。しかし考えてほしい。労働者の賃金を含む労働環境が改善されたならば、どうして商品の値段はそれほど上がっていないのか。そのブランドが「エシカル」にするためにどのような改善策をとったのか。労働賃金を上げたならば、そのしわ寄せが別の誰かに行ってはいないか。
本書でも出てきたように、バングラデシュでは2013年のラナ・プラザ崩壊事故以降、アパレル産業の問題が明るみに出て労働者運動が盛んになり、また多国籍企業との間のコンプライアンスも強化されて、工場の環境はいくらか改善された。グリーンファクトリーと呼ばれる環境に配慮した工場も増えた。けれどもそうした工場でとられた策は、機械化と労働者の作業負担増による労働者数の大幅削減である。それによって多くの労働者が失業し、失業者の一部は海外の縫製工場での仕事に従事している。海外での移民としての労働者には労働運動の権利もサポートもない。ヨルダンではこうした南アジアからの労働移民が労働者の大半を占める縫製工場が増えているのも現実である。
本書で筆者は、こうした「グリーン」や「エシカル」、「サステナブル」といった概念も、多様性を装った「インクルーシブ」も、企業にとっては第一義的にはブランディング戦略にすぎないことを指摘する。エシカルファッションやサステナブルファッションに一抹の光を見ていた読者は、本書を読み進める折々に「じゃあどうすればいいのか」とある種ガッカリしたのではないだろうか。現実をただ知るだけの辛さ、これまで楽しんでいたファッションに陰りをもたらす罪悪感、これらにジレンマを感じ、たとえ無責任でも「知らなければよかった」と思うかもしれない。しかし、本書で筆者が述べているのは、私たち消費者も被害者だということだ。「大量生産のブランドがわたしたちから奪ったもの……彼らは服から愛を奪った。生地やデザイナーに関する物語から愛を奪った。そしてあろうことか、服を作ることからも愛を奪ったのだ」(201頁)と述べている。
私は趣味で自分で服を作ることもあり、バングラデシュの女性たちが家で自分の着るサルワル・カミーズを作る場面に便乗して一緒に作ったり、刺繍を教えてもらったりするのがとても楽しい。彼女たちの着る一枚として同じ色デザインのない一張羅のサリーはその人のアイデンティティとなり、サリーは着古したら重ねて刺し子を施しブランケットやベッドカバーとしても使う。生地が衣装になる過程、その衣装を着て過ごした日々の思い出、さらに衣装がブランケットなど他のモノに生まれ変わって生活のなかに存在する姿、そのすべてを楽しむことができる彼女たちの「服への愛」は、山積みにされる1000枚のTシャツと無縁であって然りといえよう。私たちの服を作っている途上国の労働者たちを想像するとは、ただ彼女たちが搾取され苦しんでいる姿を思うだけではないはずだ。彼女たちにも将来を展望する人生があり、そして彼女たちなりのファッションを楽しんでいることを想像してほしい。
私たちは本当に服を楽しんでいるだろうか、自分のものにできているだろうか。時間に追われるなかで「企業にとって都合のよい消費者」にされてはいないだろうか。ファッション業界を知り尽くした筆者が自らの経験を振り返りながら投げかけているメッセージは、私たち自身の価値の転換であり、「服を愛する」ということのように思う。