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自分で作って、着こなして 「服」について考える 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

手仕事が「稼ぐ」という使命から解放されたことによって誕生したのが、手芸というホビーだった(『現代手芸考』より)
手仕事が「稼ぐ」という使命から解放されたことによって誕生したのが、手芸というホビーだった(『現代手芸考』より)

 行司千絵さんの『服のはなし 着たり、縫ったり、考えたり』(岩波書店)を読んだ。新聞記者の仕事の傍ら、休日には家族や友人、そして自分のために服をつくる。布が足りなくなればふきんを縫い足したり、子どもの頃のお気に入りのリボンをあしらってみたり。自由な発想でなされる行司さんの服づくりと服との付き合い方、そして取材で出会った人たちによる服にまつわるエピソードを読み終えたときにはすっかり、自分でもつくってみたい気持ちになっていた。

 そういえば、ずいぶん前に友人からもらったシャツ1着分の生地がどこかにしまってあったはず。写真の雰囲気が気に入って買った初心者向けのソーイングブックもある。うちにあるものでつくれそうだな……。そんなごく気軽な気持ちから、シャツを仕立ててみることにした。

 型紙をとり、布を裁ち、縫いあわせていく。おおよそ見当もつかないような形の組み合わせから、1枚の服が出来上がっていく。とても身近なもののはずなのに、その細かな部分についてはよく知らずにいたが、つくることで新しい視点を得たようで、服に対しての見方が少しだけ変わったように思う。前置きが長くなってしまったが、このとても身近なものである「服」について、さまざまな角度から考える三冊を紹介したい。

「手芸」とはなにか

 1冊目は『現代手芸考 ものづくりの意味を問い直す』(フィルムアート社)。服をつくる行為は、かつては家庭のなかの日常的な労働のひとつであった。

 それまで労働として行われていた手仕事を機械に委ねることができるようになった産業化社会のなかで、手仕事が「稼ぐ」という使命から解放されたことによって誕生したのが、手芸というホビーだった

 明治期に「学制」がしかれたことにより、学校教育における女児小学のなかに「手芸」という教科名が取り入れられ、裁などの生活技術全般の教育が行われた。これらが教育のなかで行われたのは、それが女性たちの自立のための技術であったからだ。

 この頃手芸と呼ばれた手仕事は、生活に必須のものばかりでなく、装飾的で贅沢なものという側面もあり、レースや刺繍製品などは近代日本における重要な輸出産業であったという。そのため、技術を学べば生産販売で自立することもできた。その一方で、生計のためではない技術を学ぶのは贅沢な教育であり、教養的な意義もあるという、相反する二つの側面を持っていた。

 そういえば、大正生まれの祖母は普段は和装を好んでいたが、夏になると自分で仕立てた木綿のワンピースをよく着ていた。洋裁の学校を出たという祖母だが、この年代の女性にとって、自分でつくった服をまとうことは、ごく日常的なことであったのだろう。

 さらに本書を読み進めていくと、テクノロジーの進歩がモノづくりにおける技術の必要をなくしハードルを下げ、このことが素材供給や流通といった新たな市場を生み出したとし、量産品にはない新しい価値を求める消費者の意識と合致したことによって、いわゆる近年の「ハンドメイド」ブームがあるという。現代における手芸もまた、「生産」と「消費」という側面を持つことに、改めて気づかされる。

生きる上で欠かせない、かつ贅沢でもある「服」

 2冊目は『暇と退屈の倫理学』(太田出版、増補新版)。ちょうど10年前のじんぶん大賞にも輝いた本書だが、服について考えるとき、なんとなくこの本のことが頭に浮かんだ。取り上げられている19世紀後半のイギリスの社会主義者、ウィリアム・モリスの思想を発展させて、著者はこう言う。

――人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない

 生命を維持していくのに欠かせないものとしてのパンと、それがなくても生きていけるものとしてのバラ。本書のなかで、バラは「贅沢」にあたる。服には、身体の保護という生命維持に関わる役割(パン)があり、デザインや素材・着心地といった部分(バラ)もある。

 贅沢とは浪費することであり、浪費するとは必要の限界を超えて物を受け取ることであり、浪費こそは豊かさの条件であった。(中略)それに対して、消費は物ではなくて観念を対象としているから、いつまでも終わらない。終わらないし、満足も得られないから、満足をもとめてさらに消費が継続され、次第に過激化する。

 自分に重ねてみると、そもそも友人からもらった生地がなければ、なかなかつくるまでは至らなかったかもしれない。今はシャツそのものを買うことの方がずっと安く上がるし、縫製もきれいなものが手に入る。

 しかし、つくってみたことで得た収穫は思いもよらず、わたしにとっては豊かなものだった。それは、一枚の服をつくり上げたというささやかな達成感と(決して器用ではないわたしは、型紙をとることですら本当に苦労した…)、売られている服の細部にも目を向けるようになったことだ(既製品はどんなに安くても自分のものと比べるとやっぱりしっかりしている。逆に、この値段でも本当に良いのだろうか? と感じるようにもなった)。

自分自身の生き方にそった服装を

 最後に、人文書という括りからは少々はみ出してしまうのだが『チープ・シック お金をかけないでシックに着こなす法』(草思社)という本を紹介したい。70年代に刊行され、現在も版を重ねるファッションの指南書だ。

あなた自身が、自分のために自分でつくり出す服装のスタイルについて書いてみたのが、この本です。ファッション・メーカーに命令されて服を着る時代は、もう終わっています。自分がなにを着ればほんとうの自分になるのか、どんなスタイルをすれば自分がいちばんひきたつのか、もっともよく知っているのは、なんと言ったって自分自身です。あなたの服装は、あなたが自分でえらびとっている自分自身の生き方にぴったりそったものであるべきなのです。著者まえがきより

 掲載されている写真は当時のままだし(まるで「消費」されることを拒んでいるよう……!)、これを真似すればおしゃれになれる、といった類の本では決してない。ただ、この本の提案は半世紀を経てもなお、いや、あらゆるシステムに限界が見えはじめた今でこそ、響いてくるものがある。

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