嗅覚の美を探求する マチルド・ローランの調香術
記事:白水社
記事:白水社
この個性的な本にどんな形容詞を与えたらいいだろうか。大胆な、寛容な、開かれた、みずみずしい、知性あふれる、人間味のある、光に満ちた、繊細な……。この本は、著者である調香師マチルド・ローランと彼女の作り上げる香水に似ている。マチルド・ローランは21世紀の巫女だ。決して宗教的な意味ではなく、彼女の手にかかると、匂いを嗅ぐという行為が、「エスプリ、精神」という単語の持つラテン語の語源、つまり、プネウマ、吐息と結びつけられるからだ。
哲学者のエマヌエーレ・コッチャはこのように書いている。「息をするとは、我々が身を浸す空気が我々のなかに入り込み、同じ強度で我々もその大気のなかに入り込む状態を意味する」。この考え方に従えば、香水とは、世界に属しながら、動くことをやめず、同時に我々の内部奥深くに住まっているもののことだと言えないだろうか。我々は、感じるために生まれてきたのだ。
この本はまた、明確なメッセージを湛えている。著者は、現実にしっかり足をつけ、匂いを嗅ぐという行為に(再び)意味を与えるための一種のマニフェストを我々に提案する。例えば、ある香りに先入観や偏見を持たないこと、天然香料と合成香料に関する思い込みを取り払うこと。また、どんな香水にも存在価値を見出すこと、軽視されがちなラストノートに注意を促すこと。さらには、古典となった香水の存続を主張し、スタッフの共同作業の利点を挙げ、ありがちな思い込みや性別分けから香水を開放し、香水業界における著作権制度の改革を促し……。この本は、象牙の塔から読者に説教を垂れる特殊な嗅覚の持ち主の証言ではなく、読者と多くの事柄を分かち合う本なのだ。外界を知覚することで成り立つ我々生き物の能力を理解することに人生を捧げている一人の調香師が、その持てる知識と文化を分け合うために書いた一冊だと言えよう。
真の音楽家が、音楽を奏でるだけではなく、「聞くことの意味」についても我々に聞かせてくれるように、マチルド・ローランは、香りを嗅ぐことが我々の人生の意味について考える機会をここで与えている。
著者は他分野で働くクリエイターと出会うことを決して厭わず、そこからは自然とさまざまなプロジェクトが生まれてくる。例えばOSNI 1(⦿特定されない物の香り、香る雲)や、「飲む香水」、さらにはコメディー・フランセーズでかけられた芝居で登場人物それぞれに似合った香りを調合するなど、マチルド・ローランの創作欲には限りがない。彼女が調香した《レ ズール ドゥ パルファン》〔香りの時間〕コレクションは、それ自体が香りのマニフェストでもあるひとつの芸術作品だ。本書は、未来の若き調香師たちに希望と勇気を与えるヒントに満ちている。マチルド・ローランの仕事はそのすべてが、香りという要素を思いがけない分野に呼び入れることで成り立っている。現実は香りに満ちているのだ。
【Cartier : l'art du parfum par Mathilde Laurent】
匂いを嗅ぐというのは単に能動的な行為ではない。自らを十全に開き、他者を受け入れることが必要とされる。フランス語には、耳を傾ける、というときに「身体中が耳になる」という表現があるが、それに倣って、「身体中が鼻になる」という新語を作り出したい誘惑に駆られる。マチルド・ローランの香水を嗅いでみればわかるだろう。彼女が作る香水は、大声をあげて叫んだりはしない。それらの香水は、あなたの話に耳を傾け、耳元で囁き、あなたの周りに真の香る空間を作り上げる。それは何よりもまず、あなたと香水との親密な対話なのだ。そしてその対話こそを他の人たちは嗅いでいるのだ。
その意味で、マチルド・ローランは、彼女自身が言うように、開かれた調香師である。彼女は、香りの世界、つまり、世界そのものに自らを開くようにと我々を促しているのだ。
関口涼子
⦿ OVNI(未確認飛行物体)の捩り、いわば「未確認香気物体」とでも言うべきインスタレーション。
【『マチルド・ローランの調香術──香水を感じるための13章』(白水社)所収「トップノート」より全文紹介】