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作家としての芦花公園さんが心揺さぶられる小説「香水」

©GettyImages

 私はありとあらゆるインタビューで公言しているし、主な生息地であるTwitterに於いてもことあるごとに言っているが、三津田信三の信者です。

 多分どの作品についてもあれが良かったこれが良かったと言うことはできるし、中でも「蛇棺葬」に関しては世界一面白い小説だと思っている。

 しかし、このエッセイのテーマを考えたときに、「蛇棺葬」は■■■■(私の本名)に流れる血であって、芦花公園として、と考えるとまた別なのではないか、と思った。

 というわけで今回はパトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』について話そうと思う。

 この本は2006年に映画化されていて、それも大変衝撃的なものだったから、本邦では原作よりもそちらを知っている人の方が多いかもしれない。

 あらすじを書こう。

 主人公のグルヌイユは奇跡的な嗅覚を持って生まれる。彼はありとあらゆるものを嗅ぎ分け、やがて自らも調香師となって素晴らしい香りを作り出すことになるが、あるとき至高の香りを嗅いだ。それは穢れなき処女の香りだった。その香りを永遠のものにするためにグルヌイユは彼女を殺してしまう。そこからグルヌイユは至高の香りを求めて次々と処女を殺していくのだった。

 と、あらすじだけ見るとグロテスクな悪趣味小説と思える本作だが、実際読んでみると大きく違う。勿論、悪趣味小説の色もないわけではないのだが……。

 グルヌイユの行動は完全に異常者のそれだ。作中で彼が人殺しを躊躇するシーンは一つもない。まさに外道だ。

 でも何故か、あろうことか私は、グルヌイユに「キリスト」を見てしまったのだ。

 グルヌイユの人生には驚くほどイエス・キリストとの共通点がある。

 汚い魚市場で生まれ(キリストは汚い厩)、生まれつき持っていた人とは違う能力を発揮することなく幼少期を過ごし、青年になってからは先駆者から技術を学び(キリストは洗礼者ヨハネから洗礼を受ける)、自らの能力を磨き(キリストは伝導)、山に篭り(キリストは荒れ野に留まる)、最終的には処刑されかける(キリストは処刑され、復活する)。

 ジュースキントはキリスト教圏の人間であるから、我々日本人よりも根底にキリスト教の影響があるのは当然としても、恐らくこれは意図的にキリストに寄せて作ったものだろう、と個人的には思う。

 とにかく、端々にキリストを感じてしまったゆえか、私は、全く人殺しに罪悪感を覚えない外道であるグルヌイユに純粋さを感じ、彼を応援してしまったのである。

 人殺しとは比べ物にならないくらいの、彼を雑に扱った程度の人間や、または正当に彼の罪を裁こうとした人たちには腹が立ってしまうし、作中で死んだときはすっきりしてしまった。

 それまで読んだ小説にも憎めない悪役は出てきたが、グルヌイユは「悪役」というか「悪そのもの」であるし、「憎めない」ではなく「神聖なものに見える」なのだ。

 これは非常に新しい感覚だった。

 キリストとグルヌイユの大きく違う点は、キリストは救い主で、グルヌイユはそうではないという点である。

 グルヌイユはこの世界に突然訪れた異質なものでありながら、何も残さない。弟子もいないので技術も伝わらないし、そもそも彼と関わり合った人間は全員死んでしまうのだ。

 そして実のところ彼自身も何も残せないことが分かっている。何故なら、嗅覚を中心に生きている彼自身は、なんと無臭なのだ。悪臭も馨(かぐわ)しい香りもない。これがグルヌイユにとってどんなに恐ろしく耐えがたいことか読者にも想像ができる。彼にとって無臭ということは、存在が無いということにも等しいだろう。

 物語の中盤でそれに気付いた彼は、恐怖心からまた人と関わり、処女の香りを追い求め……と彼の通った跡は死屍累々である。

 その様子もまた哀れでいじらしい。死者は増えていくのに……。

 試行錯誤の末に究極の香りを完成させたグルヌイユは、その香りが原因ですべてに絶望し、最期は自らの手で悍ましい死を選択する。

 グルヌイユに決定的に欠けていたのは愛だと思う。

 グルヌイユは誰からも愛されなかったし、誰のことも愛さなかった。

 全く共感できないのに何故か応援してしまう稀有なキャラクターは、こうして何も残さず死んでしまった。

 読んだ後、私はしばらくグルヌイユのことを考えることになった。

 物語としてはこれ以上ないくらい美しいし、納得するラストなんだけれど、もうちょっとどうにかならなかった?

 誰もが生きることに必死だった1700年代のパリが舞台なので全くの他人にグルヌイユのような男への優しさを要求するのは難易度が高いし、仮に現代が舞台でも「良い匂いだから殺して香水にする」とかいう発想の異常者を理解するのは難しい。

 それでも異常者が異常者のまま受け入れられていれば……とはどうしても思ってしまう。

 多分あのとき感じたことは今でも私の心の中に残っていて、異常者が異常者のまま周囲と折り合いをつけて楽しく暮らせないかな、と常に思っている。そして多分、そういう作品を書いていると思う。

 グルヌイユは折り合いをつけること自体が苦痛だろうから、やはり彼は死んでしまうしかないんだろうけど。