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(作家LIVE)千早茜さん お茶を片手に香りの話

中国茶を片手に話す千早茜さん。卓上には私物の茶器などが所狭しと並んだ=東京都中央区、山崎聡撮影

「見えないものの気配」濃密に描写

 お茶をいれて生活のバランスをとるのが日課で、お茶を飲みつつ友人としゃべるのも好きという千早さん。この日は、持参した茶器と茶葉で聞き手の記者に中国茶を振る舞いながら、4月に刊行した小説『赤い月の香り』(集英社)を中心に話してくれた。
 天才調香師の小川朔(さく)が登場する今作は、2020年に刊行した『透明な夜の香り』の続編だ。一作ごとに自身の「課題」を設定し、それを解くように執筆するという千早さんにとって、小説の続編を書くことは初めての試みだった。
 「勉強にならないと思ってずっと断ってきたんです。でも、続編は読者の期待に応えすぎてもよくないし、裏切りすぎてもがっかりされるし、あんばいが難しいんじゃないか。続編の技術というものがあるので、自分でもやってみようかなと」

 前作で主人公だった若宮一香に代わって今回、朔の暮らす洋館で働くのは、若い男性である朝倉満だ。「同じ物語世界を違う人物の目線で描いてみたかった。満は語彙(ごい)力が低いので、一香ちゃんがすごく繊細に描写することを、満は直感的にしか感じ取れない」。視点人物のキャラクターの違いは本の厚みにも影響し、前作よりもページ数にして1割ほど、コンパクトな物語となった。
 シリーズの象徴的な人物である調香師の朔は、人の体臭から感情や健康状態、生い立ちまで読み取ってしまう。「野生動物が言語化能力を得たらこういう人間になるんじゃないのか、というイメージで書いてます」と千早さん。朔の並外れた嗅覚(きゅうかく)は、映画「羊たちの沈黙」に登場する猟奇殺人犯ハンニバル・レクターへのオマージュだという裏話も明かした。

 千早さん自身、熊の出没をにおいで感知した経験があるほど、鋭い嗅覚の持ち主だ。湿度の高い梅雨は特ににおいを感じとりやすく、満員のバスや電車ではにおいに押しつぶされそうになるという。
 においや湿度の濃密な描写は、千早作品に通底する魅力の一つ。そうした「見えないものの気配」がない世界は考えられないと千早さんは言う。「でも、コロナ禍においては嗅覚が消えた」。前作『透明な夜の香り』は最初の緊急事態宣言と刊行時期が重なった。世の中が嗅覚に対して敏感になっていたこともこの本がよく読まれた理由ではないかと千早さんは振り返った。

 香りをテーマに執筆するにあたり、企業で働く調香師やお酒の蒸留施設などを取材した。人が仕事をする姿の取材は楽しいという。16年刊行の『西洋菓子店プティ・フール』では、編集者たちを巻き添えにして大量のケーキを食べ比べた結果、「取材費でかなり原価割れしましたね」と笑う。

 そんな取材の成果は、小説では書かれていない登場人物のキャラクター設定にも生かされる。食事ならどんな価格帯の店に行くか、自炊派か外食派か。朔の年収や着ている洋服のブランド、作中では明かされない過去のエピソードも、千早さんの中では綿密にできあがっているのだ。
 『透明な夜の香り』では朔の天才性とともに「執着と愛着の違いを知りたい」と口にする危うげな一面を描いた。今作は朔がより人間味を増し、「執着というものを自分の中に感じて、その執着に対して潜っていく話」だという。
 正しい執着とは何か。前作から続くこの問いに、ラストシーンでは答えが示される。「あのセリフだけは書いてるときに最後に出た答え。朔さんと一緒に考えて、たどりつけたなという感じです」と千早さん。

 「香り」シリーズの第3弾は? その答えは「五分五分」としつつ、まずは8月にコロナ禍での婚活をテーマにした新作を刊行予定だと明かす。「場所や時代をあまりはっきりさせるのは好きじゃないんですけど、初めてちゃんと現代を書こうと思いました」
 今年2月に『しろがねの葉』で直木賞を受け、今なお多忙な日々が続く。そんななかでも、「自分の日常を大事にするとか香りを大事にするとか、そうやって生きることが私はすごく好き」と千早さん。自身にとって大切な世界を小説に書けたことがうれしい、と締めくくった。(田中ゑれ奈)=朝日新聞2023年7月1日掲載

  千早茜さんのトークイベントは2023年7月31日までオンラインで視聴可能です。申し込みは募集ページ(https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11010777)から。