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思想でビジネスはできるだろうか?

記事:明石書店

マシュー・スチュワート著 稲岡大志訳『マネジメント神話――現代ビジネス哲学の真実に迫る』(明石書店)
マシュー・スチュワート著 稲岡大志訳『マネジメント神話――現代ビジネス哲学の真実に迫る』(明石書店)

経営哲学『マネジメント神話』

 「ピーター・ドラッカー」という人物をご存知でしょうか。「マネジメント」という概念の重要性を説いた「経営学者」です(ここで「経営学者」と括弧付きにする理由はすぐにわかります)。ドラッカーは日本で大変人気があります。多くの著作が翻訳されていますし、比較的大きめの書店のビジネス書関連のコーナーでは、ドラッカーの著作やドラッカーに関連する著作が一つの棚を占めるということも珍しくありません。

ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker:1909-2005、画像は日本語版ウィキペディア「ピーター・ドラッカー」より。Jeff McNeill, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons)
ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker:1909-2005、画像は日本語版ウィキペディア「ピーター・ドラッカー」より。Jeff McNeill, CC BY-SA 2.0 , via Wikimedia Commons)

 普段ビジネス書を読む習慣がない人でも、『創造する経営者』や『経営者の条件』といったドラッカーの著作のタイトルを見渡すと、どうやらドラッカーはマネジメントや経営の専門家なのだろうと容易に推測できます。ドラッカーを「経営学者」と呼ぶことはごく自然なことだと思われます。しかし、ドラッカーの関連書籍では、岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』や齋藤孝『こどもドラッカーのことば』や吉田麻子『小説でわかる名著『経営者の条件』 人生を変えるドラッカー――自分をマネジメントする究極の方法』などのように、組織運営や企業経営の枠にとどまらないテーマを扱う本も多く出版されています。ドラッカーが推す「マネジメント」という概念は組織の管理・運営だけではなく、私たち一人ひとりの内面にまで浸透しているように見えます。

 実際、ドラッカーの肩書は、経営学者、思想家、マネジメント思想家、と多岐にわたります(たとえば、日本語版ドラッカー公式サイト(https://drucker.diamond.co.jp/pages/profile.html)では「思想家」「ポストモダンの旗手」とも呼ばれています)。ドラッカーの「分類し難さ」は一体何でしょうか。「ドラッカーとは何者か」という問いは厄介な問いです。これはドラッカー自身の問題なのか、あるいは「マネジメント」の問題なのでしょうか。

マネジメントの科学は可能か?

 「ドラッカーとは何者か」問題は、「マネジメントは科学か」という問題でもあります。ドラッカーは「マネジメント」の重要性を説きましたが、「マネジメント」とは、ある目的を達成するために活用できる技術というほどの意味で、今から100年ほど前のアメリカで登場した概念です。南北戦争以降急激に工業化が進展したアメリカでは、熟練職人による生産という属人的な体制ではなく、客観的な方法による労働管理体制が求められるようになりました。こうした労働環境の変化により、「人間が人間を管理する」専門的な技術の需要が高まります。マネジメントは労働をめぐる環境の変化にともなって登場した概念なのです。

 アメリカの技術者で経営者のフレデリック・テイラーは、「誰もがどこまでも効率を追求し、日々の出来高を最大限に増やす」(フレデリック W.テイラー著、有賀裕子訳『新訳 科学的管理法 マネジメントの原点』、ダイヤモンド社、2009年、11頁)という目的を有名な「銑鉄運びの実験」を通して科学的に探求したことで知られています。テイラーは経営学の父とも呼ばれますが、1911年の著書『科学的管理法の原理(The Principles of Scientific Management)』は経営学の古典とされています。テイラー以降、「人間が人間を管理する」技術の体系である「マネジメント」が科学的に研究されるようになるのです。

フレデリック・テイラー(Frederick Winslow Taylor、1856-1915、画像は日本語版ウィキペディア「フレデリック・テイラー」より)
フレデリック・テイラー(Frederick Winslow Taylor、1856-1915、画像は日本語版ウィキペディア「フレデリック・テイラー」より)

教祖ビジネスとしてのマネジメント思想

 科学的に裏付けのある知見に基づいて、他人や組織や自分自身を特定の目的に向かって動かすこと――テイラーによって労働管理の体系的方法として始まった「マネジメント」は、「自己の管理」にまで拡散して現在に至ります。ドラッカーは「自己啓発化したマネジメント」を象徴する人物の一人であると考えることができるでしょう。

 では、なぜ、そして、どのようにして、「マネジメント」という発想は組織管理や企業経営だけではなく、私たちの内面にまで入り込むようになったのでしょうか。マシュー・スチュワート『マネジメント神話――現代ビジネス哲学の真実に迫る』は、テイラー以降のマネジメントの思想史と、大学で哲学博士号を取得し、経営コンサルタントの道に進んだ著者の自分史とを交互に描き出します。マネジメントを指南する人物は本書では「教祖(guru)」と呼ばれます。guruという語は宗教的な指導者を意味しますが、まさしく、科学としてではなく、宗教的教義として、そして、教祖自身の魅力を武器にして、マネジメントの教義を大衆に売る仕事が「マネジメント教祖のビジネス」なのです。本書では、科学であることを目指したはずの「マネジメント思想」がいつの間にか「教祖ビジネス」と化してしまった経緯が語られます。

 科学的であることを志向すると同時に科学になり切れない部分にアイデンティティを持つのが思想の厄介なところです。この点に関して、スチュワートは本書で、マネジメント思想家と哲学者の共通点として、「自分が提起した問題によって名が残る」ところがあると指摘しています(122頁)。マネジメントの教祖たちは、解決可能かどうかはっきりしない問題を一見すると科学的な手付きで扱うことで、大衆の信頼を勝ち取ります。そんな教祖ビジネスと化したマネジメント思想を論じるドラッカーを私たちは読んでいるのです。労働の現場から立ち上がった思想がビジネスになることを『マネジメント神話』からぜひ読み取っていただきたいと思います。「ドラッカーとは何者か問題」とは、「ドラッカーを読む私たちは何者か問題」でもあるのです。

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