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慎重な言葉からはじめてみるのはどうだろう――向坂くじらさん・評『発達障害者は〈擬態〉する』

記事:明石書店

横道誠『発達障害者は〈擬態〉する――抑圧と生存戦略のカモフラージュ』(明石書店)
横道誠『発達障害者は〈擬態〉する――抑圧と生存戦略のカモフラージュ』(明石書店)

「擬態」する人たちの語りとは?

 本書を読む前、「擬態」する自分について語ることは、着ぐるみを脱ぐことに近いんじゃないかと思っていた。隠していたものを外がわへさらけだすイメージがあって、それが少し不安にも思えた。読む自分の視点が無理やりその人の魔法を解かせ、見せたくなかったはずのところまでも踏み入ってしまう気がして。けれども、実際にはそうではなかった。「擬態」する人たちの語りは反対に、読むものをその人の内がわへ、いわば着ぐるみの眼を通した世界へと引き込んでしまうのだ。だから読んでいて、胸が躍ってやまなかった。

 「擬態」とはここでは、発達障害を持つ人がその特徴を隠し、周囲に対して自らを障害がないように=「定型発達者」のように見せることを指す。海外の自閉スペクトラム症研究ではそのような挙動が「カモフラージュ」として研究されているそうだが、発達障害者のコミュニティ「発達界隈」では、そこで生まれた「擬態」という用語の方が知れ渡っているという。本書はその「発達界隈」の当事者たちを主なインタビュイーに、彼ら彼女らの人生について、そして「擬態」の実態についてのインタビューを行い、その語りを中心に構成されている。著者の横道誠さんは文学研究者であり、「発達界隈」に顔を出す当事者でもある。中にはインタビュイーが横道さんに「マコトさん」と呼びかけるところもあって、単なる著者と取材対象というだけでない、きちんと時間をかけた関係があることがうかがえる。

 おもしろいのは、ひとことに「擬態」と言っても、その様相も、さらには言葉のとらえ方も人によって異なるところだ。実は、わたしもADD(注意欠陥障害)・ASD(自閉スペクトラム症)と診断された発達障害当事者であり、「発達界隈」との交流はないものの、この本にインタビュイーとして参加してもいる。それで、と簡単に言っていいものかはわからないけれど――まさに、ついこんな注釈を入れたくなってしまうように――親近感を持ったのが、当の「擬態」という一語について、多くのインタビュイーがまず自分の中で検討してから使おうと試みていることだった。二十五歳のTenさんは、「『擬態』というのが、無理に健常者の人に合わせようとするってこと、健常者のふりをするってことなら、それに苦労した思い出は多いです」と、語り出す前に定義をあらためる。対話の会を主宰する五十歳のきいちゃんは、「『擬態』は抑圧だと思っています」と所感を述べ、ほかにも「一定以上のメタ認知のある人だけが『擬態』できるはず」だから「『自分は『擬態』で苦労している』という言説が自慢げで苦手なんです」と語るすふさんのような人もいる。

世界を共有していないかもしれない読み手に向けて

 その、潔癖に思えるほどの言葉に対する慎重さが、わたしにはとてもしっくり来る。言葉を使って話し、相手になにかを伝達するためには、ある程度の前提が共有されていなくてはいけない。それは各単語の意味であったり、お互いの持つ文化的な背景であったりするけれど、第一に必要なのはもっと広い、「わたしたちは同じ世界に生きている」という認識なのではないか。けれど、本書の「はじめに」でも「自閉スペクトラム症者の場合は、そもそも第一次的な体験世界、つまり感覚や認知のあり方という点で定型発達者と大きなズレがある」と述べられている通り、当たり前にも思えるその実感は発達障害者にとってはなかなか得づらいようだ。自分の実感を通してもそう思う。

 だからこそ、横道さんのインタビューによって語られる彼ら彼女らの人生が、あくまで「当人の体験世界」に基づいて進んでいくこと、そしてそれを語る言葉が慎重であることが、とても魅力的に思える。そのような言葉だからこそ、彼ら彼女らの語りは、その人の見ている世界の中へ読み手を引き込んでしまう。慎重な言葉というのはつまり、世界を共有していないかもしれない読み手への、細やかな気づかいのあらわれではないか。かつそれより前に、まず自分の感じる世界との摩擦を、真剣にすくいとろうとすることなのではないか、と思わされるのだ。

 横道さんもまた、「擬態」を自ら定義している。「擬態/カモフラージュとは、周囲に合わせるためにじぶんの魂を殺害しつづける行為である」。では、自らを「殺害」することなく、しかし他者となにかを共有し、ともに生きるためには、わたしたちはどうしたらよいのだろうか。「擬態」の定義ひとつとってもまとまらない語りはしかし集積となって、そのように問いかけてくる。そしてそれはもはや発達障害の問題にとどまらない、あまりに普遍的な問いではなかろうか。当事者でもあり、支援者でもあるしーやんさんのインタビューでも、「定型発達者にも発達特性がありますから、ニューロダイバーシティっていうのは、全人類に関わることなんですね」と述べられる。

 個人的にはやはり、慎重な言葉からはじめてみるのはどうだろう、と言いたくなる。本書を読んで、なおさらにそう思う。自分の見ている世界は誰とも共有できていないかもしれない、というところから、はじめてみるのはどうだろう。

◆出版記念トークイベントのお知らせ
横道誠先生 × 村中直人先生 ダブル出版記念
2023年2月25日(日)14時~ @丸善京都本店
https://honto.jp/store/news/detail_041000084879.html

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