「君塚直隆先生の本、一択ですね」 ――『君主制とはなんだろうか』書評(評者:河西秀哉)
記事:筑摩書房
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「君主制について知りたいんですが、何を読んだらよいですか?」――学期中に何度か受ける質問である。私は文学部に勤め、象徴天皇制の歴史をテーマにして講義をしている。そうすると、学生たちは日本の天皇制だけではなく、どうしても世界の君主制と比較したくなるようだ。そして、君主制の歴史や君主制とは何かを知りたくなり、先のような質問をしてくれる。
この文章のタイトルが、冒頭の学生の問いに対するここ数年の私の答えである。どうも、このままの会話をこれからもずっとすることになるのではないか。本書『君主制とはなんだろうか』を読んでの私の正直な読後感だ。おそらく、今後何十年も読み継がれるであろう本の登場を、目の当たりにしたのである。
それだけ、この本には君主制について知りたいことが書かれている。君主という存在が登場し、理想の王としての存在から絶対君主制を経て、市民革命の時代を通過しつつ現在の二一世紀に残る君主制のあり方を、コンパクトかつわかりやすく提示している。普通はこれだけでも一人では書けない。
しかも、本書の対象はヨーロッパの君主制だけではない。中国、イスラム、トルコ、インド……など、ありとあらゆる君主制について言及され、その特徴がそれぞれの時期ごとに記されている。これも超人レベルである。ちょっと信じられない。
しかし、こういったありとあらゆることが書いてある本は、トンデモ本であることも多い(読者のみなさん、気をつけて)。ところが、この『君主制とはなんだろうか』は違う。君塚先生の専門であるイギリスに関する記述は、先生のこれまでの研究蓄積を踏まえ、易しくかつ深く解説したものである。ヨーロッパについても、それぞれの王室の歴史は先人たちの研究を参考にしつつ、先生が明らかにされた内容が記述されている。中国を含め、アジアなどの王室に関する記述も、最新の研究を踏まえて記述されている。もちろん、日本の天皇制についても、私が自信を持って太鼓判を押せる記述である。世界各国の君主制について知りたければ最初の一冊は、多くの情報が網羅されたこの『君主制とはなんだろうか』なのである。
しかし、この二一世紀になぜ君主制について書く必要があるのだろうか。それは、「第4章 市民革命の時代」「第5章 二一世紀の君主制」から理解することができる。
第一次世界大戦によって戦争は「総力戦」となり、戦争は「国民全体の責務」となった。そうすると、敗戦という結果を迎えれば、最高司令官らに責任を取らせることが筋となる。それゆえ、君主の責任が浮上し、第一次世界大戦によって世界的に君主制が崩壊していく君主制危機の時代を迎えた。この歴史が詳細に説明されているが、ここでのポイントは、二〇世紀に入り、戦争の形態の変化や民主主義の導入によって、君主制が国民との関係性を強く持つようになったという点だろう。言わば、君主制の形態が大きく変化し、国民を常に意識する必要が出てきた。それゆえ、現在の君主制ではそうした背景を踏まえた活動が展開される。しかも、現代のように格差社会が拡大していくなかで、政治からこぼれ落ちる人々を君主は救い出す。この説明は非常に説得的だ。
はっきり言ってしまうが、研究者というものは自分の研究をさも難しいもののように書いてしまうことが簡単にできる人種である。いや、本当は自分でもその研究内容をよくわかっていないからか、難しく書き、「どうだ、オレは偉いのだ」と思われたい人々でもある。実は、易しく書くことは本当に難しい。根本的な疑問に答え、それをみんなにわかりやすく説明する。ちくまプリマー新書を読むと、そうしたラインナップにあふれているが、そのなかでもこの『君主制とはなんだろうか』はトップレベルに入るように思う。改めて、君塚先生の博識と説明能力の高さに驚かされる。象徴天皇制について、私もいつかこういった本を書かねばと決意を新たにする機会となったことを最後に告白して、この文章を終えておきたい。