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現在を歴史に位置づける総論 三谷太一郎さん「日本の近代とは何であったか―問題史的考察」 

 「自分のこれまでの各論的研究を土台にして、日本近代についてできるだけコンパクトで、わかりやすい総論を目指しました」
 ヨーロッパ近代をモデルとした日本で、政党政治・資本主義・植民地帝国・天皇制は、なぜ作られたのか。政治史家がこれらの問題に正面から取り組み、歴史に現在はどう位置づけられるか考えた。
 政党政治はなぜ生まれたか。幕藩体制の合議制や月番制が、明治憲法下の議会制と権力分立制につながり、藩閥政治から政党政治が作られた。東アジアでは例外的な複数政党制が成立するが、軍部などの専門家支配によって崩壊した。今後は「政権とその周辺の新しい専門家支配にどう対抗するかが問われている」という。
 ヨーロッパのキリスト教にあたる「国家の機軸」は、日本近代では天皇に求められた。が、憲法に拘束される「立憲君主」の天皇が臣民の「精神的支配者」になっていいのか。明治憲法と教育勅語の起草に関わった法制局長官・井上毅(こわし)が悩んだのは、この点だった。
 1890(明治23)年に発せられた教育勅語には、天皇の署名のあとに、内閣総理大臣以下の国務大臣の責任を示す署名(副署)がない。異例の形だ。「井上は、この勅語は政治上の命令とは異なる『天皇の著作』だ、という驚くべきフィクションを作り上げた」
 こうして教育勅語は、憲法に縛られない「神聖不可侵」な天皇による、絶対的な規範となった。
 「この形式こそ問題なのです。明治憲法と現行憲法では、天皇と国民の位置づけが全く違います。でも、天皇は自らの意思を直接伝えることができるのか、天皇の言葉に伴う責任は誰が負うのかは、今も直面する問題です」
 振り返ると、日本は一国近代化路線だった。「第1次大戦後、軍縮条約に基づく多国間協調を志向したワシントン体制を、日本は教訓とすべきではないでしょうか」
 10年前、大きな手術を受けた。夏目漱石が病後に書いた『思ひ出す事など』を読み、触発された。
 「生きるとは奇跡ですね。これを最後にしたくないので(笑)、奇跡を頼んで、次は15年戦争下の日本軍隊を書く予定です」(石田祐樹)=朝日新聞2017年04月09日掲載